57 輪廻
シンの体は光に包まれ、魔王アスモデウスとなった。葵の体は抜け殻のように力を失って倒れる。アスモデウスはその体を抱き止めてそっと地面に横たえた。地面は葵の体を飲み込み、どこかに隠してしまう。
「何をしているの……?」
アスモデウスの行動と葵の様子を瑞希は理解できなかったようだった。黄色のマントで体を隠したまま、アスモデウス──葵は解説する。
「使い魔と同じだよ。この体を動かすには主の魂が必要なんだ。だから僕は魂をこちらに移した。一割や二割じゃなくて、全部ね」
魔王も魂を移すことで知性が芽生え、魔力を操れるようになる。前回は移した魂の量が中途半端だったので制御がうまくいかず、アスモデウスは戦いを楽しむばかりで大技を考えなしに連発して自滅した。そこで今回葵は、自分の魂全てを魔王の体に移したのである。
「誰かのために戦おうとするとき、色欲は愛に変わる……! 僕の愛は地球を救う。覚悟するがいい」
葵は体を覆うマントを勢いよく開く。葵の体は黒の衣装と金の鎧に覆われていた。
「葵……! 私は指輪を四個持っているのよ! 魔力は私の方が遙かに上だわ!」
葵に切断されたシンの右手には、火の指輪と水の指輪が残っていた。元々瑞希が持っていた分と合わせると、今瑞希が取り込んでいる指輪は火の指輪が二つ、水の指輪と風の指輪が一つずつと計四個になる。指輪の数だけなら、葵の倍だ。
「……」
「それに、葵はもう思い出しているんでしょう……? 私の、正体」
黙って瑞希の話を聞いていた葵は、ここで口を開く。
「ああ、おぼろげにだけどね……。君はかつて、嫉妬を司る水の魔王、リヴァイアサンだった」
瑞希は葵の言葉を聞いて、満足げに笑った。
「その通りよ。ならわかるでしょう? 葵、あなたに勝ち目はないわ」
「それはどうだろうね」
葵は不敵な笑みを見せる。
瑞希にあるのは魔王の魂と魔力だけだ。魔王の魔力にしても、適合している水の指輪は一つのみ。水の指輪のもう一つは葵がこの世界に持ち込んだが、羽流乃の実家の洞窟から火の指輪を失敬したとき、代わりに宝箱に放置してきた。瑞希が今すぐ手に入れることは不可能である。不適合な魔力をトロールの体で制御するのだから、完全とはほど遠い。
対する葵は人間でも魔族でもないシンの体を魔王の体に変質させ、アスモデウスの魂と魔力を封入して完全な力を取り戻している。勝算は充分にある。
「指輪も体も、何のハンデにもならないわ! もう私は、単なるトロールを超えてしまっているもの! いいわ、お人形に魂を宿しているだけのその姿なら私が葵を取り込むことも可能でしょう! 一つになりましょう、葵!」
瑞希の体に埋め込まれた炎の指輪が輝いた。瑞希の体は燃え上がって炎となり、どんどん膨れあがる。瑞希は炎の巨人となって、葵に襲いかかる。
「君がどんな姿になろうとも、僕が負けることはない! 『鉄の槍』!」
葵の手にマスケット銃が一丁出現する。同時に、葵の背後に数丁のマスケット銃が現れた。空を埋め尽くすほど大量に出すこともできるが、そんなことをしたらあっという間に魔力が尽きてしまう。葵の魂を全て移すことで使える魔力の上限も上がってはいるが、無駄遣いは厳禁だ。巨人と化した瑞希を倒すためには、相当に強力な一撃を撃ち込む必要がある。
葵は瑞希の周囲を飛び回りながら、マスケット銃で射撃する。宙に浮かんでいるマスケット銃も葵の動きに追従し、空中を飛び回りながら射撃を続ける。いくら魔力を込めているとはいえ、全長十メートルほどの巨人に銃弾を撃ち込んでも、大海に向かって石を投げているようなものだ。ほとんど効果がないのを承知で、葵は射撃を続ける。
「何を考えてるの! そんな豆鉄砲、私には痒いくらいよ!」
瑞希は葵を捕らえようと巨大な手を伸ばし、口からは炎を吐く。一撃でも受ければ終わりだが、当たらなければどうということはない。葵は身軽な動きで瑞希の攻撃を避け、回避しきれないときは地面を変質させて作る『金の盾』でガードした。その合間にマスケット銃の火薬音が響く。
「そうやって逃げ回るのなら、私にも考えがあるわ!」
瑞希の体から飛行機を墜とした悪魔型使い魔が無数に出てくる。魔王の力で強化されているようで、マスケット銃の一斉射撃を浴びせても倒せない。使い魔たちは雷撃を放ちながら葵の方へ突っ込んでくる。
「使い魔には使い魔だ!」
葵は植物の種をばらまく。種は一瞬で芽を出してヤギになる。今度は命を収穫するための子ヤギではなく、戦闘用の黒い雄ヤギだ。雄ヤギたちは角を突き出し、勇敢に悪魔の軍団へと立ち向かってゆく。
