4 ムスカの騒乱
一週間後、シンたちはムスカの地に立っていた。郊外の丘から町全体を見下ろし、シンはつぶやく。
「思ったより都会だな……」
緩やかに海まで続く傾斜地に、整然と洋瓦を乗せた赤い屋根と漆喰の真っ白な壁の家々が並んでいる。ここに至るまでの道程でも、水田こそなかったものの畑作地帯が広がっていた。サラマンデルの国土の果ての果てなので、寂れた寒村なのだとばかり思っていたが、結構人が多そうだ。羽流乃が解説してくれる。
「ムスカは辺境ですが、地形が険しいので案外魔物がいないのです」
加えて、気候が温暖なので近海なら魚がよく捕れるし、山の木々も家屋や船舶の材料とするため金になる。大きな川がないので農業生産力は高くないものの、シンが作り出したジャガイモやトウモロコシが広まりつつあり、それなりの収量を確保できるようになってきている。平野部が少ないので住める人口は限られるものの、決して何もない田舎ではないのだ。
「それだけ好条件が揃ってるなら、開発もしやすそうですね」
冬那は一通りの話を聞いてそう述べる。港に適した地形でもあるので、アリエテに次ぐ港湾都市になれるポテンシャルはある。あとはシンたちの手腕次第だ。
「さっそく、話を聞いていこうぜ!」
シンは羽流乃と冬那を連れて歩き出す。麻衣はシルフィード本国が少しゴタゴタしているため、今回は欠席だった。移民の入植地で亜人族との諍いが起きているのだ。情報収集となると専門家の麻衣がいないのは痛いが、事態は緊迫している。フアナも連れてくるわけにはいかないので王宮で侍女たちに預けていた。
「ん? あれ?」
とにかく全貌をつかまなければ。そう思ってシンは意気揚々と足を踏み出すが、すぐに立ち止まる。低い地響きが聞こえたのだ。程なくして、地面ががたがたと二回ほど揺れた。
「……地震ですわね。この地域では多いそうです」
「日本に似てるんですね。でも、どうしてでしょう。何か感じるような……?」
震度でいえば2か3くらいだろう。羽流乃も冬那も落ち着いたものだ。出鼻をくじかれたように感じるが、気を取り直してがんばろう。
例によって調査はお忍びである。冬那に気配がわからなくなる魔法を使ってもらい、ムスカの市街へと入っていく。しばらくのどかな住宅地が続くが、海に近い中心市街に入ると様相が一変した。
「港湾開発反対! 魚が獲れなくなる!」
「ムスカの美しい自然を破壊するなんて、とんでもない話だ!」
「皇帝一家は民のことを考えてくれない! サラマンデルは我々の国だ! よそ者は出て行け!」
横断幕を掲げて声を張り上げ、一団は通りを練り歩く。海際の開発予定地では、座り込みをしている者もいた。現地で測量しようとする技術者たちは石を投げられて追い散らされる。土地収用交渉のために設置した事務所には官吏が詰めているが、敷地から一歩も出ることができない。
「こりゃ、無理だな……」
シンは騒がしい通りを遠巻きに眺めながら嘆息する。通りの向こうには剣を携えた天使の像があり、ちょっとした観光地になっているそうだが、近づくことさえ不可能である。
通りではカメラを携えた記者たちが何人もうろうろしていた。この騒動を聞きつけて、帝国全土から新聞記者たちが駆けつけているのだ。
住民に直接話を聞きたいと思っていたが、とてもそんなことをできる雰囲気ではなかった。シンたちの素性がばれれば、住民にもマスコミにも取り囲まれてしまうだろう。
「ほとんど暴動ですね……。どこかに首謀者がいるはずですが……?」
羽流乃は剣呑な目つきで威嚇するように周囲を見回す。視線だけで堅気の者でないことがばれてしまいそうだ。羽流乃ににらまれて出てきたわけではないだろうが、首謀者と思われる者たちは、堂々と隊列を組んで通りのど真ん中に躍り出る。
「すっごく派手ですね」
冬那は平坦な声で言った。数十人の一団は真っ赤なジャケットで身を包んで大きな旗を風にはためかせつつ、我が物顔で通りを闊歩している。どうやら彼らが、騒動の中心のようだ。
「みんな、活動お疲れ様! 私たちの力で、サラマンデルをよそ者の手から取り戻しましょう!」
先頭に立つ女が声を張り上げると、あちこちから歓声が上がった。女の声は風の魔法で拡声され、シンたちのところまで聞こえてくる。冬那は彼女の顔を見てギョッとする。
「あれ、重信さんですね」
「そうだな……」
しげしげと顔を見て、あやふやな記憶がはっきりとした輪郭を作る。本人が堂々と表を歩いているとは、シンも思っていなかった。しかし勇ましい格好の重信は、勇ましい演説を続ける。
「統一帝国の皇帝は、邪法で転生者を増やして、この世界を意のままにしようとしているわ! このままだと、この地にも転生者たちがやってきて、乗っ取られる! そんなこと、許せない!」
重信の言葉は事実無根だった。転生者が増えているのはシンが意図したことではないし、ムスカに大量の移民を送り込む予定もない。しかし、デモ隊や店舗から顔を出した住人などの聴衆たちはワーッと声を上げて盛り上がる。
「私たち、『マモンの使徒』は、あなたたちの味方です! 武力による統一帝国皇帝の横暴を許してはいけません! だって、サラマンデルはサラマンデル国民のもので、ムスカは皆さんのものじゃないですか! それが民主主義というものです!」
人気アーティストのライブのごとく、聴衆たちは手を叩き、叫び声を上げ、重信の言葉に賛同の意を示す。下手に手を出すと暴動になる。町には警邏の者も配置されているが、知らん顔をするしかない。
「皆さんは安心して活動してください! もし統一帝国皇帝が武力に訴えようとしても、我々『マモンの使徒』が阻止します!」
重信がこれ見よがしに掲げた指輪を見て、シンは目を疑う。それは確かに、シンたちが現世まで追いかけて抹殺した強欲の魔王マモンのものだ。あまり力は感じないが、どうして重信が持っている?
「でも、皆さんが武力に訴える必要はありません。それでは悪逆無道な皇帝と同じになってしまいます。我々の武器は声です! 我々の声で、民主主義でこの国を変えるのです!」
いっそ、暴れてくれた方が楽だった。軍隊を出して有無を言わせず制圧できる。
「サラマンデルのことはサラマンデルで、ムスカのことはムスカで決めましょう! この国を、民主主義で生まれ変わらせるんです! よそ者の貴族と皇帝を、我々の国から追い出しましょう!」
重信はたびたび民主主義というワードを使って煽る。聞いている者たちは気持ちよく乗せられていく。
「サラマンデル万歳!」
「ムスカ万歳!」
「マモンの使徒万歳!」
聴衆の熱気は最高潮まで上がり、万歳三唱が鳴り止まない。ベルトランたちが手を焼いている理由がよくわかった。これは一筋縄ではいきそうにない。渋面を作り、シンたちは撤退する他なかった。




