40 シンの部屋
「……それで指輪もないのに喧嘩を売ったと? 全く、あなたは呆れるほどのバカですね。本当に斬られてもおかしくはなかったのですよ?」
貴族と諍いを起こしたシンは別室に案内され、羽流乃に事情聴取を受ける。羽流乃はシンに辛辣な言葉を投げかけ、シンは苦笑した。
「ま、指輪とかそういう問題じゃないしな」
シンは堂々と胸を張る。幼稚園児にあきれかえっている先生のような顔をして羽流乃は大きくため息をつく。
「ハァ……。もう自分の部屋に戻ってくださって結構です。あの貴族は出入り禁止にしますわ。あなたも無駄に騒ぎを起こすようなら、わかっていますわね?」
「無駄なことしたつもりはないんだけどなあ」
「何か言いましたか?」
「……何でもないです」
シンは羽流乃にギロリとにらまれ退散する。羽流乃は記憶を無くしているのに、前世と変わらないやりとりだった。
シンは昨日通された客間に帰る。客間のドアを開けると、麻衣がいた。シンは部屋の前で立ち止まる。
「何やってるんだ?」
「掃除中やで~!」
いくつかの箒とちりとりが魔法の力か、ひとりでに動いて床を掃いていた。ベッドの上にあった布団も洗濯中なのか撤去されている。
「さっきはありがとうやで~! おかげで助かったわ」
「おう。困ったことがあったら、いつでも頼ってくれ」
麻衣は謝意を示し、シンは胸を叩いて笑顔を見せる。麻衣は「シンちゃんはほんとに凄いなぁ……」と感心してくれた。どこか表情が寂しげな気もするが、今は踏み込まない。きっと、本当に困ったら頼ってくれる。
「ところで、しばらく俺は戻れないのか?」
シンが訊いてみるといつもの明るさを取り戻し、麻衣は否定のそぶりを見せる。
「ちゃうちゃう。当分この客間は使わんで。シンちゃんはもうお客様やないから。シンちゃんは立派なロイヤルファミリーの一員やで!」
「じゃあ俺はどの部屋を使えばいいんだよ……?」
「昨日教えたやろ? しゃーないなあ。こっちやで」
麻衣に連れられて、シンは王宮内を移動する。王宮はそれなりに広いので、すぐには覚えきれない。昨日案内されたのだろう、シンは見覚えのある部屋の前に連れてこられた。この部屋がシンの部屋になるのだろうか。
「ノックしてから入るんやで」
麻衣はそれだけ言って仕事に戻る。自分の部屋なのになぜノックを? とシンは理解に苦しむ。一応シンは麻衣が言ったとおり、部屋をノックしてみるが返事はない。シンは部屋に入った。
「うわっ! なんだこの部屋!」
部屋に足を踏み入れて、シンは思わず声を上げる。部屋には何故か畳が敷かれていて、ゲームやらお菓子を入れた皿やらが散乱している。掃除をしない子ども部屋といった様相だが、箪笥やベッドはこちらの世界の高級品らしく、ちぐはぐだ。
「やっと戻ってきたんだね」
葵はゴミが散乱する中、畳にだらしなく寝転んでいた。葵が手に持っているのはゲーム機のコントローラーで、部屋の隅っこに置かれたテレビでは勇者がスライムと戦っていた。少しだけボランティア部が占拠していた茶道部部室を思い出す。
「どういうことだ……?」
あ然とするシンに葵は言った。
「開けっ放しはやめてくれないかな。こっちに入りなよ」
シンはおずおずと入室し、尋ねた。
「ここ、俺の部屋じゃないの?」
こともなげに葵は答える。
「婚約者同士なんだから僕と同じ部屋に決まってるだろ」
「そういうことか……」
シンは額を抑えて天井を仰いだ。続いてシンは気になっていたことを訊く。
「なんでこっちにゲームなんてあるんだよ?」
シンに問われ、葵は平然と答える。
「決まってるじゃないか。僕の記憶から錬金したんだよ。この畳だってそうさ。君も紅茶や急須を見ただろう?」
「記憶から錬金って……そんな簡単にできるものなのか?」
ならばシンがわざわざ蒸気機関を発明しなくても、葵に錬金してもらえれば何でも作れることになる。
「僕みたいに千年に一人の才能があればね。普通の人がやろうとすれば、材料揃えるだけでもちょっとした城が建つくらいのお金が必要じゃないかな」
