6 開戦準備
会議から一ヶ月後、王国軍三千人は王都アストレアの郊外に集結し、着々と遠征の準備を進めていた。ここにグノーム国内の貴族の軍隊が加わり、グノームに内通したシルフィード貴族が合流する。全体で一万五千ほどの規模になる見込みだ。
普段の魔物討伐であれば数十人規模の部隊を魔法のじゅうたんで戦地に送り込むのだが、シルフィードにこれだけの人数を攻め込ませるとなると、全く無理である。じゅうたんの飛べる距離は短いし、魔力をチャージするのに日にちもかかる。数も足りない。だいたい、敵地を魔法のじゅうたんでひらひら飛んでいたら、敵のマスケット銃や魔法のいい的である。
なので今回は現世における前近代の軍隊のように徒歩で遠征する。国外遠征といっても、グノームもシルフィードも小さな国だ。関東から東北に攻め込むとか、中京から近畿を目指すとか、その程度の感覚である。
とはいえ飢饉の間際にあるシルフィードでは略奪による補給は不可能であり、大規模な輜重隊を編成する必要があった。非戦闘員も数千人規模に膨らむ予定であり、ここ数百年で最大の遠征となる。
隊列を作る無数の馬車のうち、巨大なアンテナを立てた一台の馬車が、一際異彩を放っていた。馬車の側面にはセーラー服のアニメキャラが描かれ、御者席の脇には等身大萌えフィギュアが鎮座。凄まじい痛馬車である。
もちろん持ち主は栄光の二次元三兄弟だった。戦地からラジオ中継を行うため、馬車を移動放送局として井川と西村が同行することになったのだ。元々二次元三兄弟はシルフィードへの進出を狙っていて、北の谷に中継局を設置するテストをしているところだった。
「あ~、あ~、テステス。井川君、聞こえる?」
『落合、バッチリだ。次はシルフィード側からの放送を流す……』
北の谷から井川が流した放送を、こちらで西村がチェックする。首尾は上々のようだ。三兄弟が開発したラジオは少しずつではあるが王都アストレアで普及しつつある。歴史に残るラジオ中継となるだろう。
西村と井川のテストがうまくいって手持ち無沙汰になったのか、機材の調整をしていた落合はシンの方に来る。落合は腕組みして仏頂面で同じく出てきたはいいもののやることがないシンに話しかけてきた。
「戦争、おまえが決めたっていうけど、本気なのか?」
「ああ。戦うのがベストだと思ったからな」
落合に尋ねられ、シンは首肯した。葵に決断を託されたシンは「開戦する」と答えたのだ。早く現世に帰るためには一刻も早く風の指輪を手に入れなければならないという事情もあるし、シルフィードの民衆も救いたい。麻衣の言うとおり、餓死なんていう悲惨な死に方を許すわけにはいかない。
自分の力を試したいという気持ちもあった。実戦で指輪を使うたびに、着実に強くなっている手応えがある。普通に生活する分には役に立たないシンの魔法だが、戦うことで救われる人がいるのなら、振るうべきではないか。
そして何より、麻衣がやりたいと言ったのだ。前世で麻衣はいつも飄々とした掴み所のない女の子であり、あんな風に必死にシンに頼んできたことなどなかった。その麻衣の願いなのだ。シンとしては、なんとしても麻衣の希望を叶えてやりたい。
軽率な判断だとは思っていない。ロビンソンは「どちらでもいい」と言った。ロビンソンは最悪遠征が失敗してもグノーム国内にまでダメージが残るとは考えていないのだ。
多分、失敗したらしたで血の気が多い貴族が消沈してやりやすくなると思っている。シンが決めた以上、葵やロビンソンの責任にはならないとも計算しているだろう。最悪の事態でも、シンが王宮から追い出されるだけで済むのならやるべきだ。
「はっきり言って俺は反対だった。遊びじゃないんだ。死人が出るかもしれない」
落合は言った。「出るかもしれない」ではない。確実に出る。
「……そうだな。それでも俺は、救える人がいるのに見ないふりはできない」
シンの言葉を聞いて、落合は何か言いたげな顔をする。シンは努めて明るい声で言った。
「そんなに心配しないでくれ。俺の力で、少なくともみんなは無事に帰ってこさせるさ」
シンの元同級生で遠征についてくる者のうち、戦闘員は葵、羽流乃の他には狭山だけだ。狭山も近衛隊の隊員として葵の近くに控えることになるので、比較的安全である。
二人がただならぬ様子で話し合っているのが目立っていたのか、狭山までこちらにやってくる。
「おいおい、そんなに力んでちゃ着くまで保たないぜ~! つ~か、二人ともマジになりすぎなんだよ。俺は神代を信じてるから、神代も俺を頼ってくれよ」
「おまえなぁ……わかっているのか? モンスターじゃなく、人間と戦うんだぞ? おまえが一番危険なんだぞ?」
落合は狭山に眉をひくつかせるが、狭山は軽い調子で応える。
「そりゃそうだけどさ、あんまり入れ込みすぎても死ぬんだよ。そんな気がする。ま、何が言いたいかっていうと自然体で行こうぜってことさ。俺も精一杯やるし、神代だってそうだろ? ならうまくいくさ。……そう思わないとやってられない」
狭山は戦争に行きたいとも行きたくないとも言わず、どうするべきかだけを語った。もう戦争することはシンが決めてしまっているのだ。一般兵士の狭山には拒否権などなく、従うしかない。
シンの決断は間違っていたのだろうか。今さらそんな考えが頭をよぎる。しかしシンが何か言う前に、狭山は言った。
「やるしかないんだ、俺たちは。信じてるぜ、神代」
「……ああ、そうだな」
シンは神妙にうなずく。狭山の言うとおりだ。シンはやるしかない。急に、背負っているものがやたら重く感じるようになった。




