8 円卓
それからさらに数週間が経ち、いよいよ本格的に遠征計画が始動した。グノームから移ってきたばかりの貴族たちにも動員の命令が通知され、反響は抗議の形で返ってくる。新領土の経営を優先したい者は動員の免除を求め、逆に戦役で手柄を立ててさらに領土をもらおうという者はもっと動員を増やせと求めてくる。各々の領地の状況を見ながら、さらに最終調整が必要だ。
円卓に大臣たちを招集し、配布された資料を基に検討する。シンは冬那に文字を読んでもらって説明を受け、いくつか質問する。
「……この『王国水軍』っていうのは何なんだ?」
いささか予習不足であり、恥ずかしくもあるが、知らずにいい加減な判断をするわけにはいかない。基本的なことでもわからなければ訊く。
「フラメル湖の水上部隊です。新たに編成したので練度は低いですが、補給路の確保に働いてもらいます」
「なるほどなあ」
ロビンソンからの答えを聞いてシンはうなずく。湖を使った水運はウンディーネの大動脈であり、都市は湖沿いに発展している。海賊まがいのことを行うならず者もいるため、下手な内海より広いフラメル湖には、海軍ならぬ湖軍が必要なのだった。
元々のウンディーネ水軍はフィリップ側についたため、こちらの手元にあるのは急ごしらえの部隊だけだ。それでも水運関係者から徴用して人も船も数は揃えたので、フィリップの水軍を抑える程度はできる。
作戦は単純で、フラメル湖沿岸とサラマンデル寄りの山岳地帯の二方向から敵の本拠地ピスケスに進撃するというものだ。主攻撃となる湖沿岸を歴戦のシルフィード軍と新設されたウンディーネ軍が進撃し、山岳地帯をグノーム軍が担当する。再建途上のサラマンデル軍はキャンサーに入城して万が一に備える。
シルフィード、ウンディーネ軍がフラメル湖沿いに水路で補給を受けつつ、電撃的にピスケスを強襲し、山側からグノーム軍が進出することでピスケスは挟み撃ちにされる。放置した方に本拠地ピスケスを蹂躙される危険性が高いため、フィリップは迂闊に出撃できない。かといってピスケスに籠城すれば袋のネズミとなり、進退窮まることになる。
直接攻撃に参加する部隊だけで総勢四万というこの世界では類を見ない大軍を動員する統一帝国軍に対し、ピスケス伯フィリップが動員できるのはせいぜい一万といったところだ。それも一般住民から根こそぎ動員を掛けて、である。正面からやり合えば、まず間違いなく勝つのは統一帝国軍だ。
それだけにフィリップは自身の優勢な水軍を動かして補給路を絶ったり、山岳地帯でゲリラ戦を展開したりと小細工を仕掛けてくるだろう。それによってどちらかの軍勢の進軍を遅滞させ、順番に奇襲を掛けて各個撃破を狙う。
ただしどちらのルートでも統一帝国軍の方が数は多いので、横綱相撲で押し切りたいところだ。また途中の貴族たちが裏切ってこちらにつくことも期待できる。すでに早くに降った者には本領安堵すると空手形を出している。
おそらく軍隊同士の戦いでは問題なく勝てるだろう。しかし、シンたちがミカエルに負ければ意味はない。シンは問うた。
「ミカエルの行方はわからないのか?」
「麻衣様が情報を掴んでいるそうです。一週間後、帰ってきて報告すると連絡がありました」
ロビンソンは淡々と答える。あくまで今日は、ウンディーネにおける動員の最終調整のための会議だ。ミカエルを倒し完全勝利する算段は、麻衣が帰還してからである。この感じだと麻衣は何か掴んだようだ。帰ってくるのが楽しみである。
終始なごやかに会議は進み、おおむね個々の貴族たちの希望は受け入れられることになった。動員の減免を申し出た貴族の兵力は縮小し、逆に増員を求めた貴族の兵力を増やしてやる。軍隊同士であればまず負けない。残っている天使ミカエルも四大魔王の敵ではない。楽観論が議場を支配し、勝った後のフィリップの処遇や論功行賞の話題さえ出る始末だった。
「皆様、ゆめゆめ油断しないよう。ピスケス伯フィリップは抜け目のない人物です。思わぬところから足をすくわれるかもしれません。彼の首を取るまで戦いは終わりではないのです」
ロビンソンは戒めの言葉を掛け、シンと冬那は手元の指輪に目を落としながら力強くうなずく。
「そうだな。ミカエルだっているんだ」
「ですね。簡単にはいきません。相手が天使でもみんなで力を合わせて、必ず勝ちましょう」
ミカエルと戦わなければならないシンや冬那に油断はないが、逆に自分たちが負ければ負けだという緊張がある。ロビンソンの言葉を自分たちへの叱咤だと解釈し、ロビンソンの懸念は円卓に伝わらない。
「大丈夫です! 皇帝陛下と女王陛下が負けることはありません!」
「我が軍は圧倒的ですぞ!」
「そのとおり! 天使などものの数ではありません!」
参加している貴族たちはそんな風に声を上げ、場の空気は弛緩しっぱなしだ。ロビンソンは小さく嘆息する。
「これはよくない兆候ですね……」
ロビンソンのぼやきを、シンも冬那も含めて、誰一人として聞いているものはいなかった。




