9 湖
数日後、その夜もシンは冬那とともに床に入り、眠りに落ちた。しかし、どうにも寒い。そこに冬那がいるはずなのに、暖かさを感じない。冬那をもっと近くに……と手を伸ばしたところでシンの目が覚める。
「あれ……? 冬那?」
寝ぼけ眼をこすりながら隣をよく見てみるが、見間違いではない。ベッドはもぬけの空となっていた。
まだ布団には温もりが残っている。いなくなってからそう時間は経っていない。トイレにでも行ったのだろうか。
目が覚めてしまったシンは立ち上がり、何の気なしにカーテンを開けて外を見る。淡く輝く月が、フラメル湖の静かな水面に映っていた。やがてシンは湖畔にたたずむ人影に気付く。
「冬那……?」
そこにいるのは冬那だった。夜景が綺麗だったので外に出たのだろうか。シンがそう思っていると、冬那は突然服を脱ぎ始める。
シンは思わず声を上げそうになるが、冬那に知る由もない。冬那はあっという間に身に着けていた全てを脱ぎ去り、一際白い肌を晒した。
少し寒いのか、自分で自分を抱きしめるように肩に手を回して、冬那はゆっくりと砂浜を歩き出す。冬那の歩く先にあるのは美しいフラメル湖だ。冬那は足を止めず、しずしずと湖に入水していく。
見ていたシンは軽くパニックになっていた。どうして冬那が湖に入っていくのだ? 意味がわからない。慌ててシンは部屋を飛び出し、冬那のところに駆けつける。
王宮内は近衛兵が見回りしているはずだが、不思議と遭遇することはなかった。シンはすぐに冬那がいた岸辺に到着する。
「冬那……?」
呼びかけてみるが、返事はない。きちんと畳まれた冬那の服が放置されているばかりである。
いったい冬那はなぜ湖に入ったのか。シンはない頭を絞って考える。
「まさかとは思うけど、泳ぎたかったのか……?」
それくらいしか思い浮かばない。前世において入院生活が長かった冬那は泳いだことなんてなかった。退院して学校に行けるようになった後も、ずっと水泳の授業は見学だったはずだ。この世界で健康体になり、ふと泳いでみたくなったとしてもおかしくはない。昼間は時間がとれないし。
しかし、水面に冬那の姿はない。波紋一つなくただただ月と覗き込むシンの姿を映すばかりである。冬那はどこに行ったのだ。答えは一つしかない。
「溺れたのか……!?」
その可能性に思い至り、シンは慌てる。冬那には水泳の経験がないのだ。少し遊ぶつもりが調子に乗って足がつかないところまで行ってしまい、溺れてしまった。そうとしか考えられない。
だとするなら、すぐに助けなくては。シンは衣服を全て脱ぎ捨てる。パンツくらいは履いていてもよかったが、ズボンと一緒に脱げてしまった。履き直す時間はない。シンは全裸で湖に飛び込んだ。
(すぐ助けてやるからな……!)
シンは岸辺からどんどん沖に向かう。すぐに足が着かなくなった。シンは湖底に向かって潜っていたが、声が響く。
「先輩なら来てくれると思ってました」
(えっ……?)
誰かがシンの隣まで泳いできて、手を握る。その瞬間に水中であるにもかかわらずシンの視界は鮮明となり、やってきたのが冬那だとわかる。シンは冬那の姿を見て、仰天した。
「と、冬那!? あ、足が……!」
冬那の力だろう、シンは水中であるにもかかわらず喋ることができた。そして冬那の下半身は魚類のそれにそっくり入れ替わっている。つまり、冬那は人魚となっていた。
「先輩、私が魔族に転生してたって知らなかったんですか?」
「え……? そうだったのか?」
寝耳に水であるが、言われてみれば納得である。人外に転生したからこそ、冬那の魂は魔王の力を操れるまでに強化された。また即位のときに亜人ばかりが来て、人間の反応が薄かったのも冬那が魔族だったからだ。
息継ぎなんて全くしていないのに、全く苦しくならない。これも冬那の力だ。どこから拾ったのか冬那は貝殻をつけて控えめな乳房を隠し、下半身の尾ひれを動かしてシンの手を引いて一緒に泳ぐ。
「そうですよ? だから先輩と一緒にこうやって泳ぐことができるんです。見てください、綺麗でしょ?」
シンは冬那が指した方を見る。月の光がカーテンのように水中に差し込んでいて、ゆらゆらと漂う水草を浮かび上がらせている。その中を魚の群れが泳いでいた。なかなか幻想的な光景だ。
しばらく湖の中の風景を楽しみつつ、シンは冬那にぐいぐいと引っ張られて、結構な距離を泳いだ。
次回は21日夕方頃に更新する予定です




