2 不安の種
さて、町中をぶらぶらするシンたちだが、目的があっての外出でもある。シンは目的地近くの区画まで出たところで新聞を広げた。
「え~っと、ドレイク通り三丁目二番地……。この辺のはずなんだけどな」
シンは顔を上げてキョロキョロと周囲を見回すが、目印らしくものは見当たらない。どれどれと、麻衣は新聞を覗き込む。
「ふむふむ、マンドラゴラ通り五丁目のカフェでステーキ食べ放題!? シンちゃん、これは行くしかないやろ!」
麻衣は新聞の下段に大きく載せられている広告に目を奪われていた。
「確かにうまそうだな……!」
ドーンと分厚い肉が枠一杯に広がっている。したたる肉汁はモノクロ写真なのに凄い躍動感だ。湯気が見えてきそうである。
「二人とも、真面目に探してくださいよ。ステーキならお城のコックに作らせればいいじゃないですか。……この建物があそこだから、あっちじゃないですかね?」
冬那が冷静に会場の写真を見て言う。確かにそれっぽい。肉も惜しいが、旧友との約束が優先だ。シンはそっと新聞を閉じ、歩き出す。
そしてシンたちは目的地の美術館に到着する。一度、通り過ぎてしまった場所だった。それもそのはず、美術館の前は人だかりができていて、入り口の看板が見えなかったのだ。
「悪いけど、通してください!」
シンは権力で群衆を追い散らすようなことはせず、叫びながら人混みをかき分けて美術館の入り口になんとかたどり着く。「帝国大写真展」。上空から帝都レオールの全景を切り取った壮大な写真とともに、どでかく看板が掲げられていた。
「ほんまに大盛況やな~!」
チケットを買って入場しながら麻衣は目を丸くする。写真がブームになってからせいぜい三ヶ月程度なのに、ここまで満員御礼になるとは。シンたちの後援があったとはいえ、驚嘆に値する。
「物珍しさってわけじゃ、なさそうですね」
冬那は、展示されている写真をしげしげと眺める。グレート=ゾディアックの天まで届かんという高さの大城壁に寄りかかって空を見上げる美少女。小さな写真なのに、ものすごく壮大に見える。雨の中、水しぶきを上げながらマスケット銃を抱えて泥道を行進する兵士たち。当然、静止画なのに、冷たい水がこちらに飛んできそうな躍動感だ。
風景写真もいくつかあったが、全て白黒なのに鮮やかな色彩が伝わってきそうな美しいものばかりだった。素人のシンたちにも、芸術的だと感じられる。全て単なる写真ではなく、作品だ。
「神代、待ってたぜ」
シンたちの声を聞いて、奥から一人の男子が出てくる。シンと一緒に転生してきたかつてのクラスメイト、櫻井だった。現世では写真部で活躍し、今はこの世界で初の写真家となっている。
「こんだけ入ってるなら、一安心だな」
「神代のおかげだよ。場所も金も貸してくれなきゃ、ここまではできなかった」
照れているのか、櫻井はポリポリと頭を掻く。ちょうど、二次元三兄弟に融資しようと用意していた資金が余っていたので、支援を申し出た櫻井に貸し付けたのだ。当初の思惑としては、写真機が珍品扱いのままで消えないように、くらいのつもりである。
思った以上に櫻井は仕事をしてくれて、写真はこの世界に一気に普及した。嬉しくもあるが、トラブルの元にもなっているので頭が痛くもある。写真展を見てもらって、当面の発展が文化芸術的な方向になればいいのだが。冗談めかして麻衣は言った。
「せやから、ちゃんとウチらの言うこと聞くんやで? 隠し撮りとか、変なテクニックは教えたらアカンで?」
「ハハハ、そんなテクニックは俺も知らないよ」
櫻井は苦笑する。痴漢の疑いを掛けられているのと同じなので、笑うしかないのだろう。というか、その手の技術は麻衣の方が詳しいのではないか。しかし櫻井は、少しだけ寂しそうな顔をして付け加えた。
「重信だったら、できたのかもしれないけどな」
「……ああ、そんなやつもいたな」
誰だっただろう、としばらく考えてからシンは思い出す。目立ちたがり屋のトンチキな女だった。「政治家になって日本を変える!」なんて大言壮語を吹いていたが、決して生徒会選挙などに立候補することはない。クラス会でも静かなものだった。
むしろ印象に残っているのは、授業で難しい問題を得意げに解説する姿だ。成績はそこそこ上位で、それを鼻に掛けていた気がする。にもかかわらず結構抜けていてバカだったので、憎めない女という扱いで嫌われてはいなかった。
多分、自分を大きく見せたいタイプなのだろう。付き合いが少なかったシンの記憶にはあまり残っていなかったが、櫻井としては印象深い相手だったようだ。櫻井はまたも苦笑する。
「案外、おまえって冷たいやつだよな。俺は忘れないよ。前衛的な絵を撮るんだって、ラーメンとパスタとうどんをいっぺんに食わされたときは死ぬかと思ったよ」
重信は写真部でも個性的な写真を撮ることに命を賭けていたと聞く。ほとんどは訳のわからないものだったが、たまにみんながうなるようなホームランをかっ飛ばしていた。
「そう言われても、俺はこっちでも全然関わりなかったしな」
転生してきたばかりの重信は、グノーム王国の王都アストレアで役人になっていたと聞いている。そのまま残っていればシンの右腕になっていたのかもしれないが、彼女は「歌澄と神代の下なんて、まっぴらごめん。私はもっとビッグになりたい」と退職していた。
その後、新聞社に就職したが、すぐにまた辞めたとのことだ。その後の足取りはわかっていない。グノームからは出国しているようだ。元気にしているといいのだが。
「……なんだか、嫌な予感がするんだよ。ほら、あいつ成績はよかったけどバカだから」
「考えすぎじゃないか? そんな無茶するやつじゃないと思うけど」
そこまで危険人物扱いしなくていいだろうに。シンは楽観的に考えるが、櫻井は腕組みして深刻そうに首を振る。
「普通の時ならな。やらかしてなきゃいいんだけど……」
櫻井は天を仰ぐ。櫻井の心配が当たっているなんて、このときのシンには知るよしもなかった。




