11 天使の手筋
「なるほど、バルサーモ島の破壊天使か……! それがミカエル殿の切り札だったわけか! 面白い……!」
人払いした謁見の間で玉座に掛けたフィリップは、ミカエルの話を聞いてニヤリと笑った。対するミカエルは無表情で淡々と要求する。
「つきましては、私がバルサーモ島に渡るのを支援していただきたいのです……」
戦うにせよ、現世に逃げるにせよ、バルサーモ島に行くしか手はない。ミカエル一人で恐ろしい魔王どもと戦うなんて論外だし、バルサーモ島の祭壇であればミカエル一人で現世に帰れる。
「独力でバルサーモ島には、行けないのかね?」
にこやかな笑みを崩さずにフィリップは尋ねる。ミカエルはうなずかざるをえない。
「難しいですね……。あの島の周辺には破壊天使の影響で、天使や魔王に匹敵する魔物たちが跋扈しています」
もちろん一対一であれば、いかなる魔物が出ようがミカエルが勝つ。ミカエルは時間さえ掛ければ、やつらと同クラスの魔物や使い魔を召喚できるのだ。
ミカエルに必要なのは、ただただ『時間』である。アスモデウスやベルゼバブが生贄を集めて魔力に転換するように、ミカエルは流れた時間を魔力に転換している。転換した魔力は使い魔やマジックアイテムにして保存できるので、ただじっと待てばミカエルは最強となる。今まで動かなかったのも、魔力の回復を待つためだ。
しかしこの世界のほとんどが魔王の手に落ちた今、逃げ続けるのは現実的ではない。人間の手が伸びる領域であれば魔王の手が伸びるし、仮にフラメル湖を横断して人外の地に渡ったとしても、魔王たちは追いかけてくる。
バルサーモ島の周辺はあまりにSランクの魔物の数が多い。前回の戦闘でミカエルは粗方在庫を使い切ってしまったため、回復には月単位で時間が掛かる。魔王たちは、それを待ってはくれないだろう。あと一ヶ月もしないうちに統一帝国軍は南ウンディーネへの侵攻を始め、ミカエルはフィリップ共々吊し首だ。
「他の天使がいても無理かな?」
微妙なところだ。ラファエルかガブリエルがいれば、彼らを囮にして辿り着くことはできるかもしれない。いずれにせよ、正面から乗り込むのは不可能だろう。だからこそ、ラファエルやガブリエルがいた頃もバルサーモ島に渡ろうなどとは考えなかったのだ。
ミカエルはフィリップの力を借りる以外の選択肢はない。
「……天使は私一人しかいません」
「天使を増やすことはできないのかね?」
あくまでにこやかな笑みを崩さず、フィリップはさらに問う。ミカエルはここに至ってフィリップが何を要求しているのか、ようやく理解した。
「……天使を作るには数百年を掛けて魔力を凝縮した魔石が必要です。しかし前の天使たちに使った魔石は、魔王たちに破壊されました……」
「今の君には、天使を増やすことはできないと?」
ここまで笑みを崩さなかったフィリップの表情がわずかに曇る。ミカエルはニヤリと笑って切り返す。
「バルサーモ島の祭壇に行けば、眠らせておいた魔石が残っています。私は、あなたを天使にすることができる」
「なるほど、私が天使に……!」
我が意を得たりと、フィリップは満面の笑みを見せる。ミカエルはフィリップの魂を探ったが、資格は充分にあると感じた。魔力だけなら魔王になっていない状態の羽流乃に次ぐレベルである。山北などよりよほど魔力に満ちあふれた魂だ。
「そもそも、おかしいと思っていたのだ。他所から来た黄色い猿が魔王などと。聞けば、グノームの皇帝は種なしという話ではないか。そのような汚らわしい輩が皇帝の資格など、あるはずがない……!」
上機嫌にフィリップは本音を漏らし始める。この世界の貴族なら多少なりとも誰でもが思ったことだ。しかし現実にシンが女王たちの力を借りて魔王の指輪を十全に操る姿を見れば、気に入らないと思っても認めざるをえない。
「兄上が王となったのも、納得がいかなかった……! 実績でも、実力でも、私の方が上だったはずだ……! この世界は間違っている……! 私こそが魔王で、皇帝であるべきなのだ……!」
それでも魔王で皇帝なのは神代シンだった。シンにはそれだけの力があるから。ティメオ四世が即位したのも、フィリップにそれを覆すほどの力がなかったからだ。無断の早期撤退でティメオ四世を敗北に追い込み、少しは溜飲を下げたが、シンによる四王国統一は完成しつつある。フィリップとしてはよそ者の種なしがこの世界を手中に収めるなど、絶対に許せない。
フィリップは言った。
「よいであろう。いかなる犠牲を払ってでもミカエル殿をバルサーモ島に届けて見せよう。どうすればいい? 使えない貴族どもを焚きつけて囮にでもするか?」
自分以外は駒として切り捨てて当然。王として、フィリップは冷酷な態度をとる。だが、無駄な犠牲はない方がいい。それよりも、キャンサーに集結しつつある魔王たちを利用する方が得策だ。
「シルフィード女王がこちらを切り崩すため境界付近の貴族に接触しています……。彼女を利用しましょう。貴族たちを使って……」
ミカエルは己の策を提案する。フィリップは邪悪な笑みを浮かべ、大きくうなずいた。
「……なるほど、それは面白い! さっそく何人かに命令しておこう! そうすれば、きっと向こうも信じるはずだ!」
「そして、そのときが彼らの最期です……!」
知らず知らずのうちに、ミカエルの表情も崩れていた。ウリエルさえ蘇らせることがでいれば、魔王などものの数ではない。二人はほくそ笑みながら密談を続け、計画の細部を詰めていった。




