6 ウンディーネの騒乱
ウンディーネの王都キャンサーの広場。シンに王冠を被せられた冬那は即位を宣言する。遠慮がちではあるが、拍手が響いた。人間の姿はまばらで、ホビットやドワーフといった亜人の姿ばかりが目立つ。ウンディーネ北部はマグヌス火山帯に接しており、森林資源や鉱山資源が豊富だ。火山帯の裾野に住む亜人族が、冬那の姿を一目見るため山から出てきているのだった。一方、キャンサーに住む人間たちは家から出ようともしない。
最初は緊張で周囲が見えていなかった冬那も、事態に気付いて表情を曇らせる。いまいち盛り上がらないままに、式典は終了した。
即位の式典が終わった後、王宮に引っ込み、シンたちは円卓に集まる。まず、シンは率直な感想を漏らした。
「……なんだか反応が薄かったな」
敵地を占領しての即位は三度目だが、ここまで人が集まらなかったのは初めてだ。シルフィードもサラマンデルも、なんやかんやで新たな女王を受け入れたのに、ウンディーネの住民は冬那を全く相手にしなかった。
「ハハハ……私じゃだめだったんでしょうね。私だけは、元々魔王じゃなかったですから」
一応は魔力から冬那もウンディーネ王家の末裔だと認められているのだが。冬那は乾いた笑いを漏らす。新生ウンディーネの宰相として王宮に先乗りしていたロビンソンはフォローした。
「仕方がないでしょう。ピスケスにはフィリップ殿が残っています。彼こそがサラマンデル、ウンディーネ両国の王だと考える者が多いのです」
ウンディーネはいわばフィリップのホームグラウンドだ。簡単にはシンたちになびかない。だからこそ南ウンディーネ討伐を急がなければならなかったが、シンたちは内政を優先させることを選んだ。サラマンデルはおかげで落ち着き、羽流乃が支持を集めつつあるが、逆にウンディーネは不安定化した。
「全てはこれからです。我々がどれだけやれるかで、我々が認められるかは決まります」
ロビンソンはそう言って場を纏めた。
そして慌ただしい日々が始まった。ウンディーネに配置されたのは主にグノーム出身の貴族たちだったが、右も左もわからない土地なので紛争が多発した。
「陛下! コズィ村とロー村の水利権についてですが……」
「ラモン山の境界はどうなっているのでしょうか!? 隣村が勝手に木を切ったと……」
「フラメル湖の漁業権ですが、例年より不漁であるため、漁獲枠の拡大を……」
貴族たちは、何かあればすぐに王宮に駆け込んできて冬那に直訴する。冬那は初めての体験にうろたえるばかりだ。
「え? え~っと、どうすればいいんでしょう?」
冬那はチラチラと横目でシンとロビンソンを見る。そんな冬那の様子を見て、貴族たちはあくまでターゲットを冬那に絞り、ここぞとばかりに自己アピールに走る。
「女王陛下、ここは私にお任せを! グノームの法では……」
「いえいえ、私の案の方が……! ウンディーネの慣習によると……」
「私であれば両方納得させて見せましょう! サラマンデルの決まりですと……」
サラマンデルの支配を受けた上にグノーム貴族がやってきたというウンディーネの特殊性が露わになる。各々がそれぞれの国の法、慣習を持ち出して自分の意見を通そうとするのだ。たまりかねたシンは少し顔を引きつらせながら助け船を出した。
「ちょっと落ち着こう。そうすぐには決められねえよ。まず双方の言い分を聞きたいから、相手方を呼ぶよ」
秘技、先延ばしの術である。こう言っておけば、きっとロビンソンがなんとかしてくれる。
「皇帝陛下の仰るとおりです。急ぎの案件であることは理解しています。双方の意見を聞いた後、すぐに結論を出しますので、今日のところはお引き取りください」
ロビンソンもシンに同調し、ぞろぞろとやってくる貴族たちを片っ端から帰らせる。貴族たちも皇帝と宰相には逆らえない。後には訴状の山だけが残った。これはなかなか前途多難だ。
また住民からの苦情も殺到していた。延期になったとはいえ、南ウンディーネ討伐は既定事項だ。戦争に備えて、早くも物資の徴発や住民の動員を行った貴族がいたのである。やめろとはいえず、さりとて放置するわけにもいかず、何をどうすればいいのか見当がつかない。
一日が終わる頃には、シンも冬那もあまりの問題の多さに玉座でぐったりしていた。
食堂で夕食をとる。シンも冬那も一言たりとも喋らず、重苦しい雰囲気だった。二人の頭の中では今日来た貴族たちの訴状とその前から噴出していた住民からの苦情が渦巻いていて、他のことを考える余裕なんて一ビットもない。矛盾が起きないように、国としての見解を出さなければならないのだ。口に運んでいる食べ物の味もわからない。ウンディーネ特産の淡水魚を使った料理は味わわれることなく虚しく咀嚼されるばかりである。
すぐに夕食を終えて二人で執務室に戻り、どういう方針で臨むか、ああでもないこうでもないと議論した。訊けばロビンソンはすぐに正解を出すだろうが、それに甘え切るわけにはいかない。
葵、麻衣、羽流乃はそれぞれ補佐人がついているにしろ、女王として自分で判断を下している。経験がないからと泣き言を言うものなど一人もいない。真面目な冬那は同じようにしなければと一生懸命になり、シンも冬那を助けたいと思ってない知恵を絞った。気付けば深夜近くとなり、使用人がやってきておそるおそる「もうお休みになっては」と言ってくる。いいアイデアは浮かんでいないが、明日もあるのでもう寝なければならない。
例によって、シンと冬那は同じ寝室だった。真面目な冬那には他の三人のように仕掛けてくる気力もないようで、パッタリとベッドに倒れ込む。疲れ切っていたシンも同じようにベッドに身を沈めた。
「疲れましたね……」
「そうだな……」
二人は同時にため息をついた。こんな調子で、やっていけるのだろうか。二人はしばらくそのままベッドに顔を埋めていたが、冬那は思い出したように顔を上げて周囲を見回し、首を傾げる。
「この部屋、ベッドが一つしかないんですね」
「ダブルベッドだからな」
「えっ、じゃあ私、先輩と一緒に寝るんですか!?」
「そうだな」
いつもそうしているだろう、と言わんばかりにシンは首肯する。実際に葵や羽流乃とはそうしているが、目の前にいるのが冬那だということは、疲れ切ったシンの頭から欠落していた。
「そ、そ、そうなんですね! て、天井のシミを数えている間に終わるんでしょうか!?」
冬那は顔を真っ赤にしながら固く目をつむる。同時に冬那が魔力を抑えて部屋の照明を落とした。シンはというと、ベッドに潜り込んで三秒で夢の世界に出発し、いびきをかき始める始末だった。やがて冬那も寝落ちし、二人は何もなすことなく泥のように眠った。




