19 獰猛なる使い魔たち
「その調子です! 隊列を崩さず、引きつけて撃ちなさい!」
羽流乃は自らも刀を振るいながら、翼竜の大軍と戦い続ける王国軍を激励する。ムスカ市内は至るところで火の手が上がり、空はオレンジ色に染められていた。立ちこめる煙で息苦しい。襲われている市民の断末魔の悲鳴も、絶えることがない。
とにかく、翼竜の数が多すぎる。どこかで陣形が崩れれば、そのまま壊走になだれ込みかねない。そうならないよう、陣形がほころびたところに羽流乃率いる近衛騎士が駆けつけ、敵を押し返す。エンドレスな繰り返しだ。
(このままでは保ちませんわね……!)
内心で羽流乃は焦る。倒しても倒しても、翼竜の数が減らないのだ。いっそ、ここは軍に任せて、羽流乃はベルゼバブの元に向かうべきだろうか。
しかし、羽流乃の逡巡はすぐに終わった。どこからともなく響く耳障りな高音。モスキート音に似ている。羽流乃は空を見上げ、目を見開いた。
真っ黒な何かが、空一面を覆い尽くしている。正体はすぐにわかった。ベルゼバブが放った無数のハエだ。ハエたちは続々と地上に降りてきて、翼竜にまとわりつく。
「! とにかく、敵に傷を与えなさい! それだけで充分です!」
即座に羽流乃は命令を下す。かすり傷程度でいい。ほんの小さな傷口からでもベルゼバブのハエは翼竜の体内に入り込み、内側から肉体を喰らい尽くす。喰われた翼竜は骨と皮だけになって消え、ハエたちはさらに増殖する。
みるみるうちに翼竜の数が減り始めた。その分、ハエの数は倍々で増えていく。これ以上、市民に被害が出ることはなさそうである。ただし、ハエが襲うのは翼竜だけではない。
「ドラゴンは魔王が放ったものではなかったのか? まさか、同志恭子が……?」
「いや、これは魔王の陰謀だ! 我らを欺こうとしているのだ!」
「邪悪な魔王め! 許すまじ!」
「革命だ……! 我らは革命を起こすのだ!」
まだ生き残って騒いでいる、『マモンの使徒』の一団がいた。彼らにもハエを放っているのはベルゼバブであるということくらいはわかる。もはや言っていることは滅茶苦茶だが、まだ帝国に逆らおうという元気はある。
ハエの一団は上空から降下し、彼らを包む。無論、彼らを跡形もなく葬るために。
「クソッ、こんなおぞましい手段で、我らを粛正する気か!?」
「我々は間違っていなかった……! 魔王は倒さなければならない……! だが我らは負……!」
「同志恭子万歳! 『マモンの使徒』万歳!」
「やめてくれ! 死にたくない、死にたくない!」
往生際が悪い者もいれば、信念を持って革命の殉教者となった者もいた。いずれにせよ、『マモンの使徒』の構成員をハエたちは決して逃さない。マモン・ドラゴンがやった無差別攻撃ではなく、狙い撃ちの精密攻撃だ。敵の全てを糧にして、ハエの数ばかりがどんどん増えていく。
終わらない持久戦で動きが鈍っていた兵士たちも息を吹き返し、翼竜の掃討に励む。翼竜も、『マモンの使徒』も、全滅するのは時間の問題だった。
○
「どうなってるの……? いつの間に……? 私が勝っていたはずなのに……!」
マモン・ドラゴンは動揺を隠せない。ムスカ市街では翼竜の魔力がほぼ消え、ベルゼバブと同質の魔力が満ち満ちている。
「もっと苦戦すると思ってたけど、おまえがアホで助かったわ。ウチの勝ちや」
早くもベルゼバブは勝利宣言した。強欲の指輪が発する魔力は、ベルゼバブに勝るとも劣らない。邪竜の肉体も頑健で、その力を十全に使える。うまく使えばベルゼバブは圧倒されてもおかしくなかった。
だが、マモン・ドラゴンはその力を使い魔の召喚で分散させた。おかげでベルゼバブは魔力を奪うことができ、チェックメイト寸前までに即座に至ることができた。
「おまえのお仲間も皆殺しにしてやったで。すまんな、利用ができんくなって」
ハエを介して直近の記憶を読み、きちんと選別してから攻撃を加えている。マモン・ドラゴンのように味方や罪もない一般市民を巻き込むようなことはしていない。あくまで『マモンの使徒』構成員と、一緒になって暴れた市民だけを魔力に換えた。
「一人一人を確認してから攻撃したっていうの……!? 狂ってるわ……!」
「ウチにはできる。おまえにはできん。それだけの話や」
「だからどうしたっていうの? 言ったでしょ、私は一人で完成されているわ」
格の差を見せつけられても、マモン・ドラゴンはまた懲りずに開き直る。サタンエル・サルターンと一対一で雌雄を決する覚悟を決めたのだろう。しかし、マモン・ドラゴンにそんな機会は永久に訪れない。
「ほ~ん、ならウチくらいには楽勝なんやろうな。『ハエの現し身』!」
ムスカ市街上空を覆っていたハエの大群は大挙してベルゼバブとマモン・ドラゴンがにらみ合う海上へ移動する。戦場へ近づくとハエたちは人型の塊となり、十数体のベルゼバブがマモン・ドラゴンを包囲した。
「ハッ、数が増えたからなんだっていうの! すぐに蹴散らしてあげる! 皆殺しよ! 死ね!」
「「「おまえが死ぬんやで」」」
マモン・ドラゴンは元気に吠えるが、ベルゼバブの群れは一斉に失笑するばかりである。状況が180°変わっていることに、マモン・ドラゴンだけが気付いていない。
マモン・ドラゴンは炎を吐き出しながら周囲に魔方陣を展開し、狂ったように炎や雷の魔法をばらまく。一対一のときは回避だけで精一杯になっていたベルゼバブだが、今は違う。
何人かが集まって風を吹かせて盾を作り、炎のブレスを防ぐ。その間に数体のベルゼバブがマモン・ドラゴンの背後に回り込み、『風の刃』を乱れ撃った。マモン・ドラゴンは後ろにも魔法で弾幕を張っていたが、見えているわけではない。自分の大きな翼で視界は遮られている。回避しながら攻撃するのは簡単だった。
戦いは終わる。ベルゼバブの勝利という形で。すでにベルゼバブは、確信していた。




