29 命の円環
ブラックホールの急速蒸発による大爆発は高高度まで粉塵を巻き上げ、核の冬のごとく辺りは暗くなる。アスモデウスとウリエル以外の誰にも被害を出さなかったのは奇跡的だ。月のクレーターのように数メートルほどもえぐれた地面の中心に、ウリエルはズタボロになりながらも立っていた。
「へっ、俺の勝ちだな……!」
クレーターからぴょんとジャンプして出てきたウリエルは、辛うじて魂をアスモデウスの体から退避させて生き残った葵の前に立つ。地面の下に隠していた葵自身の体も傷だらけだ。爆発の衝撃は地下にさえ届いたのである。
もう、この世にシンの姿はない。アスモデウスの体としてウリエルの剣に貫かれた挙げ句、半ば自爆のようなブラックホールの爆発で吹き飛んだのである。確実にシンは死んだ。
「冥土の土産だ。くれてやるよ。それがあの男の本体だろう?」
その場にうずくまっている葵の前に、空色のラピスラズリが埋め込まれた指輪が投げ出される。この指輪が核となって、シンの魂は形成されていた。今、指輪は何の魔力も放っていない。
「シン……」
最後の魔法で現世に送れていればいいのだが。きっと別人として元気にやっていける。それだけが最後の希望だ。
遺品ともいえる指輪を拾った葵の首元にウリエルの剣が突きつけられた。
「年貢の納め時だなあ」
「……」
完全なる敗北で、完璧に詰んでいた。シンは死に、他の三人の魔王は封印されている。葵の首がはねられれば、魔王は全滅。いよいよ終わりだ。
「どうした? おまえならもっと悪あがきすると思ってたが」
「今さらじたばたはしないよ……。僕は全て最善手を打ったんだからね」
後は逆転の目があるとすれば、葵が殺されてもっと強大な魔王に転生することくらいか。前に冬那が殺されたときのように。しかし、いくらなんでも非現実的だ。それができるとすれば、きっと葵ではなく……。
「雑魚なりに一生懸命がんばった結果がこれか。弱いってのは悲しいよなあ」
ウリエルはニヤニヤしながら剣でちょんちょんと葵の首をつつく。フィリップは勝ち誇った笑みを浮かべる。
「やはり本当の王にふさわしいのは私だったのだ」
「これも神の思し召し……。邪悪なる魔王も、魔王に付き従った愚かな民も、決して許されないのです……!」
ミカエルは神妙な顔で十字を切りながら、ぎろりと周囲に詰めている魔王の臣下たちを眺める。葵も、彼らも皆殺しということだ。ミカエルもフィリップも、自分に恥をかかせた人間たちを絶対に許さない。
そしてそんなミカエルたちを、神代シンは絶対に許さない。
「何が神だ! そんな狭量な神だったら、俺がぶん殴ってやる!」
後ろから突然現れたシンにミカエルは反応できない。為す術もなくミカエルはシンに殴り飛ばされた。
「おのれ種なし! 生きていたのか! フゴッ!」
フィリップは叫ぶがクズを相手にする気はない。流れるような動きでシンはフィリップの顔面に拳を叩き込み、フィリップは鼻血を垂らしながら顔を押さえる。
「貴様! 余は父上にもぶたれたことがないのだぞ!」
フィリップは立ち上がってシンの肩を掴むが、シンは振り向くことなくフィリップのみぞおちに肘を入れる。痛みの余りフィリップはうずくまった。自分で言ったとおり、殴られることには全く慣れていないようだ。
「グッ……! なぜ私が、種なしの拳などで……!」
それはシンの拳が魔力を帯びていたからだ。シンは種なしで魔力がないはずなのに。シンは葵を守るようにウリエルの前に立ちはだかる。
「シン、君ならやってくれると思っていたよ……!」
「後は俺に任せろ!」
「ほう……生きていたとはな! 少しは面白くなりそうだ!」
シンは葵に手を貸して立たせる。葵が拾ったラピスラズリの指輪は魔力を集め、輝いていた。ウリエルは破顔一笑、ウキウキと背中の剣に手を掛ける。シンはそれを待つことはない。
「火の力を風で増幅! 熱よ、俺の中で燃えろ!」
熱の魔法でシンは身体能力をブーストし、ウリエルに飛び膝蹴りを喰らわす。ウリエルはたたらを踏んで後退し、シンは拳と蹴りで追撃を掛けながら剣を呼び出す。
「地の力に火の支配! 鉄よ! 俺に剣を!」
熱の魔法は他の魔法と同時に使えないはずなのに、シンはごく自然に剣を出して見せた。シンは剣に炎を纏わせ、さらに攻める。ウリエルもどうにか剣を抜き、応戦した。
「なるほどなあ! 転生したのか! 魔王として!」
ウリエルにはわかるだろう。ウリエルの力は、さらに増している。蘇ったシンを魔王としてカウントしているのだ。
左手の火、水、風、地の指輪に加えてシンの右手には空色のラピスラズリが埋め込まれた指輪──空の指輪が輝いていた。シンの激情が生み出した指輪である。
「おまえらみたいなクソ野郎どもをのさばらせておく訳にはいかないからな! この国の皇帝として! ハーレムの主として! 羽流乃も麻衣も冬那も返してもらう!」
ただ『命の円環』で転生しただけなら、現世に戻るだけだった。今この場にシンが立っているのはシンの力で、シンの意志だ。
冬那がガブリエルに殺された後、強い感情で魔王に転生したように、シンも転生したのである。葵の感情で生まれたときとは違う。シンは、自分自身の激情で生まれ変わった。自分勝手な天使たちをぶちのめすために。羽流乃、麻衣、冬那を奪還するために。それだけの力を手に入れられるように。
「大地のケモノに水の手綱! 命を司る使い魔よ! 力を貸せ!」
魔方陣から現れたユニコーンが横合いから突進して交通事故のようにウリエルを吹っ飛ばす。
「風の力に地の肉体! 五感を司る使い魔よ! 力を貸せ!」
吹っ飛ばされた先にはオオカミが出現し、すかさずウリエルの手首に噛みつく。ウリエルは思わず〈炎の剣〉を取り落とした。
「火の力に水の力! 蘇れ、不死身の肉体!」
さらにシンは最強の使い魔、ドラゴンを呼び出して炎のブレスで攻撃する。ウリエルは防御することができずまともに浴びる。
だが、それでもウリエルは全く堪えた様子なく健在だった。
「ハンデはこれくらいでいいか?」
一瞬でウリエルの傷は再生し、体は魔力に充ち満ちる。魔王が増えたことでウリエルの魔力も増している。このまま戦っていてもシンは勝てない。なので、魔王としての力を発動する。
「葵! 俺に指輪を!」
「うん!」
ユニコーン、オオカミ、ドラゴンを傍に控えさせたシンは葵が投げたもう一方の空の指輪をキャッチする。さぁ、反撃開始だ。




