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間章2 暴食の罪

 私は人間ではない。そのことに気付いたのは十歳の誕生日を迎えた頃のことだった。豚小屋から家の中まで飛んできて冷えたスープにたかるハエが、私の思ったとおりに動く。ハエが見ている光景が見える。ハエが聞いている声が聞こえる。寝ている人間にハエを通じて言葉を届けることができる。明らかに悪魔の力だった。


 でもこんな力、何の役にも立たない。むしろ、ばれたら殺されるので邪魔なだけだ。どうせ悪魔の力なら、翼がほしかった。翼があれば私が一生出られないであろうこの何もない鬱々とした農村から、自由なる都市へとはばたくことができる。


 しかし現実に私にあったのは、ハエを操る力と一生畑を耕す義務だけだった。朝から晩まで身を粉にして働いても、カビの生えたパンと薄いスープしか食べられない。粗末な夕食を終えた後はノミやダニの湧いた藁のベッドで死んだように眠り、次の朝にはまた畑と家畜が待っている。本当にうんざりする。数年に一度帰ってくる、都市に住む叔父の話を聞くことだけが私の楽しみだった。




 それでも真面目に働けば食べられたという事実に、私は感謝すべきだった。そのことを理解したのは、二年続けての寒波が襲来した十四歳の秋である。家畜は思うように育たず、全て潰して食べた。次の春にまく小麦までパンにしても、十二月まで保たない。村では疫病が流行り、幼い子どもや老人がバタバタと倒れ始めた。


 このままでは冬を越せない。大人たちは領主に掛け合った。不作に備えて備蓄していた倉庫の穀物を解放してほしいと。


 ところが領主からの返答は信じられないものだった。「倉庫の穀物は全て去年売ってしまった」。去年の不作のときに高い値がついたので、都市から来ている商人にまとめて売ってしまったというのだ。


 村人たちは怒ったが、どうにもならない。領主にとって、森の奥にある小さな村など全滅しようがどうでもいいのだ。彼の関心は都市で行われるパーティーに着ていく衣装に向けられている。きらびやかな衣装を纏い、宝石で身を飾った領主は兵士をけしかけ、村人たちを追い散らしてしまう。


 でも私は領主の館に潜ませていたハエを通して知っていた。倉庫の穀物は売られてなどいない。これから売るのだ。二年続けての凶作で小麦の値段はかつてないほどに高騰している。三日後に近くの町から商人が小麦を買いに来る予定だ。領主はそのとき、穀物の大半を売るつもりである。


 なりふり構っていられない。私は村中にハエを飛ばして眠る村人の耳元で言葉をささやき噂を広め、領主の館を襲撃させた。




 たいまつを持って気勢を上げる村人たちはまず武器庫を襲って武器を取り、領主の館になだれ込んだ。館の兵士たちは抵抗したが、村人たちの手際はよすぎた。鍵が壊れていた裏門から忍び込んだ一団は館に放火し、戸惑う兵士たちを挟み撃ちにした。村人たちは兵士を殺し尽くし、倉庫へと向かう。倉庫は空っぽだった。


 怒り狂う村人は館から逃げ出そうとする領主を発見し、取り囲んで惨殺した。村人たちは売り払って食料に変えるため、領主の死体から高級そうな服を引きはがし、全身に隠していた宝石を奪う。




 私はというとそんな凄惨な光景を尻目に、川の方へと向かう。領主の最期は痛快だったが、私には目的がある。川のほとりでは船に穀物の袋を積み込み終わった商人が、領主の館から噴き上がる炎でオレンジ色に染まる空を見て呆然としていた。これからまだ、彼は領主に料金を支払う予定だったのだ。


 私はハエで周囲を探りながら慎重に商人の背後に回る。そして闇に紛れてナイフで心臓を一突きし、商人を殺した。私は商人の有り金をすばやく奪い、船へ向かう。


 まだ周辺には荷物の積み卸しを手伝う人夫たちがいたが、幸いなことに船には誰もいなかった。私はこっそりと船に忍び込み、積み荷を確認する。思った通り、倉庫に入れられていたはずの穀物が、ごっそり船倉に積み込まれていた。


「……」


 これだけの量があれば、村人たちは当面食料に困ることはない。きっと私は、この船のことを村人たちに教えるべきだったのだろう。でも私はそうしなかった。果たしてこの量で冬を越せるのか? この冬を越せたとして、来年は?


(分け合えば、また飢えるかもしれない……!)


 絶対にそれだけは嫌だった。食べられない苦しみは二度と味わいたくない。村人のことなど知らない。私が飢えないためには、どうすればいいか。


(都市に行ってこれを売り払えば、私は自由になれる……!)


 穀物を独占すべく、私はもやいをはなつ。川の流れに乗って船はゆっくりと動き出す。ようやく人夫たちは異常に気付くがもう遅い。私はつたない手つきで帆を張り、船は風を受けて加速する。


 船は軌道に乗り、順調に川を下り続ける。ようやく一息ついた私は、船室にソーセージが置いてあるのを発見した。私は手掴みでかぶりつく。三日ぶりの食事だ。しかも肉なんて、半年ぶりくらいだ。


 私は犬のようにソーセージをむさぼり食らった。ここ数ヶ月味わったことのない、胃が満たされる感覚。自然と涙がこぼれる。オレンジの空は、次第に遠くなっていった。

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