8 眠る邪竜
「陛下、こちらが報告書です……! ムスカの地下に巨大な何かがいることは間違いありません……!」
レオールから呼び寄せた地の魔法使いたちは、揃って青い顔をしながら、簡易に据え付けられた玉座に座るシンの前に頭を垂れる。臨時の執務室として、ジョスの館を整備させたのだ。本腰を入れて対策に当たらなければならない異常事態である。
シンが報告書をパラパラめくると、羽流乃と冬那も覗き込む。デモ隊が町の中で気勢を上げている中、よく調査してくれた。
「やはり、いるのですね……!」
調べさせたのは、この地域に語り継がれている伝承と、地下に存在する魔力の居所だ。あのじいさんが騒いでいたのは本人の妄想、与太話ではなかった。破壊天使が邪竜を封印したという伝承が残っていたのだ。
邪竜を刺激しないようにつつましく暮らすこと、なんて言い伝えもある。そもそものムスカの始まりが、邪竜の監視者たちの村だったのである。伝承に加えて地の魔法使いによる実地調査で、封印されている場所も突き止めた。
「位置的には郊外ですね。町中じゃなくてよかったです」
冬那がホッと息をつく。おぼろげに魔力を捉えた冬那の予感は的中していた。羽流乃は、その方向に精神を集中させる。羽流乃は地下深くに眠るものの全容を掴んだ。
「あのご老公がおっしゃっていたとおり、いるのは竜ですわね……! かなり大きい……! 確かにこんなものが暴れたら、ムスカは滅びます」
羽流乃が探った限りだと、地下で眠っている竜のサイズは二十メートルほどもある。ウリエルが封印したということは、他の天使では勝てない相手だったということだろう。ということは、単体の魔王で相手をするのも危険ということだ。そんなものが地上に出てくるのは悪夢である。
「……つってもただのモンスターだろ? 俺たちなら余裕で勝てるんじゃねーのか?」
シンは努めて明るい声を作り、訊いた。シンたちの精神力に反応して無限の魔力を放出し続けることのできるサタンエル・サルターンに倒せない敵などいないはずだ。羽流乃はクソ真面目な顔を崩さずに答える。
「勝てるか勝てないかでいうと、勝てると思いますわ。ただし、町に被害を与えずにと言われれば、難しいのではないでしょうか」
当たり前の結論だった。サタンエル・サルターンの魔力は大きすぎるし、地下に潜む邪竜の魔力も、波動で地震を起こせる程度には大きい。その二体が激突すればどうなるかは、自明の理だ。
調査団のリーダーは、報告を続ける。
「我々が探った限りでは、邪竜は反覚醒状態にあるようです。伝承の通り、地上での騒乱が続けば、覚醒してしまうのではないかと……」
文字通りの派手な騒音も感じ取っているだろうし、魔力の波動を伴えばさらに確率は高くなる。今、開発反対派が騒いでいるのがよろしくないのは間違いない。
「軍隊出してドンパチやったら、すぐ目覚めちまうんじゃないか、これ……?」
シンは頭を抱えるしかない。こんな危険な状態なら、デモを行っている集団を武力鎮圧してでもこの地を静謐にすべきだ。しかし、そんな大騒動を起こせば邪竜が目覚めて本末転倒である。
「しかし手をこまねいて見ているわけにもいきません……! すぐに準備をしましょう」
「ですね。本当にやるかどうかはともかくとして、準備です」
羽流乃と冬那はシンを挟んでうなずき合う。説得して収まるのなら一番いいが、そうはならないだろう。重信は絶対に便乗して暴れる。強欲の指輪と邪竜が結びつくようなことがあれば、最悪だ。
「……麻衣はいつこっちに来られるんだ?」
麻衣がいれば、戦うにしてもそうではないにしても心強い。
「あと三日ほどで到着すると伺っております……!」
シンの問いに、調査団の一人が答えた。緊急事態なので、急ぎこちらに向かってくれている。ただ、それでも諸々の残務処理と移動時間があるので。時間は掛かる。シンは、麻衣の姿を見るのが本気で待ち遠しく思った。
シンはレオールからサラマンデル王国軍を呼び寄せるとともに、即日ムスカからの退去勧告を出すことにした。大通りの掲示板に貼って終わりとするわけにはいかないので、記者会見を開く。
本来なら、この地域を治めるジョスに任せてしまいたいところだが、シンたちがムスカに滞在しているのは公然の事実だ。シンたちが直接出ざるをえない。
ジョスの屋敷では手狭なので、ムスカ一大きい教会を貸し切って、会見を行う。普段なら静かで厳かな雰囲気であるはずの教会は、報道陣が喋る声でガヤガヤとうるさかった。重信の息がかかった記者も混じっていることだろう。シン、羽流乃、ジョスの順に前で並び、冬那は欠席だ。若干の不快感を覚えつつ、シンは登壇して挨拶する。
「今日はお集まりいただきありがとうございます。今日お集まりいただいたのは、他でもない、ムスカに迫っている危機のことです……!」
説明そのものは調査団のリーダーに任せてある。全てを包み隠さず伝えるように指示していた。シンと羽流乃も帰ってしまうことなく、同席し続ける。公務の都合ということにして離席してもよかったが、記者たちは「皇帝と女王が逃げた」と書き立てるだろう。まあ、残ってもろくなことにはなりそうにない。だからこそ残った方が、まだ臣下の信用を得られるというものだ。
調査団リーダーは細かくデータが書き込まれた資料を配り、調査方法等も含めて丁寧に、じっくり長々と説明する。大変お役所的であるが、揚げ足を取られないための措置だ。開始までは私語ばかりだった記者たちも、さすがに静かになる。静かになりすぎて、居眠りする記者も出てくる始末だった。
そうして二時間ほど説明が続き、ようやく終わる。ここからは質問コーナーだ。どんな頭の痛い質問が出てくるのか、シンは気が気でない。
しかし、意外にも手を挙げた記者は一人だけだった。司会役のジョスはつばの広い帽子を被ったその女記者を指名する。女記者は勢いよく立ち上がり、帽子を投げ捨てる。
「い、いきなり何をしているのですか! 無礼ですぞ!」
ジョスは慌て、シンと羽流乃は表情をこわばらせる。
「無礼なのはあなたたちの方よ。私たちのムスカに土足で上がり込んできて。私たち『マモンの使徒』は、全ての帝国権力のムスカからの退去を要求します! これが、ムスカの民意です!」
ニヤニヤと笑いながら、重信は堂々と要求した。




