19 侵攻
シンたちが帰還すると、キャンサーの王宮は騒然となった。何せ破壊天使が復活した上に、ウンディーネ女王冬那は囚われてしまったのだ。ロビンソンが「すぐにピスケスに進軍して陛下を取り戻しましょう」と進言し、王宮の者たちを遠征準備に没頭させることで、とりあえず動揺を押さえ込んだ。
しかし、さらに一夜明けてから届けられた急報が、王宮を恐慌に突き落とす。
「フィリップの軍勢が、キャンサーを目指して進軍を開始しました!」
フィリップが率いているのはせいぜい八千だが、間違いなくミカエルとウリエルが参加している。昨日のバルサーモ島でウリエルは自爆していない。ウリエルが自爆していれば冗談抜きに島が沈んでいるだろうが、バルサーモ島は健在だ。そしてピスケス方面に飛行していく魔力反応が観測されていた。
まだグノーム軍とサラマンデル軍はキャンサーに到着していない。今動かせるのは麻衣のシルフィード軍と、ただでさえ寄せ集めなのに女王を欠いたウンディーネ軍だけだ。数だけなら敵軍の倍以上だが、ウンディーネ軍の士気は低い。前回の会戦で軍師としても一武将としてもエース級の働きをした間宮もグノーム軍に編入されたため今回は不参加だ。
ウンディーネ軍からは逃亡兵が相次ぎ、また何人かの貴族が裏切ってフィリップについたため、数の差はかなり縮まってしまった。フラメル湖畔の平原でシルフィード、ウンディーネ連合軍一万五千とフィリップの軍勢一万二千は対峙する。
少なからず、葵や麻衣も動揺している。軍議の場でもこれといった案は出ず、結局正面からぶつかることになった。
「私たちが天使たちに勝って、冬那さんを奪還できれば勝ちですわ。私たちはそれだけに集中しましょう」
「……ああ」
羽流乃の言葉にシンはうなずく。策でも何でもないが、羽流乃の言うとおりだ。冬那が戻ってくればウンディーネ軍も持ち直すだろう。ミカエルはどうせ後ろで縮こまっているだけなので、実質ウリエルを倒せばいいだけだ。アスモデウスはウリエルをあと一歩のところまで追い詰めた。勝算は充分にある。
敵陣の中を捜すまでもなくミカエルとウリエル、さらには敵将フィリップまでが無駄にお喋りしながら出てくる。
「おい、約束通り手を出すなよ。魔王を倒すのは俺の仕事だ」
「私はあなた方の戦いに直接何かするつもりはありません」
「ウリエル殿の好きになさるといい。私は天使が魔王に負けるとは微塵も思っていない」
ウリエルの要求にミカエルは淡々と、フィリップは鷹揚に答える。三人は対峙する両軍の間まで出てきた。フィリップは演説を始める。
「邪悪なる魔王どもよ! この神聖皇帝フィリップ一世と、天使たちの手で成敗してくれよう! これは聖戦である! 神に逆らい魔王に組する者は、女子どもも例外なく許されない! 繰り返す、これは聖戦である! 敬虔なる哀れな子羊たちよ! 今すぐ魔王に剣を向けよ!」
指揮官自ら聖戦を宣告したことで、指揮は最高潮に達した。フィリップの軍勢が歓声を上げ、地響きのように周囲が揺れる。一方、シルフィード軍とウンディーネ軍は目に見えてたじろいだ。フィリップとともに二人の天使が堂々と現れる光景は、それほどまでにインパクトがあったのである。
「勝てば関係ありませんわ。シン君、行きますわよ」
今回は羽流乃と組んでウリエルを倒す作戦だった。相性ならアスモデウスの方がいいかもしれないが、葵の不調が心配だ。また、アスモデウスが命の収穫のためヤギをばらまくとそれだけ周囲は荒れる。剣を扱い相手が強ければ強いほど魔力を増すルシフェルであれば、ウリエルとも互角に戦えるはずだ。
「そうだな……! 頼むぜ、羽流乃!」
シンと羽流乃も前に出て、堂々と抱き合い、口づける。
「世界を滅するは火の力! 背負いし罪は力あるが故の傲慢! 蘇れ、最も神に近き堕天使、ルシフェル!」
真っ赤なマントに肌着姿で顕現したルシフェルは聖剣〈カトリーヌ・フィエルボワ〉を召還して重厚なプレートアーマーに身を包む。ウリエルの魔力に反応してルシフェルの魔力はみるみる上昇していった。
「己の正義を信じるとき、傲慢は誇りへと変わる……! 薙ぎ倒して見せましょう! たとえ最強の天使が相手だとしても!」
ルシフェルの姿を見て、ウリエルは満足げに微笑む。
「いいな。俺はこういうのを求めていたんだ。心ゆくまで、やり合おうぜ!」
ウリエルの鎧が変化して、分厚くなる。
「そうですか。すぐに終わらせて差し上げますわ」
ルシフェルは冷たく言い放ち、〈カトリーヌ・フィエルボワ〉を構えた。ウリエルは〈炎の剣〉を振りかぶり、突進してくる。ルシフェルは軽くいなして反撃するが、ウリエルもしっかりと剣で受ける。最強の魔王と最強の天使の戦いは、中世さながらの剣による決闘で幕を開けた。
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