13 誕生
もう廊下を何往復したかわからない。どれほどの時間が経ったのだろう。羽流乃はまだ帰ってこない。
本当に大丈夫なのか。昔は出産で母子ともに死んでしまうことも多かったらしい。この世界には魔法があるとはいえ、基礎になるのは中世レベルの知識だ。現に、宮廷医はお産の現場から叩き出されたではないか。葵、麻衣、冬那がついているとはいえ不安で不安で仕方がない。
(……よし、部屋に踏み込んでやる)
シンは決意し、顔を上げる。部屋の中を見るのが怖い。どんな強敵と戦うときよりも体が震えた。
そしてシンが一歩目を踏み出そうとしたそのとき、部屋から赤ん坊の泣き声が響く。何の問題もなく元気そうだ。途端に気が抜けて、シンはその場に立ち尽くした。
扉が開き、誘われるようにシンは入室した。ベッドの上で、羽流乃が白い布にくるまれた赤ん坊を抱いている。
「シン先輩、おめでとうございます。元気な女の子ですよ」
「羽流乃ちゃんに似た、かわいい子やで! 目元はシンちゃん似やな!」
冬那と麻衣に祝福され、シンは赤ん坊をまじまじと見つめる。さっそく赤ん坊は羽流乃のおっぱいからごくごくと母乳を飲んでいた。早産だったとは思えないくらいに大きくて、元気な赤ちゃんだ。
「がんばったな、羽流乃!」
「シン君のおかげですわ。すぐ、シン君にも抱かせてあげます」
今は赤ちゃんの邪魔をできない。シンは笑顔でうなずいた。
「おう、全然後でいいから、一杯飲んで一杯寝ろよ! えっと……」
名前を呼ぼうとして、シンはまだ名前を聞いていないことに気付いた。赤ちゃんはシンが近づけた指を掴む。結構力が強い。
「結局、名前はどうするんだい?」
葵は尋ね、羽流乃は答える。
「フアナと名付けようと思います。私のかつての名前ですわ」
羽流乃の前々世の名前をグノーム風に直した命名だった。皇帝の後継者はあくまでシンの血を引いたグノーム王家の子とアピールして帝都をサラマンデルにとられた不満をやわらげる。シンたちも、その子どももシンたちだけのものではないのだ。みんなに納得してもらえるいい名前だろう。
「フアナか……。きっと、羽流乃みたいに元気に育つな!」
シンが声を掛けている間もフアナはシンの指を強く握り続ける。葵の願いから生まれた人形だったシンは、父となった。あまり深く考えたことはなかったが、胸を張ってシンは一人の人間だということができるのではないか。その機会を与えてくれたみんなに、深く感謝したい。
羽流乃が無事女の子を出産したというニュースは電波に乗って帝国中に流れた。身分を問わず帝国中が皇帝の後継者の誕生を喜び、すぐに祝福のため貴族たちは馳せ参じ、次々とプレゼントを持ってくる。
普通に考えれば彼らは点数稼ぎにやってきただけだ。出産したばかりの羽流乃や生まれたばかりのフアナを前に出すわけにはいかず、シンが一人で対応しなければならない。常識的にはクソ迷惑なだけなのだが、シンは上機嫌に対応し、祝福の言葉をまともに受け取る。
「陛下、おめでとうございます! フアナ様のために、スコルピオの職人に作らせたベッドを送らせていただきます! それから、シルフィードから輸入した絹で作った最高級のシーツも!」
「おう、ありがとう! 大切に使わせてもらうぜ!」
「ところで皇帝陛下、西の集落の件ですが、是非私の三男に領主を任せていただけないでしょうか! 魔力は少し弱いですが、優しい人柄で領民には慕われております!」
「そうだなあ、それもいいかもなあ」
「へ、陛下! 全然よくありません! 魔力が強い者でないと、領民が危険です! それに領主候補はこの間三人に絞ったばかりではありませんか!」
羽流乃が不在であるためシンを一人で支えなければならないベルトランは、シンが貴族のおべんちゃらに乗せられそうになるたびにストップを掛けるはめになった。その間、サラマンデルの国政もストップして、あちこちで混乱が生じていたが祝福ムードのおかげで誰も気にする者はいなかった。そもそも大きな問題はシンたちがほぼ解決までもっていっている。誰もが帝国の明るい未来を信じ、浮かれ気分で時間を過ごした。




