15 現世
「とりあえずは、もう大丈夫です。葵先輩、スヤスヤ眠っています」
「ただ、もう長くは保たんやろなあ……」
レオールの王宮。寝室で葵の様子を確認した冬那と麻衣は息をつく。期限は迫っている。葵の魂をできるだけ早く、この死者の世界から現世で未だ生きている葵の体に帰してやらなければならない。
「そうか……」
シンは天を仰ぐ。ここのところ仕事も順調でフアナも生まれて浮かれていたせいで、葵に残された時間が少ないことを忘れていた。いい加減に、現世へと帰還する段取りを始めなければならない。
みんなの力を合わせてサタンエル・サルターンとなれば自力で現世への道を開くことはできるし、失われたシンたちの肉体を作り出すことも可能だろう。帝国の人口問題も、西方の開拓事業によって解決の目処が着いた。帝国の後継者としては生まれたばかりのフアナがいる。もう、障害となるものは何もない。
「……シン君は、あちらに帰るつもりなのですか?」
羽流乃に訊かれ、シンはうなずいた。
「一応、そのつもりだ。みんな心配してるだろうからな」
皇帝としての責任を放り出すのも、愛娘フアナを置いていくのも、後ろ髪引かれる思いはある。薄情というそしりも免れないだろう。しかし、シンは一応帰ることを目指して戦ってきたのだ。葵を一人で帰らせるのもどうかと思う。迷いは多分にあるが、それでも今決めろと言われればシンは「帰る」と答える。
「……ウチも、シンちゃんが帰るなら帰るわ」
「向こうも心配ですしね」
麻衣と冬那も帰還派だった。シンは羽流乃に訊く。
「羽流乃はどうなんだ? 残りたいのか?」
「そうですわね……。フアナを置いていくのは、どうも……」
羽流乃は迷っているようだった。母親として、娘を置いてはいけない。その気持ちはよくわかる。シンたちがいなくなった後に国が乱れれば、フアナは処刑台に上らされるかもしれないのだ。シンだって、そんなことを想像すると気が狂いそうになる。
「それやったら、まず現世の様子を覗いてみるのはどうや? 転生の祭壇からウチのハエちゃん送り込んだら、だいたいわかるで」
次の日、麻衣の提案に従い、葵を除くシンたちは近くにある転生の祭壇に赴く。日本と直接つながっているのはグノーム国内にあるいくつかの祭壇だけだが、使い魔程度なら他の祭壇からも送ることができるだろう。
薄暗い石造の地下室に入って、麻衣は集中する。転生の祭壇は時間と空間があいまいだ。精神を集中し、現代日本への道を見つけ出せれば後は早い。石畳の隙間から麻衣はハエを送り込み、ハエの目から見える映像を壁に映す。
「どや、ここで間違いないやろ」
シンたちの目に見慣れた町並みが飛び込んできた。どうやら羽流乃の家の近くのようだ。
「まずは羽流乃ちゃんちから見てみようや」
麻衣はハエを操り、羽流乃の屋敷に侵入させた。同時に他のハエを別の場所にも送る。羽流乃の家は貿易商だった羽流乃の曾祖父が明治時代に建てた、豪華な西洋造りの屋敷である。日中ということで屋敷の中には誰もいないようだ。
「麻衣さん、私の部屋はこっちですわ」
屋敷が広すぎて麻衣は迷ってしまっていたが、羽流乃が誘導する。綺麗に片付いた一室の風景が映る。
「……私の生前と何も変わりませんわね。きっと、お母様が掃除してくれているのですわ」
少し羽流乃は涙ぐむ。続けて麻衣は適当にハエを動かし、とある一室に迷い込む。今度は対照的に、うす汚れた部屋だった。ボトルシップというやつだろう、高そうな棚に瓶詰めされた帆船の模型が並べられているが、手入れが不十分でビンにうっすらと埃が積もっている。
「お父様の部屋です! お母様はコレクションを勝手に捨ててしまうからと入れてもらえなくて、代わりに私がお掃除をしていて……」
さらに、使い込まれた机の上には色あせた家族写真が置かれていた。数年前に家族旅行で撮ったもの、という雰囲気だ。羽流乃は泣き崩れる。
「お父様、お母様、ごめんなさい……! 本当に私は親不孝者ですわ……!」
しんみりしてしまったところで麻衣は言う。
「次は冬那ちゃんち見ようか」
「いいですか? 近くの麻衣ちゃん先輩の家が先じゃ……」
麻衣は途端に早口になる。
「そっちにはハエちゃんを送ってないわ。うちのアパートなんか見たって、しゃーないやん。うちに送るくらいならア○メイトに送るわ。漫画もアニメもゲームも、新作出まくってるはずやし」
麻衣は思うところがあるのか、自分の家を見るのを避けた。麻衣は映像を切り替え、冬那の家を映した。それなりに大きい日本家屋である。昔の農家住宅に増築を重ね、住み続けているのだ。
真っ昼間だというのに、冬那の父親は縁側で酒を飲みながら寝転がっていた。冬那の家はそこそこ大きな農家なのだが、早くも作業を切り上げてきたらしい。
「覚悟はしてたんだよお。いついなくなるかもってなあ! でも、突然すぎるんだよお! 戻ってこいよ、冬那ぁ! どうしていなくなるんだよぉ!」
冬那の父親は酒を浴びるように飲みながら泣き続ける。
「お父さん、その辺にしときなさいよ。いつも怒られてたでしょ、お父さんは飲み過ぎだって」
冬那の母親は父親をなだめながら仏壇に手を合わせた。冬那の遺影が飾ってある。
「覚悟はしてたのによぉ、なんでこんなに悲しいんだよ、クソっ!」
「……私、取り返しが付かないことをしちゃったんですね。先輩を追いかけるために自分から死ぬなんて」
冬那は泣き崩れる。シンは冬那を背中から支えた。
「大丈夫だ。みんなで帰ればいいんだから」
他のみんなと違って冬那の死は病院で確認されている。ややこしいことになってしまうが、絶対に何とかしてやる。
「……最後はシンちゃんやな」
麻衣はハエをさらに飛ばしていく。高台にある古めかしい日本屋敷が見えてきた。シンの家だ。