葵の回答にシンは落胆する。葵は有り余る魔力によるゴリ押しで畳とテレビとゲームを作ったらしい。才能の無駄遣いにも程がある。二次元三兄弟は苦労してラジオを作ったようだが、彼らが報われない。
「作るならもっと役に立ちそうなもの作れよ……」
「僕の勝手だろう? 僕は君と違って貧乏な家の出だからね。ずっとやりたくてもやれなかったのさ。床も畳じゃないと落ち着かないし」
葵は楽しそうにコントローラーをぐりぐりといじる。国民的RPGの勇者パーティーは、広大とはいえないマップをゆっくりと歩いていた。
「前の世界でも魔法使えたんだろ? 作ればよかったんじゃないか?」
「素材がとれないよ」
葵によると、記憶から錬金するには、こちらの魔族からとれる薬や金属を使う必要があるそうだ。元の世界では葵は魔力はあっても使い方がわからなかったので、自己流で見つけた使い魔の魔法や箒で空を飛ぶ魔法くらいしか使っていなかった。
「まさかとは思うけど……俺たちがいない間ずっとゲームしてたのか?」
「午前中は僕も用があって出てたけど、午後からはそうだね」
だとすれば軽く三時間ほどはゲームをしていたことになる。シンはあきれた。
「……目が悪くなるぞ」
「頭が悪いよりマシだよ」
「ゲームは一日一時間!」
シンは叫んでみるが、葵は無視する。高橋名人に謝れ。
仕方なくシンは葵の隣に座って、葵がゲームしているのを眺める。葵は麻衣に作らせたらしいクッキーをつまみながら、ゲームを進めていく。
葵はダンジョンに入るが、どうにも要領が悪い。同じ所をぐるぐる回っていたり、宝箱の前を素通りしたりする。シンもやったことがあるゲームなので非常にもどかしい。なのでシンは、途中から口を挟み始めた。
「……そっち、左に宝箱あるぞ」
「違う、そこは右に進むんだ」
「その宝箱はトラップだから開けちゃだめだ」
プレイしたのは子どもの頃のはずなのに、シンは意外と内容を覚えていて、シンのアドバイスは次々と的中する。思い返してみれば、このゲームはシンのお気に入りだった。友達がプレイしたのを見てやりたくなったのを覚えている。葵は嫌な顔をして寝転んだままシンを見上げた。
「なんの嫌がらせだい?」
「は? 俺はちょっと助言してるだけじゃないか」
葵は拗ねた子どものように唇を尖らせる。
「さっきも言ったけどさあ、僕は君と違うんだよ。このゲーム、こちらの世界に来てからでないとやれなかったんだ。邪魔しないでくれる?」
部室にも麻衣の趣味でゲーム機は置いてあって、たまに葵も一緒にやっていた。しかし皆で遊べる対戦系しかなかったため、このRPGを葵がやったことがないというのは本当だろう。だが疑問は残る。
「自分が持ってなくても友達に貸してもらうとか、友達の家でやるとか、いくらでもできただろ?」
シンの言葉に、葵はますます拗ねる。
「友達がいなくて悪かったね」
「じゃあおまえ、子どもの頃何して遊んでたんだ?」
シンの疑問に、葵は懐かしそうに振り返る。
「母が僕に買ってくれた玩具は、ぬいぐるみを一体。それっきりだったよ。でも僕は、人形を買ってくれたことがすごく嬉しかった……」
だから葵は、そのぬいぐるみをずっと大切にした。紙で服を作ったり、おままごとの相手をさせたり。ゲームごっこで、勇者の役をさせたこともある。葵の一人遊びの相手は、ずっとそのぬいぐるみだった。そんな状態が、小学校低学年までは続いた。
「ああ、言われてみれば見たことあるような気がする」
シンはこちらに転校してくる前も、神代家に遊びに来たことがあった。きっとそのときに葵を見掛けたのだろう。
葵がようやく同級生たちと仲良くやれるようになったのは、小学校二年生のとき転校してからだ。葵は転校を機に努力して、瑞希たちと遊べるようになった。しかしその関係も破綻し、瑞希の自殺へと繋がっていく。
「さすがに高学年になってからはぬいぐるみで遊ぶことはなくなってたよ。ぬいぐるみも、いつの間にかなくなっちゃった」
「そうなのか……」
改めてシンは葵の横顔を見る。葵はゲームに集中していて、とても幸せそうだった。そっとしておこう、と思った。




