7 エルフ
王都アストレアを出発した王国軍は一週間ほどで北の谷に到達した。ここまでは兵士たちもちょっとしたピクニック気分だったが、谷を抜ければ敵地である。いよいよ戦争だ。
谷には大軍が一気に通過できるほどの広さがないため、小部隊に分かれて数日かけてシルフィード側に行くことになる。俄然、危険は増してくる。谷の出口で敵が待ち伏せしていてもおかしくないのだ。
シンは葵と麻衣が乗った馬車の御者席に腰掛け、薄く霧が立ちこめる谷の出口を目指す。シンが護衛役なのだ。出口には、無数の人影があった。シンは緊張に身を固くするが、シンたちを迎えたのは歓声だった。
「女王陛下の、おな~り~!」
エルフというやつだろうか、金髪碧眼で例外なく美しい外見をした耳のとがった人間タイプの種族が、谷の出口に陣取っている。
馬車を止め、葵と麻衣が出てくる。場は静まりかえり、エルフの代表者とおぼしき壮年の男性が前に出て麻衣の前にひざまずいた。
「お待ちしておりました、女王陛下」
「う、うむ。頭を上げよ」
きらびやかな衣装をまとった麻衣は精一杯ふんぞり返る。エルフの代表者──クイントゥスは言われたとおり頭を上げる。
「我らがエルフ族は女王陛下に従い、王都グレート=ゾディアックを占拠している逆賊を討ち果たす所存でございます」
シルフィード王国内では何人もの自称国王が乱立しているが、最有力だったのは王都グレート=ゾディアックを占拠しているヨハン家である。
シルフィード半島東端に位置する国内第二の都市アクエリオを領するヨハン家は、つい数年前にグレート=ゾディアックを占領し、シルフィード再統一目前までこぎ着けた。ところが当時の王はその直後に国内貴族との戦争で戦死し、天下統一を目前にしてヨハン家は瓦解、大きく勢力を減じたのである。
現在ヨハン家はグレート=ゾディアック周辺と飛び地化した本領アクエリオを確保しているばかりで、天下統一にはほど遠い状況にある。数ヶ月前に高名な錬金術師がヨハン家に仕官し、少し勢いを取り戻したという話だが、グノーム軍の圧力の前では問題にならない。
「しょ、諸君らの働きに期待している」
うわずった声で麻衣が告げると、今一度クイントゥスは頭を下げた。全てシルフィード貴族が段取りしたとおりの流れである。エルフ族が保持していた風の指輪をトロールから奪い返し、手にしているのがシンだというのが効いた。エルフ族はあっさり麻衣がシルフィード女王だと認めたのである。
エルフの里はパラケルス山脈の麓に点在しており、エルフ族は緩い連合体を築いている。数そのものは少ないものの人間より魔力が高く、知性も同等以上のエルフたちはかつて人間の領域に攻め込み、国家を建設したこともあったらしい。
この世界でマスケット銃が発明されてからは人間の数に勝てなくなり、集落から打って出るようなことはなくなったが、それでもこの一帯の地理に明るいエルフ族は心強い味方である。
エルフ族は百人の軍勢を遠征軍のために捻出した。少ないように思えるがエルフたちの説得により獣人族、ドワーフ族といったパラケルス山脈近辺に住む種族が麻衣に味方することを決め、軍勢を出すこととなった。すでに数以上に働いてくれている。
「……ここのところの内戦で交易が止まり、我らも生活を脅かされているのです」
夜、用意されたささやかな宴会の場で、クイントゥスはぼそりぼそりと語る。海側との交易が止まり、山間部に住むエルフたちが一番困っているのが塩だ。海側からの安価な塩が入ってこなくなったことで価格が高騰し、エルフたちは生活が成り立たなくなるレベルにまで追い込まれた。本来侵略者であるはずのグノーム王国に味方したのも、これが主因である。
「な、なるほど……。それはどうにかせんとアカンなあ」
クイントゥスの話を聞き、麻衣はたどたどしくうなずいた。どうにかこの場を切り抜けようと必死な様子で、多分話は頭に入っていない。イケメンな男性給仕に酒をつがれているが、グラスを持った手は震えっぱなしである。
ちなみにエルフの女性陣も美少女ばかりであるが、絶対にシンの方には来ない。女王の婚約者を誘惑してはいけないという配慮らしい。同席している貴族たちはエルフ美少女たちにお酒を注いでもらって上機嫌なのに、シンは生殺しだ。真面目な場なのについつい視線が向こうに行ってしまう。
シンの視線が怪しいのを葵は見逃さない。葵はニヤニヤしながらシンの顔をのぞき込む。
「シ~ン、どこを見てるんだい? 浮気の算段かな?」
「バ、バカ、ちげ~よ!」
エルフの女性が珍しいから眺めていただけである。他意はない。
「大丈夫、シンのために別の給仕を用意してるから! ほら、隠れてないで来て!」
「し、失礼しますわ……!」
葵に呼ばれて姿を現したのは、羽流乃だった。羽流乃は依然麻衣が身に着けていた黒いゴスロリ風メイド衣装を着て、銀のお盆を手にして震えていた。
「君はこういうのが好きなんだろう? ほら羽流乃、注いであげて」
羽流乃は女子にしては身長が高くて、グラマラスだ。メイド服姿でちょこまかと動き回る麻衣もかわいかったが、別の趣がある。
「私が下々の者の真似事など……! 屈辱ですわ、屈辱ですわ……!」
ぶつぶつ言いながらも羽流乃はシンのグラスに酒を注いでくれた。少し上半身を倒すような姿勢になることで大きな胸が強調され、シンはドキドキしてしまう。
「……備蓄もあと数日で底を尽くという状況で、我々にはどうしようもありません」
「いくらかはうちから提供できるけど、全然足りないね……。すぐロビンソンに命令して運ばせるよ」
羽流乃にサービスされてそれどころではないシンを尻目に、葵はクイントゥスとの話を進めて即座に解決案を提示した。アストレアの王宮でロビンソンは留守番している。伝えれば、すぐに動いてくれるだろう。ちなみにこの間、麻衣は沈黙して空気化していた。
「陛下のご慈悲に感謝します……」
クイントゥスは葵に謝意を示した。その間、麻衣は何か言った方がいいのかと迷っていたのか、口をパクパクさせていた。まだ何の実権もない麻衣に葵のまねごとはできない。麻衣もうずうずしているようなので、早く麻衣を王位に就けてやりたいとシンは思った。




