53 ラジオ
長い夢を見ていた気がする。シンは、背中の痛みで目を覚ました。
「ここは……」
狭い、穴蔵のようなところだった。落ち葉を積み重ねて入り口を隠しているようで、日の光が隙間から差し込んでいる。葵は森の中に退避した後、地中に即席のシェルターを作ってシンとともに隠れたのだった。
「……目が覚めた?」
葵はシンの隣で体育座りしていた。シンは何があったか思い出す。夢で見たことも含めて、全て。
「記憶が戻ったよ。……瑞希が言ってたことは、本当だった」
葵はうつむいたままボソボソと言った。葵は、シンが誕生した経緯を全て忘れていたのだった。シンも少し目を伏せる。
「……俺も思い出したよ」
シンは葵のぬいぐるみだった。幼い頃の葵を知っているはずである。シンはずっと葵と一緒にいたのだ。
シンは葵に問う。
「これからどうする?」
葵は死んだ魚のような目を見せるばかりだ。
「……どうもこうもないよ。のこのこ僕らが出て行って、何をするっていうの?」
確かにシンと葵が瑞希の前に出て行っても、火に油を注ぐだけだ。瑞希は喜んで暴虐の限りを尽くすだろう。
だからといって放置しておけば、やはり瑞希は暴れる。指輪を二つも体内に取り込んでいる瑞希に対抗できるのは、シンだけだ。
シンがその旨を主張すると、葵はつまらなさそうにため息をつく。
「君、自分を過大評価しすぎだよ。本当に対抗できてたなら、君は魔王アスモデウスに変身したとき、瑞希に勝ってたはずだ。違うかい?」
シンは言葉に詰まる。
「それは……!」
アスモデウスは強力な魔法を連発したものの、全て瑞希に凌がれ、魔力切れで姿を消した。シンがもう一度出ても同じことの繰り返しになる。
「王国軍全体で数の勝負を挑んだ方が、まだ勝ち目はあるさ。僕らが行くとかえって邪魔になる」
王国軍に混じってシンが戦うというのは難しい。王国軍の兵士たちは地の指輪で重力制御するシンの動きについていけないので、お互いがお互いの邪魔になるのだ。
「その場合、何人死ぬんだ?」
シンの質問に、葵は無表情で答える。
「死傷者三割で上出来ってところかな……」
「三割だと……!? それだけの人が傷つくのを、黙って見てられないだろ!」
王国軍の常備兵力は五千人程度でしかない。元々そんなに大きな国ではないので、その程度が限界なのである。非常時には動員を掛け、貴族たちも出撃させることでもっと増やすこともできるが今回は間に合わない。
五千人の三割が死傷するとなると、千五百人だ。無関係の民衆も巻き込まれると思われるので、犠牲者はさらに増える。
今すぐにでも瑞希を止めなければならない。シンは腰を浮かすが、葵は浅瀬に打ち上げられたクジラのようにぼんやりしたままだった。葵も放ってはおけない。
「……とにかくここを出よう。話はそれからだ」
シンは葵を連れて、森を出ることにした。
シンと葵は三時間ほど歩き、森から出た。空を飛ぶと目立ってしまうので、箒は使えない。シンは森を見てすぐのところに集落を見つける。シンは集落に入ろうとするが、葵は止める。
「君、僕らはお尋ね者だよ。村や町に入ると、捕まっちゃう」
シンは笑顔を見せた。
「大丈夫。この村なら、心配ない」
シンは葵の手を引いて、村に足を踏み入れる。侵入者を見て、畑から村人が数人やって来た。
「あなたは……知恵の王アスモデウス様!」
村人は葵を見て驚く。シンたちが入ったのは、魔法使いのいない村だった。
村人はシンと葵を歓迎し、麦粥を振る舞ってくれた。麦はこの村ではかなりの贅沢品である。シンは村人に感謝して口をつける。麦粥の温かさがお腹に染みた。
シンと葵は食後、畑に案内される。
「アスモデウス様から賜ったジャガイモなる植物、すでにかなり育っていますよ」
村人の言う通り、畑に植えられたジャガイモの苗は、緑色の葉を青々と茂らせていた。ジャガイモは成育が早いので、すぐ食べられるようになるだろう。
