19 もう一人の魔王
「あなたに全く勝ち目はない。神の救済を受け入れなさい」
「……」
アスモデウスはラファエルの言葉を聞いて、指輪の力を引き出すのをやめた。アスモデウスは再び光に包まれシンの姿に戻り、地中から葵が出てくる。
「え……? おい葵、どういうつもりだ!?」
意識を取り戻したシンは隣で土埃を払う葵に尋ねる。葵は嘆息して答えた。
「……彼から、本気の殺意を感じなかったし、勝ち目もなさそうだった。もう一度、話を聞いてみようと思ってね」
「勝ち目って……! どうにかならないのか!?」
確かにアスモデウスの力ではラファエルに相性は悪いようだった。
「どうにかならないことはないよ。この場にいる王国軍二万五千を生贄に捧げたらね……!」
そうすればアスモデウスは必殺の切り札『命の剣』を呼び出し、ブラックホールを自在に操れるようになる。さすがのラファエルもブラックホールは消せないだろう。アスモデウスは勝てる。しかしそのためには、相応の生贄が必要だ。
「クソッ……!」
葵にやってくれなんてとても言えない。ならばどこまで食い下がれるかわからないが、シンが戦うしかないだろう。
シンは拳を握りしめる一方、ラファエルはにこやかな笑顔を見せる。
「これでも私はあなた方のことを評価しているのですよ? 神代シン、あなたは魔王の片割れでありながら正義のために剣を取り、トロールと戦った……。歌澄葵、あなたもです。ミカエル様も今はまだ、強硬な手段に出る気はないようです……。あなた方二人なら見逃してやってもいい。ただしもう一人、同じ罪を繰り返す愚かな魔王がいる……!」
ラファエルは要求した。
「私は言ったはずです。魔王の首を一つ差し出せば充分だと……。呼子麻衣の首を差し出しなさい。そうすれば、あなた方二人は見逃しましょう」
「は? 何言ってるんだ?」
シンは一瞬、ラファエルが言ったことを理解できなかった。どうして麻衣の名前が出てくる?
ラファエルはピンと来ていないシンを嘲った。
「ハハハハッ! 気付いていなかったのですか! 呼子麻衣を名乗るそこの女こそ、暴食の魔王ベルゼバブその人です!」
「ウ、ウチが、魔王……?」
羽流乃の護衛を受け、遠くから戦況を見守っていた麻衣は顔面蒼白となる。
「魔王ベルゼバブといえばアストレアを滅ぼした魔王の一人……!」
「シルフィードに大飢饉をもたらしたとも聞く……!」
魔王という言葉を聞いて、軍にも動揺が広がる。特にシルフィード出身の兵士たちがざわめいた。グノームにおけるアスモデウスのように、シルフィードにとってのベルゼバブは恐怖の対象なのだ。
さらに悪いことに、城門が開いた。
「天使様は我らが味方だ! 魔王ベルゼバブを女王に戴く反逆者どもを血祭りに上げよ!」
籠城していたシルフィード王国軍が、反撃を開始しようとしている。城門前に砦を作ったせいですぐには出てこられないが、天使を味方につけたと意気揚々である。間宮もこの機を逃さず、どんどん砦の外に兵士を出し始める。対するグノーム王国軍は激しく動揺しており、戦える状態でない。
「あ、葵……!」
シンは葵の方を向く。葵は表情を変えずに言った。
「現世で中村先生は、担任として僕らのことを監視していた……。纏めて転生した他の魔王を監視していても、おかしくはないよね……?」
理屈はわかる。ラファエルが嘘をつく意味もないので、麻衣が魔王だというのは本当なのだろう。しかし、信じられない。
「さぁ、どうしますか? その女をおとなしく差し出すか、数万人の命を生贄に捧げて私と戦うか……! 選ばせてあげましょう!」
勝ち誇った顔をしてラファエルは問い掛ける。これに対してシンや葵より先に羽流乃が動いた。
「え……? ちょ、羽流乃ちゃん!?」
羽流乃は麻衣の首元を掴んで逃げられないようにして、葵に決断を迫る。
「陛下! 御聖断を!」
誰も羽流乃の行動を咎めようとしない。麻衣を女王に担ぎ上げるはずのシルフィード貴族さえだんまりだった。シン以外の全員が、麻衣の命を差し出すことでこの場を凌ごうと考えている。
葵は口を開きかけるが、シンは遮るように前へ出た。
「ふざけるな! どっちもお断りだ! 俺があんたをぶっ倒す!」




