20 完封
マモン・ドラゴンの背後に回り込んだ複数のベルゼバブは『風の刃』を乱射する。堅い鱗に阻まれて効かないはずのそれで、空に血しぶきが舞った。
「なっ……!? 卑怯よ!」
「アホか。おまえが言うなや」
事態に気付いたマモン・ドラゴンは声を上げるが、そんな苦情は受け付けない。ベルゼバブの『風の刃』が切り裂いたのは、マモン・ドラゴンの大きな翼だった。本体と違って、重厚な鱗には覆われていない。ただ、薄い膜が張っているだけだ。いともたやすく切り裂くことができる。
翼をズタズタに裂かれ、マモン・ドラゴンはじわじわと高度を下げ始める。破られた翼に魔力を流し込み、マモン・ドラゴンは修復を試みるが、何度でも切り裂くだけだ。魔法の弾幕も避けられるばかりで、全く意味をなしていなかった。
「どうして……! どうしてこうなるのよ!? 私の方が強いはずなのに!」
「それは、おまえが弱いからや。想像力の欠如やな」
半ば悲鳴のようなマモン・ドラゴンの叫びを、ベルゼバブはばっさりと切って捨てる。業田静香は、指輪の魔力を現代兵器という形で顕現させ、散々シンたちを苦しめた。重信にそれができないのは、実力という他ない。
力のイメージが大雑把なので、でかくて堅いドラゴンとしてしか顕現しなかった。小回りの利く力が翼竜の人海戦術と魔法の弾幕だけでは、搦め手を得意とするベルゼバブに対抗できるはずがない。
「お仲間をもっとあてにすればよかったんや。おまえは急ぎすぎた」
もっとゆっくり、こちらが武力行使する大義名分を与えずにじわじわと事を進めれば、結果は全然違っていただろう。暴動を煽っていたのは下策中の下策だった。帝国を完全に敵としてしまった。味方のような顔をして勢力拡大し続けていれば、あからさまな弾圧はできない。
そもそも、本気で民主主義を志向するなら、シンたちは後援したはずなのだ。今すぐは無理でも、理想は民主主義なのである。王政から民主政への移行に、シンたちだって反対はしない。時計の針を進めてくれるのは、むしろ好都合だった。二次元三兄弟のように、独自の地位を築けただろう。
「器が小さいんや、おまえは」
仲間を信じることも、じっくりと待つことも、まっとうな道を歩むことも、全て放棄した結果がこのていたらくだ。シンたちへの対抗心だけで綱渡りを敢行し、見事に落っこちた。何人もの仲間を巻き添えにして。
「あなたなんかが私を語らないでほしいわね……!私は全てを望んだだけ。だから、強欲の指輪に選ばれた……! 私こそが真の魔王よ! 私は全部を手に入れる!」
怒りと自意識過剰の相乗効果で、マモン・ドラゴンは魔力をひねり出す。紫色のオーラがあふれ出し、ズタズタだった翼が急速に再生する。
「うるさいハエなんか、私に傷一つつけられるわけないわ……! 死ね、死ね、死ね~ッ!」
マモン・ドラゴンは滅茶苦茶に炎を吐き、魔法を撃ちまくる。ベルゼバブは嘆息するのみだ。炎のブレスは渦を巻いて高層ビルの一棟や二棟をなぎ倒せるくらいの大きさに広がり、ベルゼバブを襲う。
「何度も言わせるなや。死ぬのはおまえや。……『生贄の嵐』!」
数体のベルゼバブが消滅するのと引き換えに、一つの都市を消滅させられるくらいの大嵐が召喚された。マモン・ドラゴンが渾身の力で吐き出した炎はあっけなく散らされ、マモン・ドラゴンは大嵐に巻き込まれる。
「ガアアアアアッ! 私は負けない! 負けないの……!」
洗濯機に虫でも放り込めば、こんな惨状になるのかもしれない。魔王が巻き起こした大嵐の中では、風は爆弾となって何もかもをなぎ倒し、雨粒さえも鋼を砕く弾丸となる。周囲の全てが凶器だ。
いかにマモン・ドラゴンが抵抗しようと無意味である。マモン・ドラゴンの巨体でも、荒れた海にぽつりと浮かぶ小さなボートに過ぎない。『生贄の嵐』は強力すぎて、ムスカの港まで届いていた。船も家屋も飛ばされて流され、桟橋は倒壊する。砂浜は流出し、崖地は削られて崩落した。
マモン・ドラゴンの翼はちぎれ、鱗は剥がされ、手足がねじ切られる。肉をそぎ落とされ、血を搾り取られ、爪も牙ももげてしまう。それでも嵐が収まったとき、マモン・ドラゴンはまだ確かに生きていた。
「フ、フフフ……! 私の勝ち、ね……!」
ズタボロのまま、マモン・ドラゴンは辛うじて低空で浮いていた。弱々しいながらもギリギリ指に引っかかっていた強欲の指輪から魔力が供給され、マモン・ドラゴンはじわじわと回復を始める。
「おまえがそう思うんなら、それでええやろ。付き合いきれんわ」
ベルゼバブはもうすでにマモン・ドラゴン、いや、重信から興味をなくしつつあった。やるべきことをやらなければ。
「見てなさい、ここから私が鮮やかな逆転……!」
「『天の雷』!」
極大の雷がマモン・ドラゴンを包む。残ったベルゼバブ全てを生贄に捧げた一撃は強烈で、マモン・ドラゴンは塵一つ残さず消滅する。ここからが本番だ。ベルゼバブは加速し、雷の中に突っ込む。
「逃がさへんで……!」
マモン・ドラゴンのサイズに合わせて巨大化していた強欲の指輪はまさに今、人間サイズまで縮もうとしていた。また転移されて誰かの手に渡れば、同じことの繰り返しだ。ベルゼバブは空中で指輪を掴む。ベルゼバブは己の魔力で指輪の転移を阻止し、がっちりと確保する。
ようやく戦いは終わった。ベルゼバブが巻き起こした嵐は去り、まばゆい太陽が雲一つない空で柔らかな日差しを青い海へと反射させていた。




