6 墜ちてきた少女
凄まじい魔力が出現したのはバルサーモ島のウリエルが封印されていた祭壇だった。ウリエルが倒されたことで強力な魔物もめっきり減り、空から近づける程度には安全になっているが、やはりこの場所に来るのは緊張する。
シンは祭壇の前に飛び降りてドラゴンを消し、慎重に祭壇の中を伺う。殺気は感じない。そこにいたのは、寒気がするほどに強大な魔力を纏った一人の少女だった。
「ここはどこ……? 私は誰……?」
美少女といって差し支えないかわいらしい女の子である。まあ葵、羽流乃、麻衣、冬那の方がかわいいけどな! 少女は、うつろな目でふらふらと石畳の建屋を歩く。どう見ても日本人だ。
こんなところに出現している意味がわからないが、罪を犯してこの世界に落ちてきたのだろうか。ならば導くのはこの世界の皇帝たるシンの役目だ。
恐ろしいほどの魔力を持っているとはいえ、少女はこの世界に来たばかりで何も悪いことなどしていない。人語を解さない魔物ならともかく、人間が相手なら普通に話をすればいいだけだ。思い切ってシンは少女の前に出た。
「俺は神代シン。君を迎えに来た。落ち着いて聞いてほしい。君は一度死んで、この世界に転生したんだ」
少し緊張しながらシンは告げる。果たして状況を認識してくれるだろうか。
「転生……? それは違うわ。だって私は、生きたまま地獄に堕とされたはずだもの……。でも、こんなところが地獄なの……? そして私は何者……? わからない……! わからないわ……!」
少女は手を額にやって激しく頭を振る。この世界に来る直前の記憶だけが、わずかに残っているらしい。
「ここは紛れもなく地獄だよ。現世で罪を犯した者は、記憶を浄化されちまうんだ……。だが、それ以外は普通のところだぜ?」
かつて地獄に堕とされた魔王たちは、罪人に苦しみを与えるための場だった地獄を己の魔力で改編し、自分たちの世界を作った。魔王たちが去った後も世界は地獄に墜ちてきた人間たちの手によって続き、シンたちがやってきて今に至る。今やこの世界は、文明レベルが中世~近世で魔法があるだけの、もう一つの世界だ。
「地獄に墜ちたなんて気にすることはない。君は転生した。現世で何があったかはわかんねーけど、ここでならなんでもできるんだ。やりたいことをやればいい」
「私のやりたいこと……? ううっ……」
少女はうつろな目で天井を見上げ、頭を抱える。なくした記憶を思い出そうとして苦しんでいるようだ。記憶を失った者に言うことではなかったかもしれないが、ネガティブな声を掛けても仕方ない。
「とにかく、俺と一緒に来てくれないか? 悪いようにはしないぜ」
彼女くらいの魔力があれば必ずこの世界で活躍できる。そうすれば現世のことなど気にしなくなって元気になるだろう。シンの同級生で記憶をなくした者もそうだった。
「私がしたかったこと……。そうよ、私は……」
シンの言葉も耳に入らないようで、少女は頭を抑えてうずくまる。「大丈夫か!?」とシンは駆け寄ろうとするが、少女の纏う魔力がいっそう強まる。次の瞬間には、考えるより先にシンの体が反応していた。
「ユニコーン! オオカミ! ドラゴン!」
シンは建屋の外に飛び出し、全ての使い魔を呼び出す。乾いた音が響き、とっさに身を翻したシンの頬を何かが掠める。頬から血が流れ、シンは少女に銃で撃たれたのだと理解した。
少女が懐から取り出した拳銃の銃口からは煙がうっすらと上がっている。前の世界で持っていたものだろうか。少女は獲物を前にした獣のように笑った。
「ありがとう。おかげで自分が何者なのか思い出せたわ」
「とんでもない犯罪を起こしてきたみたいだな……!」
シンは笑うしかない。現代日本から拳銃を持った少女が現れるなんて。
「大したことじゃないわ。ちょっと交番からパクってきただけよ。誰も殺してはいないもの。スリルを楽しむために万引きしたのと一緒だわ」
少女は本気で悪いことをしたと思っていないようだった。シンには頭がおかしいとしか思えない。少女は自分に確認するように喋り始める。
「私は業田静香。雅雄のために神林メガミを殺そうとしたの。そしたらメガミに地獄に堕とされた……。あいつ、本当に気持ち悪い。魔法少女だなんて、趣味が悪すぎるわ」
痴情のもつれで相手の女を殺そうとして、反撃されたということだろうか。現世にもシンたちと同じように魔力を扱える者がいるらしい。
「だから私はメガミを殺してやるの……! 私の味わった苦痛と屈辱をあいつに返してやらないと、気が済まないわ……! それが私のやりたいことよ!」
静香は悪魔のごとく顔を歪ませる。酷く興奮している様子だ。静香が何をしようとしているかなんて、火を見るより明らかである。静香の魔力なら独力で現世への扉を開けそうだが、帰らせるわけにはいかない。
「そんなことをして、その雅雄君が喜ぶのかよ!?」
シンは問い掛けるが、静香は一顧だにしない。
「そんなの関係ないでしょ? 雅雄は私の玩具なんだから。メガミと香我美ツボミにそそのかされて妙に反抗的になっているのが本当にむかつく……! 雅雄は私だけにすがっていればいいのに!」
話をしながら怒りが増したのか、静香の魔力が強まる。交渉なんてできそうもない。シンの手に空の指輪が出現し、シンの体は光に包まれる。
「世界を制する空の力! 背負いし罪は世界を貫く憤怒! 誕生せよ、神に代わるシンなる魔王、サタンエル!」
シンの体は縮み、小学五年生時の葵の姿となった。使い魔たちは〈ユニコーンの盾〉、〈オオカミの剣〉、〈ドラゴンの鎧〉となり、魔王と化したシン──サタンエルに装着される。
「背中に世界を背負うとき、憤怒は勇気に変わる……! あんたは俺が止める! 〈鉄の槍〉!」
サタンエルは数丁のマスケット銃を呼び出し、自分の後ろに滞空させた。その銃口はもちろん、静香の心臓を狙っている。
「手荒なまねはしたくないんだ。今ならまだ間に合う。この世界でまっとうに生きると誓ってくれ」
受け入れられないとわかっていながらシンは降伏勧告を行った。魔王と魔王の戦いが、始まる。




