21 メガミの真実
「ど、どうしてメガミがこんなところに……?」
水槽に浮かぶ裸のメガミを見て雅雄は声を絞り出す。水槽を満たす液体は赤く濁っていてよく見えないが、顔は見間違えようもない。確実にメガミだ。
「……ダメージを回復させるとともに、記憶を消しているのだよ。もう一度マモンと戦うために」
雅雄たちの背後から憂いを帯びた表情のヤスさんが現れる。ヤスさんが急に出てきた驚きさえどうでもよかった。雅雄は訊き返す。
「記憶を消すって、どうしてそんなこと……!」
メガミはヤスさんの実の娘だ。なぜ、記憶を消すなんて酷いことをするのだ。
「こうするしかないのだよ。メガミの魔力の源は純真性だ。敗北の記憶は、メガミの力を失わせる……」
ヤスさんは悲しげな顔をして言う。メガミは魔法少女だ。純真に、自分を信じているから力を発揮できる。自分を疑えば、戦うことなんてできなくなる。だから負けたら記憶を消す。そして何度も戦わせる。まるで拷問だ。
「ヤスさんが、自分で戦えばいいでしょ……? 記憶を消して、勝てなかった相手ともう一度戦わせるなんて酷すぎるよ……! メガミが死んじゃったら、どうするんだよ……! ヤスさんじゃなくてもいいよ、代わりに誰かが……!」
思わず雅雄は意見していた。メガミが誰かに負けたという事実と、記憶を消すなどという非道な方法を目の当たりにしたショックで頭が真っ白になりそうだ。ヤスさんでなくても、神様は複数いると聞いている。メガミが負けたのなら、誰かが代わりに戦えばいいではないか。
雅雄の言葉を聞いて、ヤスさんは静かに首を振る。
「無理なのだよ……。我々にそんな力はない……」
葵は嘆息して投げかける。
「その勇気がない、の間違いじゃないの?」
「そうかもしれない……。でも無理なんだ……。私だってこんなことはしたくないよ……。しかし、私の言葉では誰も動かない……」
ヤスさんはうなだれる。ヤスさんが一人で戦っても勝てないし、かといって仲間の神様が加勢することは期待できない。すすけた中年の背中が見えたような気がした。ツボミはお構いなしに尋ねる。
「……で、どうする気なの? リアルワールドで戦ったら、また負けるんじゃない?」
よくわかっていないだろうに、そこまで言うか。ツボミの容赦ない物言いに、雅雄はちょっと引いた。しかしヤスさんには引く余裕さえなくて、真面目に戦略を語られる。
「今度はこっちの世界でメガミに戦ってもらうつもりだ。双月姉弟にも頼んで加勢してもらえれば、勝てると思う……。今、ノブに二人を呼びに行かせてるよ。だからとにかく、メガミが目覚めるまで時間稼ぎだ……」
リアルワールドに援軍を呼びに行ったのはいいが、この世界は時間の流れが五倍早い。連れてくる頃には手遅れではないか。それに、あの二人のスペシャルバーストでもLv.99まではいかない。
「あとどれくらいで目覚めるんですか?」
ヤスさんは雅雄の質問に対し、途方に暮れたような表情を見せる。
「あと一時間くらいだ……」
「……」
雅雄は絶句した。あの回廊を突破すれば、静香を遮るものは何もない。城でいえば、天守閣に攻め込まれる間近といったところだ。一時間も保つわけがない。
静香のオーバーライドが限界を迎えるのを期待するしかないが、静香のテンションはかつてないほどに上がっているのでそれも望み薄だろう。わかっているから、ヤスさんは「メガミに戦ってもらう」なんて言ったのだ。状況は絶望的である。
案の定、すぐに静香は階段から靴音を響かせて現れた。
「あらあら。木偶の坊がそろいもそろって何してるのかしら。私に殺されるのを待っていたの?」
静香は心底楽しそうにニッコリ笑う。
「本当に嬉しいわ。あなたたちを思う存分切り刻めるんだもの。死なない程度に加減しなきゃいけないのは残念ね。記憶をなくしちゃつまらないもの。前にも言ったとおり、しっかり後悔してもらうわ」
もう、この場で静香と戦えるのは雅雄たちだけだ。でも、勝てるのか? 先ほど負けて、葵の助けで逃げてきたばかりだというのに。葵が最初から力を貸してくれたとしても、焼け石に水だ。
気付けば、雅雄の足は震えていた。静香は雅雄の様子に全く気付くことなく、いかれた独演会を続ける。
「でも、この中に呼んだ覚えのないやつが混じってるわね。そこの二人には、さっさと死んでもらおうかしら」
静香は葵とヤスさんの方に目を向け、掌を頭上に掲げた。静香の掌から炎が噴き上がり、巨大な火球を形成する。静香の力は、スキル名を叫ばなくても魔法を発動できるほどに高まっていた。
今、雅雄がやるべきことは何か。わかりきっている。たとえ勝てなくても静香に立ち向かうことだ。メガミの覚醒までは保たないにしても、葵の仲間は間に合うかもしれない。静香は雅雄とツボミを殺す気だけはないので、最悪でも葵とヤスさんの盾にはなれる。ヤスさんは当てにならないが、葵は何か策を思いついてくれるかもしれない。
頭ではわかっていたのに、雅雄の足は動かなかった。ただ、震え続けるだけである。
「雅雄……ボクらは諦めない。そうだろう?」
ツボミは小声で言って、そっと雅雄の手を握ってくれる。ツボミの暖かさに触れて、少しだけ震えが収まった。そうだ、雅雄たちには雅雄たちのやり方がある。何もできずに流されるだけなんてもう絶対に嫌だ。やるだけはやろう。
手をつないだ二人を見て、静香は不快そうに眉をひそめる。
「あら、まだ抵抗する気なの? 盛ってるせいか、元気ね……! それでこそ、殺し甲斐があるってものよ!」
雅雄とツボミはそれぞれの剣を呼び出そうとする。しかし静香は突然振り向き、作り出していた火球を雅雄たちとは真逆の方向に放った。
「残念! 思ったより早かったわ! タイムアップね!」
火球は壁に激突して爆発した。壁面は崩落するとともに燃え上がり、地下室は衝撃で揺れる。
「出口はこっちね……! 雅雄、現世でまた会いましょう!」
静香は炎の中に消える。ほぼ同時に、声が響いた。
「葵、助けに来たぜ!」
「待ってください、シン君! マモンはあっちに逃げましたわ!」
「あっちが出口になってるんや!」
「現世に出るのが先決です! 行きましょう、先輩!」
声はどんどん遠くなっていく。雅雄たちは、どういうわけかまたフリーズ状態に陥り、動けなくなっていた。ヤスさんだけが普通に動いていて、慌てている。
「いけない……! 強い魔力の持ち主を集めすぎた……! ログイン状態を維持できない……! どうにかしなくては……! とにかく、彼らを現世には……!」
聞き取れたのはそこまでだ。雅雄は眠るように意識を手放し、ワールド・オーバーライド・オンラインからログアウトした。




