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13 歴史の岐路

「麻衣ちゃん先輩さえいれば、どうとでもなるんですけど……」


「この非常事態に、麻衣はいったい何をしているのですか……!」


 ジョスが重信の元へと向かう数時間前。冬那が嘆き、羽流乃は怒る。完全に手詰まりの状況で、シンもうなだれるしかない。しかし救世主は、もうすぐそこにいた。


「決まってるやろ? 勝つために仕込んでたんや」


 窓の隙間から無数のハエが侵入し、人形を形作る。ハエの塊はまばゆい光とともに変異し、麻衣となった。


「麻衣! 帰ってムグッ……!」


 シンは思わず大声で叫びそうになるが、麻衣が小さな手で口を塞ぐ。


「ダメやで、シンちゃん。ウチが帰ってきたのは秘密や! 今度こそ先手を取らせてもらうで!」


 麻衣はドヤ顔でシンを見上げる。シンと同じように大声を上げそうになっていた羽流乃や冬那も落ち着きを取り戻しており、控えめな声で麻衣を迎える。


「お帰りなさい、麻衣ちゃん先輩!」


「……フン、シルフィードの方は決着がついたのですか?」


 シルフィードでも重信傘下の活動家が現在進行形で騒ぎを起こしているという話だった。いくら麻衣でも、こんな短期間では収拾できないだろう。


「そっちはレオンとクイントゥスに任せた。なんでもかんでも自分でやる必要はないんや。ウチが直接やるよりイメージがええわ」


 麻衣はシルフィードでの騒乱が長期化するのは避けられないと見切って、臣下に丸投げの上こちらに駆けつけたのだ。確かにイメージ的な話なら、自分でやらない方がよい。


 麻衣が直接出馬すると、どうしても人外の女王が単なる人間を弾圧しているという図式になる。しかし、人間のレオンとエルフのクイントゥスの二人に協力してやらせれば、異種族による弾圧というイメージはかなり薄れるだろう。同じように武力行使しても、伝わり方は全然違う。


「ウチが来たからにはもう安心やで! 重信くらい、すぐにでもひねり潰したるわ! 今日中に全部終わりやで!」


 麻衣はない胸を張る。麻衣であれば、一瞬で重信の所在地を特定することが可能だ。冗談抜きに、一日で決着をつけられる。


「だったらすぐにサラマンデル軍を市内に乗り込ませましょう!」


 羽流乃は気色ばんで身を乗り出すが、冬那は止めた。まだ早い。肝心のことを訊いていないのだ。


「重信さんの居場所はわかったんですか!?」


 その問い掛けに、麻衣はあっさりと答える。


「いや、わからんなあ」


 全員がずっこけそうになるが、麻衣はニヤニヤと笑っている。今、わからないからといって、当てがないわけではない。麻衣はドアの向こうに呼びかける。


「そんなところで盗み聞きしてないで、入ってこようや。これでもウチは、あんたのことを買ってるんやで」


「わ、私も、陛下たちのお話を聞かせていただいてよろしいのですか……?」


 ジョスはドアを開け、おずおずと入室する。部屋が騒がしいので、聞き耳を立てていたらしい。


「もちろんや。あんた、重信に誘われてるやろ?」


 麻衣は何の前置きもなしにズバズバと切り込んでいく。ジョスはごくりと音を立てて生唾を飲み込み、大きく顔を引きつらせた。しかしながら、はっきりと首を縦に振り、告白する。


「陛下たちに隠し事はできないようですね……。その通りです。私はずっと、『マモンの使徒』から陛下たちを裏切るように、勧誘を受けています」




 『マモンの使徒』からの接触は、今に始まったことではない。シンたちがムスカの地にやってくる一年ほど前から、ジョスの元には間諜と思われる人物がやって来ていた。


 最初に求められたのは、新聞社への出資である。ジョスにはお金がなかったし、きな臭さを感じたのでやんわりと断った。間諜はしつこく粘ったりせず、文句を言うこともなく、にこやかに去って行った。


 その後もちょくちょく彼らは現れ、大小様々なお願いをしてくる。講演会に出席してほしい。党の思想をまとめた本を出版するので買ってほしい。拠点として建物を借りたいので、許可を取りたい。決して彼らが威圧的な態度に出ることはなかった。


 ジョスは地元の領主としてうまくやっていく責務がある。ほとんどのお願いは断ったが、大したことがないものについては受けることもあった。近づきすぎず、かといって完全に拒絶することもできない。少額だが資金を出したこともあった。


 状況が変わったのはここ最近だ。ムスカでの騒ぎが大きくなるにつれ、『マモンの使徒』の態度も大きくなってきた。多額の資金提供依頼に、デモで道路を占有することの許可。果ては入党要請である。


 ジョスは変わらず冷静に、今まで通り受けられる依頼は受け、そうでないものは断ろうとする。しかし接触してくる間諜は、ほとんど脅迫のように、ありとあらゆる要求を突きつけてきた。断ると恫喝されるが、さりとて王国を裏切るわけにもいかない。


 神経が参ってきたところで、一転して柔和な態度の若い諜報員がやってきた。まだ少年と呼べる年齢の彼は、厳しい要求を突きつけることなく、ただジョスと雑談してから帰る。やたらと美形な諜報員を男のジョスに送り込んできた意味はわからなかったが、ハニートラップを警戒しなくてよいのは助かる。


 数日間彼との雑談を繰り返し、ジョスも少しは落ち着きを取り戻した。出しているお茶を味わう余裕さえ出てくる。そこで彼は切り出した。


「もう帝国は終わりです。民衆の決起は、すでにシルフィードに波及している。グノームやウンディーネも時間の問題でしょう……」


 ジョスは脳内で計算を働かせる。亜人の多いシルフィードで混乱が収まらない。時間は掛かるだろうが『マモンの使徒』は、これをモデルケースに同じく亜人の多いウンディーネでも民衆蜂起を起こせるだろう。帝国の故地であるにもかかわらず帝都に選ばれず、幼子を女王としているグノームも危うい。


「いきなり鞍替えしてほしいとは言いません。しかし、まずは我々の指導者に会っていただけませんか? 同志恭子もあなたを心待ちにしているはずです……」


 ジョスが裏切れば、雪崩を打って他の貴族たちも寝返り、帝国は本当に終わるかもしれない。ジョスは今、歴史の岐路に立たされている。


 一方で、『マモンの使徒』が失敗すればジョスのモンターニュ家は族滅の憂き目に遭うだろう。だが、それはジョスが裏切らなくとも帝国が敗れれば同じことだ。まさに最前線の領主であるジョスは勝ち馬に乗るしか生き残る目はない。


 世界の命運など、どうでもよい。モンターニュ家を後世に残すのがジョスの使命だ。ジョスはカップを持った手を震わせた。

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