7 南ウンディーネ
シンが新大陸産作物を生み出してから二ヶ月ほどが経った。アストレア周辺での栽培は順調で、辺境への移民のみならず地方の農村にもトウモロコシやジャガイモは広まりつつある。この間にも転生の祭壇からは多数の転生者が出現していて、対応は待ったなしだ。いよいよ南ウンディーネの林野部への入植を始める予定である。
「こんなときに王宮を長く空けることになって、悪いな」
レオールの王宮でシンは羽流乃と別れる。これからシンは麻衣、冬那とともにウンディーネで活動する、しばらく帰ってこられない。
「いえ、必要なことですから。無事に帰ってきてくださいまし。それだけで充分です」
柔和な笑みを浮かべる羽流乃のお腹は、大分大きくなっていた。ついでにおっぱいも膨らんできていて、非常にムラムラ……いや、何でもない。
ちなみに羽流乃の妊娠が発覚して以来、シンは誰とも夜の営みを行っていない。羽流乃自身には何も言われていないが、麻衣に止められたのだ。「羽流乃ちゃんの子がシンちゃんの正統後継者や。間を置かずに他の子どもができたらややこしくなる」。分割相続はもめ事の元であり、悪手だ。第一子に全てを託してシンたちは現世に帰る。またシン自身も羽流乃が妊娠している間に遊び回るのは罪悪感があった。
「できるだけ早く帰るよ。じゃあ、行ってくる」
シンは大鏡を通ってウンディーネの王都、キャンサーに移動した。
シンはキャンサーの王宮で麻衣、冬那と合流した。キャンサーから南ウンディーネの中心都市、ピスケスまでは魔法のじゅうたんですっ飛ばす。湖畔沿いに点在する小さな町の先に、城塞都市ピスケスはあった。
幅の広い水堀と低く分厚い城壁に囲まれたピスケスは、空から見るとまるで水上に浮かんでいるようにも見える。城壁には一定間隔で必ず大砲が据え付けられており、マスケット銃を携えた兵士たちが油断なく警邏に回っている。敵軍というよりは魔族の侵入対策だろう。
反面、ピスケスの人口はそこまで多くない。堀と城壁が町の拡大を阻害しているのだ。城門と跳ね橋で交通が滞るという点も大きい。ピスケスはあくまで魔族の侵攻を食い止める城塞都市なのだった。
いきなり堀と城壁を取っ払うような乱暴なことはできない。シンたちがやるべきは、ピスケスの南に広がる手つかずの林野部の開拓だ。フラメル湖から小さな川が流れていることはわかっているので、林さえ切り開いてしまえば充分に住める。
シンたちはまずピスケス中心部の宮殿に降り立つ。ピスケスから冬那に物資の手配をしてもらう予定だった。同時に冬那はしばらくピスケスの直接統治を行い、前領主だったフィリップの足跡を消す。
「先輩方、いったんここでお別れですね。どんどん物資を送らせていただきますので、よろしくお願いします!」
「おう、頼むぜ! そっちもがんばれよ!」
シンと麻衣は冬那を残してピスケスの南に向かう。麻衣とのんびりピスケス市内を歩いて外に出た後、人目に付かないところでシンはユニコーンを呼び出した。
「大地のケモノに水の手綱! 命を司る使い魔よ! 力を貸せ!」
市内では目立ちすぎるので出さなかったが、ここからは馬上の旅だ。出現したユニコーンはシンと麻衣を乗せるべく足を折って地べたに伏せる。シンは麻衣を前に乗せて、自分は手綱を握った。
「頼むで、ユニコーンちゃん」
麻衣はぺたぺたとユニコーンの顔を触る。ユニコーンはくすぐったそうにヒヒンといなないた。
シンと麻衣を乗せたユニコーンは切り開かれたばかりの街道を南下していく。途中から林の中に入り、ほとんど林道を行くような状況になった。そうして進んでいると、目的地の開拓村に程なくして到着する。
「シン様、麻衣様、お待ちしておりました」
南ウンディーネ開拓を任されている北グノーム出身の下級貴族、プジョールはユニコーンから降りたシンと麻衣の足下に跪く。土地の痩せている北グノーム出身の彼のノウハウを活かそうと、わざわざ送り込んでいたのだ。
「よろしく頼む。状況はどうなっている?」
シンに尋ねられ、プジョールは頭を上げる。
「見ての通り、今のところは魔物の襲撃もなく順調でございます。時折畑を荒らされることはございますが、大した損害は出ていません。皆様が来てからどれだけ進むかが問題ですね……」
村は川から少し離れた一角を切り開いて作られていた。先乗りしたプジョールとその配下が整備したのである。ちょっとした畑と丸太作りの住宅がぽつりぽつりと建っていて、どうにか移民を受け入れる態勢を整えていた。
「食っていけそうか?」
「ええ。試しに陛下から賜ったジャガイモを植えてみましたが、問題なく育っております。ここは水量が豊富で温暖なので、私たちが住んでいる北グノームより条件はよいくらいですよ。木さえ切り倒してしっかり日が照るようにすれば、水が必要だというトウモロコシもよく育つでしょう。はずれにはクリの木を植えてもいいかもしれません」
プジョールはニコニコと今後の展望を語る。楽しくて仕方がないといった表情だ。言われてみれば、グノームよりずっと南に位置するウンディーネは暖かいし、フラメル湖のおかげで水も確保できる。実は農業に向いている土地柄なのだ。サラマンデルとウンディーネを隔てるヘニッヒ山脈は迫っているものの、川との間でそれなりに平野はある。
シンたちが持ち込んだ新大陸産作物はさっそくシンの同級生が調理法などを広め、人々に受け入れられつつあった。この地で作物を生産し、街道とフラメル湖の水運を通じて売りに出せるようにできれば自給自足できるという以上に豊かな暮らしが可能で、多くの人口を支えられる。
また川で存外に魚がとれるというのは嬉しい誤算だ。とはいえ一集落規模で魚をとるとあっという間に全滅してしまうと思われるので、養殖することを考えなければならない。
問題はただ一点、魔物たちの被害が出ないかだけだ。これについて、シンが対策することになる。
そもそもバルサーモ島周辺、さらに言えばウンディーネで強力な魔物が出現しやすいのはウリエルの存在があったからだ。元々住んでいた魔物が封印されていたウリエルの魔力に当てられて突然変異を起こし、強大な魔物に進化していた。ウリエルがいなくなった今、突然変異はもう起きない。
シンたちでないと対処できない魔物が新たに出現する可能性は低かった。シンは今までに生まれた魔物を狩り尽くすだけでいい。まあ、それが難しいのだが。
「それではシン様、麻衣様、こちらにどうぞ。粗末でありますが政庁として館を建てております」
プジョールに案内され、とりあえずシンは木造の館で休むことにした。今はプジョールたちも夜が近づけばピスケスに帰っているが、今日からはこの村にみんなで留まることになる。明日には移民団が到着する予定だ。がんばろう。
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