13 湖上の旅
勇んで船に乗り込み、キャンサーを出港したシンだったが、すぐに不安に襲われていた。シンたちが乗り込んでいるのは荷船を改造した少し大きめの帆船だ。海軍の船に比べればさすがに小さく、軍艦としてはせいぜい中型といったところか。デッキで風に吹かれながらシンは、冬那に小声で尋ねる。
「水軍って、大丈夫なのか?」
「? どういう意味ですか? 船はしっかりしてると思いますけど……」
船は帆を張って気持ちよく湖上を走っている。途中で風向きが変わる見込みなのでスピードは落ちるが、日が暮れるまでにはバルサーモ島に着くだろうとのことだ。多少揺れていて乗り心地はよろしくないが、許容範囲ではある。
一隻で動いているわけではなく護衛に小さめの軍船も数隻同行しており、マスケット銃兵が乗り込んで大砲も備えている。魔物の襲撃があっても戦えるし、最悪沈没しても他の船に乗り移ればいいだけだ。
船自体に問題はない。シンが問題にしているのは、船員だった。
「見ろよ……。あの船員、見張りだろ? さっきからずっと寝てるんだ」
後方で椅子に座って見張りをしている船員は先ほどから微動だにしない。真面目に監視をしているのかと思いきや、完全にまぶたを閉じてすやすやと眠っていた。
彼だけではない。トイレに行ったときに通りがかった甲板下部の砲列甲板では、砲兵がトランプに興じていた。マストの上で待機しているはずの狙撃兵は、同僚とずっと談笑しているばかりだ。いつ魔物が来てもおかしくないというのに、緩みすぎではないか。
「水軍は緊急徴用して編成したのでしょう? 仕方がないのではありませんか?」
「だけどなぁ……」
羽流乃は嘆息するが、シンは困り顔を浮かべる。
「シン先輩、見てください。あの人とか、真面目にやってますよ」
冬那が指した先では小太りの船員が熱心にデッキをブラシで磨いていた。船員は汚れ一つ見逃すまいとじっくりデッキの表面を見ながら、力を込めてブラシでこする。感心な船員もいたものだ。
「全員が全員じゃないんですから、きっと大丈夫です。みんな、何かあればがんばってくれますよ」
さらに船長と話をしてきた葵が付け加える。
「船長も『みんないい感じに力が抜けているだけだ。いざとなったら任せとけ!』って言ってたよ。心配しなくていいんじゃないかな」
そして、冬那や葵の言うとおりになった。航行を開始してから三時間ほど経ち、遠くにバルサーモ島が見えてきた頃、ヘビのように細長い体を持つ巨竜が現れた。
「まさか湖でシーサーペントに出くわすなんてね……」
無茶さ加減にさすがの葵も顔を引きつらせる。魔王と戦える程度には強そうである。船上でアスモデウスになっても戦いにくいばかりだ。
「野郎ども! 行くぞ!」
「「「おう!」」」
早鐘が鳴らされ、船員たちが戦闘配置に着く。船長が号令を掛け、船員たちは力強い声で応えた。船団は至近距離であるにもかかわらずシーサーペントの前で回頭し、船の横っ腹を怪物に向ける。刹那、砲列甲板から轟音とともに大砲が火を噴いた。甲板からはマスケット銃兵も銃弾を乱射する。
実に整然とした動きだ。砲兵や銃兵は軍の出身なので当然だが、民間から徴用されたはずの船員たちもきびきび動いている。さすがは船乗りである。唯一、先ほど真面目に掃除をしていた小太りの船員だけがマストの影に隠れて震えていたが、まあ仕方あるまい。軍人出身ではない者には、そういう者もいるだろう。
命中率に難のあるこの世界の大砲だが、これだけ接近していればそれなりに当たる。魔力を帯びた砲弾を喰らい、シーサーペントの巨体が揺らぐ。銃兵も狙ったのはシーサーペントの目や鼻といった急所だ。シーサーペントはうっとうしそうに目をしばたたかせた。今がチャンスだ。
「冬那、頼む!」
「はい、先輩!」
シンは甲板の上で冬那を抱き寄せ、口づけをする。
「世界を満たすは水の力! 背負いし罪は命押し流す嫉妬! 甦れ、魔王リヴァイアサン!」
冬那の体は水となって消え、噴き上がった水柱がシンの体を覆った。青いドレスとガラスの靴の魔王は顕現する。
「頂点を目指すとき、嫉妬は己を高める向上心へと変わる……! さぁ、踊りましょう! 血塗られたダンスを!」
リヴァイアサンは湖上へと降り立ち、優雅に一礼した。魔王を前にシーサーペントは吠える。足下に波紋を発生させながら浮かんでいるリヴァイアサンは、さっそく魔法を使う。
「『裁きの津波』!」
水上は、リヴァイアサンのフィールドだ。敵の血を流させて沼地を作らずとも、リヴァイアサンの魔力は最大限まで引き上げられる。シーサーペントの巨体を遙かに超える高さの津波が瞬時に発生し、シーサーペントを飲み込んだ。津波の衝撃は凄まじく、シーサーペントは一瞬にしてバラバラに引き裂かれ、湖底へと沈む。
即席で作った氷の壁で覆い、船団はもちろん無事だ。一撃で勝負を決めたリヴァイアサンは船に戻り、クルージングを再開する。