「連作障害があるから、次は違う作物を植えるんだよ」
葵の言葉に、村人たちは嬉しそうにうなずく。
「はい! アスモデウス様の仰せのままに!」
この村ではどういうわけか、王家=魔王アスモデウスの子孫と伝わっているのだ。葵はアスモデウスその人として敬われている。葵も村人に優しく接され、いくらか落ち着きを取り戻したようだった。こんなことを口にする。
「この村にずっと身を隠すのも悪くないかな……。いざとなれば北の谷に回ってシルフィード王国に逃げればいいし」
「瑞希の件はどうするんだよ?」
「言っただろう? 軍に任せるしかないよ」
葵の心の傷は深いようだった。シンと葵が畑の隅で話していると、一台の馬車が村に入っていった。行商人がやってきたらしい。商人は馬車から降りて、シンの方に来る。
「あれ? あんた、無事だったのかい?」
見覚えがあると思ったら、前にシンをこの村まで連れてきてくれた商人だった。シンは思わぬ再会に驚く。
「おっちゃんこそ、無事でよかった!」
「俺は隣の村に泊まってたからな。よくあのゴブリンどもから生き延びたなあ」
商人はニンマリと笑う。彼なりにシンのことを心配していたらしい。商人は言う。
「まあ、この村ならしばらくは安全だろう。今、王都は大騒ぎになってるぞ」
「おっちゃん、どういうことだ!?」
シンは身を乗り出し、商人は説明してくれる。
「王都にトロールの大群が向かっているらしいんだ。この村が素通りされたのは奇跡だよ」
商人によると、トロールたちは途中の村を焼き討ちしながら、王都を目指して街道を上がっているらしい。由々しき事態だ。
「葵! すぐに行かないと!」
シンは葵に言うが、葵は微動だにしない。商人は葵の顔を見て目を丸くした。
「アオイ……? 女王陛下!?」
慌てて商人は葵から距離をとる。葵が魔王アスモデウスの生まれ変わりだということは、すでに王都にも広がっているらしい。
「よ、用があるから俺はこの辺で失礼するよ。この国も終わりかなあ……」
商人は慌ただしくこの村で買い付けた荷物を積み込み、次の村へと出発した。シンは葵のポケットに手を突っ込み、二次元三兄弟が作った弁当箱大の大型ラジオを取り出す。シンはラジオのアンテナを立て、つまみを回して受信電波を調整した。
すぐにラジオは落合の声を流し始める。二次元三兄弟はできたばかりのラジオをかつての同級生に配っていた。非常事態ということで、彼ら向けの放送を行っているようだ。
『……こちらは王都アストレア。大変なことになっている。トロールは今、王都から東に一キロ地点の村を襲っている……。王国軍が今から討伐に向かうそうだ。狭山、頼む』
王国軍の兵士となっていた狭山が落合に代わって喋り始めた。
『俺たち王国軍はこれからトロールと戦うことになる。総大将は委員長だ』
『えっ……? 歌澄さんや神代君は?』と西村が声を上げた。シンは魔王アスモデウスの力を持つ豪傑扱いされているし、葵だって強い魔力を持つ女王として名が知れている。もちろん羽流乃の強さも皆知っているが、相手のトロールも相当強い。シンと葵がいないのでは、飛車角落ちで名人に挑むようなものだ。
『二人は今いない……。でも、俺たち王国軍は一歩も引く気はない。絶対にトロールたちを押しとどめてみせる。委員長も不退転の覚悟で臨むって言ってた』
『大丈夫なのか……?』
落合も不安そうに尋ねる。ラジオの向こうで、狭山が笑ったのがわかった。
『全然大丈夫じゃねぇよ……。さっきから足が震えっぱなしだ。一回は戦場に出たんだけどな……』
先日のゴブリンたちとの一戦が、狭山にとって唯一の実戦経験だった。そしてそのとき、狭山は見ていた。
『だけど、俺は逃げない。あいつは、神代は逃げずに戦ってたからな。きっと神代も来てくれると思う。俺は戦って、絶対みんなに危害を加えさせないから、信じてくれ。俺は今までみんなみたいに活躍できてないけど、今度は俺ががんばる番なんだ』