瑞希の雷を操る悪魔の使い魔と違って攻撃力はないが、雄ヤギたちはその分頑丈だし葵のいうことをよく聞く。ただ魔力を暴走させて作り出した瑞希の使い魔がてんでばらばら好き勝手に暴れるのに対し、雄ヤギたちは数頭ずつの集団になって巧みに雷撃を避け、一体一体確実に潰してゆく。
その間も葵はマスケット銃による射撃をやめない。やがて瑞希の周囲はマスケット銃が吐き出す黒煙で覆われる。葵は黒煙に紛れ、仕込みを始める。
ようやく葵の狙いを察した瑞希は、風の呪文で黒煙を振り払う。しかし葵の作業はすでに終わっていた。
「「フフフッ、チェックメイトだよ」」
幾人もの葵が瑞希を囲んでいた。魔王が使える魔法の一つ、『地の人形』である。魔力を分割して、自分の分身を作ったのだ。おそらく、シンを作った魔法はこの魔法の派生だろう。魔力を分けるのに手間が掛かるため隙が大きい魔法だが、マスケット銃の轟音と黒煙でごまかしたのだった。
葵たちは一斉に植物の種を地面に落とす。
「「『金の鎖』!」」
種は一瞬で成長して蔦のような植物になり、瑞希を縛った。蔦くらいなら瑞希もすぐに燃やしてしまえるだろうが、蔦は金属の鎖に変化する。
「くっ……! 何よこれ! 葵はこういうプレイも趣味っていうの……!?」
強がりのつもりか、無数の鎖に縛られながら瑞希は言う。一本や二本なら瑞希は簡単に振り切れただろうが、この数なら瑞希でも厳しい。悪魔の使い魔も全て葵の雄ヤギが戦闘不能に追い込んだ。瑞希は腕力に任せて鎖を半数ほど引きちぎるが、そこが限界だった。
葵は分身を解除し、一人に戻る。まな板の上の鯛となってしまった瑞希に、葵は語りかける。
「ごめんよ、瑞希。僕は間違っていた。僕は君を見ようとしながら、自分しか見ていなかった……」
なぜ葵は瑞希と一線を越えてしまったのか。瑞希の気を引き続けたかったからに過ぎない。なので永遠の愛をベッドで瑞希に囁きながら、他の女の子とも平気で寝た。ただ、女の子の視線を独り占めにするのが気持ちよかっただけだった。本当の愛ではなかった。
瑞希は拘束状態から抜け出そうと鎖をジャラジャラと鳴らす。
「違う! 私は葵を見ていたし、葵も私を見てくれていた!」
「君も、溺れていたかったんだね。二人だけの世界に」
瑞希も葵と同じだったのだ。誰かとつながりたかった。誰かを独り占めにしたかった。だから、簡単に捕まえられる葵に飛びついた。
「僕たちはお互いから卒業しなきゃならない……! そして、本当の……」
同性愛だから否定するわけではない。ただ、葵と瑞希の間に運命はなかった。傷口を舐め合うか弱い者たちの必然で、そこから先もなかった。
「私たちの愛は本物だった! そうでしょう!? ねぇ!」
瑞希はあくまで自分は間違っていないと主張する。炎の巨人の顔が絶望に歪むのがわかった。
「そう思うことで逃げたかっただけなんだ、僕も君も」
アスモデウスの力なら、今の瑞希から指輪を切除して普通のトロールに戻すこともできる。しかし葵はその道は選ばない。自分でやったことの責任は、自分でとる。
「『命の剣』……!」
葵は自分の命を削り、数メートルほどもある黄金の大剣を作る。心臓のあたりが激しく痛むが、これも罰だ。葵は助走をつけて飛び、大剣を袈裟懸けに振り降ろす。
『命の剣』はバターでも切るかのようにあっさりと炎の巨人を斬った。葵は炎の巨人の体内にあった指輪を全て回収し、瑞希から距離をとる。
炎は収まり、瑞希は元の小さな妖精の姿に戻る。瑞希には胸から腹にかけて葵に斬られた傷が残っていて、もう助からないことが誰の目にも明らかだった。
葵は瑞希の元に歩み寄る。瑞希は荒い息をしながら葵に目を向けた。
「葵、どうしてわかってくれないの……?」
「もういい、もういいんだ、瑞希。ゆっくり休んでくれ」
葵は『命の剣』をナイフのサイズにまで縮めて、瑞希の心臓を貫く。そして、魔王の魔法を発動した。
「『命の円環』……」
葵がかつてこの世界から現世へ転生するために使った魔法。この地獄の出入り口に掛けられている、救済の魔法でもある。罪を浄化し、記憶を消して別世界に転生させる。
瑞希の体は地面から生えてきた植物に包まれ、跡形もなく消える。瑞希の魂は蛍のように淡い光を放ちながら、天へと昇っていった。
「……さよなら、瑞希。また会うことがあれば、そのときこそ……」
瑞希ならきっとやり直せると信じよう。葵は空を見上げる。瑞希の魂はやがて見えなくなり、元の世界に転生した。




