14 最後の一人
そうしてフアナの誕生から一週間が過ぎた。町も王宮も落ち着きを取り戻し、平常運行に戻りつつある。
「フアナちゃん、おねむの時間ですわ。すくすく眠って大きく育ちなさい……」
昼、母乳を与えた後、羽流乃は抱いたままゆらゆらと揺らして寝かしつける。ぐずることがあれば乳母に預けるだけだが、全く手の掛からないいい子で、フアナはすぐ素直に眠ってしまう。
眠っているフアナは王宮に何人もいる乳母が見ていてくれるので、シンも羽流乃も全く気にする必要がない。彼らは何か困ったことがあればすぐに飛んできてシンと羽流乃を助けてくれる。現世で大問題になっているらしいワンオペ育児とは全く無縁の人海戦術だった。
もっともその分、シンも羽流乃も皇帝、女王としての仕事があるのだが。父親、母親と触れあう時間がどうしても少なくなるのは問題だろう。とはいえ仕事を放り出すわけにもいかないので、そこは責任ある者として仕方がない。
執務室で書類仕事をした後、大広間で謁見者を捌く。最近は特に何も起きていないので、仕事も少ない。羽流乃はシンの補助程度しか仕事に出られないが、それでも充分に回る。夕方前くらいにはシンは仕事を終えた。さて、少しフアナの顔でも見に行こうかと思っていたところで大鏡を通って葵がやってきた。
シンと葵はテーブルで紅茶を飲みながら話をする。羽流乃はまだフアナを見ている。多少罪悪感はあるが、これも仕事で家族サービスだからと自分に言い訳して葵と楽しむことにする。
「やあ、フアナちゃんの顔を見に来たよ」
「悪いな。フアナは今寝てるんだ。また今度にしてくれないか?」
つい先ほど、羽流乃はフアナにまた母乳を飲ませ、寝かせたところだった。そんなに早くは起こせない。葵には申し訳ないが、会わせない方がいいだろう。しばらくフアナの様子について話をする。
「ところで、あっちの方は、もう再開してるの?」
ひとしきり話が進んだところで、ニヤニヤしながら声を低めて葵は訊く。予告なしでいきなり顔面にビーンボールを投げ込んできやがった。シンは冷や汗を垂らし、顔を引きつらせて目を逸らす。
「……二人目の予定はない」
「またまたそんなこと言っちゃって。僕はず~~~っと待ってるんだけどなぁ。いつになったら僕の気持ちに応えてくれるのかな?」
他の三人には応えたのに葵の気持ちに応えないのはハーレムの主として失格だ。わかってはいるのだけれど、こうやって直球勝負を仕掛けられるとムードも何もあったものではなくて、ブレーキが掛かってしまう。
そんなシンの心情を見透かしてか、葵は小悪魔スマイルを浮かべる。何か企んでいるときの目だ。
「本当に君はシャイだねえ。追いかけられると逃げたくなっちゃうのかな? じゃあ、追いかけさせてあげよう」
葵はそっとシンの左手に手を這わせる。葵の指は冷たくて、しなやかで、なんだか気持ちいい。シンはドキドキして動けない。次の瞬間、葵はシンの手から素早く指輪を抜いた。
「あっ!」
「さぁ、僕を追いかけるといい!」
シンの指輪を握った葵はシンに背中を向けて駆け出す。慌ててシンは追いかけた。小学生かよ。
「ほらほらシン、こっちだよ!」
「おい、いい加減にしろよ!」
年甲斐もなくシンと葵は王宮を舞台に鬼ごっこを繰り広げるはめになった。葵は魔法を駆使して姿を隠したり窓から飛び降りて逃げたりするので、なかなか捕まらない。途中で羽流乃に遭遇しなかったのは運がいいのか悪いのか。
シンは息を切らして葵を追いかけ、屋上で葵を追い詰める。子どもをほっぽり出して何をやっているのだと思わないでもないが、羽流乃にバレてないからまあいいや。
屋上の建屋に昇った葵はシンを見下ろし、声を掛ける。
「さぁシン、僕を捕まえるといい。君にその覚悟があるなら」
「……覚悟なんて最初から決まってるんだ。捕まえてやるよ」
葵の言葉を聞いて、シンはニッと笑う。小難しいことを考えていたが、体を動かしているうちに吹っ切れた。シンは建屋を昇り、葵を抱きしめる。
「ほら、捕まえた」
「ずっと、待ってたんだからね」
葵はそっとシンの頬にキスをする。シンも葵も、お互いの胸の鼓動が早まっているのを感じた。
とはいえここで生まれたままの姿になるわけにはいかない。アストレアの王宮にでも移動して……。いや、もっと特別感があるところがいいか? そこまで思考を巡らせてシンは気付いた。葵はうつむいてしまい、微動だにしていない。
「……? 葵、どうしたんだ?」
葵は目を閉じて、動かなくなっていた。意識をなくしているのだ。そして、左手が幽霊のように透けている。葵の魂は今、現世に強く引かれている。日常生活は過不足なく遅れているが、はしゃぎすぎたことで影響が出てしまったのだ。
「葵、しっかりしろ、葵~!」
シンは葵の体を揺さぶるが反応はない。シンは葵の体を担いで屋上から飛び降り、急いで王宮に運び込んだ。
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