44 天使、遁走
山北から回収した魔石を、ルシフェルは手の中で焼き尽くす。天然モノならこんなに簡単に処分できない。今のでわかった。この魔石自体、ミカエルが人工的に作成したものだ。ミカエル本人はともかくとして、ミカエルが率いる天使たちは、紛い物でしかないのである。
「さぁ、次こそあなたの番ですわよ」
ルシフェルはゆっくりとミカエルの方に近づいていく。ミカエルは『炎の闘技場』を消そうと魔力を練っている最中だった。ミカエルは顔面蒼白になりながらも、停戦を提案してくる。
「お、落ち着いてください。私とあなた方の利害は決して対立しないはず……! 約束通り、私にあなた方が現世へと帰還するお手伝いをさせていただきましょう……! 私の力があれば、楽に現世へと帰ることができるはずです!」
確かにシンの目的は現世に帰ることだった。だが、こいつに何を言われようと信用できない。
「今さらですわね。指輪も魔王も揃った以上、あなたの力を借りずとも私たちだけで帰還することは可能でしょう。ここまでのことをしておいて、許されるとでも思っているのですか?」
サラマンデルの大軍に、山北ら魔族の軍団を動員。さらに天使ガブリエルを使って冬那を殺し、この世界に連れてきた。ここまでやっておいて許してくださいは、いくらなんでも通用しない。
「わ、私は約束したでしょう! あなた方五人を無事現世に返し、危害を加えることはないと!」
ミカエルは口角泡を飛ばし訴えるが、ルシフェルの心には響かない。本気でミカエルに約束を守る気があったとは思えないのだ。
「ならば、なぜ山北君を引き込んでいたのですか? 彼は私たちを殺す気しかなかったでしょう?」
戦ってみて理解したが、山北にはシンたちを無事に逃そうなんていう意志は一切なかった。元先生、元級友ということで多少は疑念を持ちながらも彼らを信用していた自分に腹が立つ。最初からミカエルも山北も、シンたちを殺す気だったに違いない。
だらだらと汗を流しながら、ミカエルは答弁を続ける。
「……あわよくば魔王とその器を抹殺しようとしていたことは認めます。だが、基本線はあなたと話したとおりの計画でした。常人としての生を全うする限りにおいて、私があなた方に危害を加える理由はない……!」
誠意を見せようというのだろう、ミカエルは両手を挙げて翼を消し、魔力の放出もやめて人間態になる。
「降伏します。あなた方がこちらの世界に留まるというのなら、私の方が現世に帰りましょう。残念ながら私一人の力では帰ることができないので、手伝ってください。そして帰還すれば、私はこちらの世界に一切干渉しません」
「……」
ルシフェルが今すぐ高威力の魔法をぶつければ、天使の力を展開していないミカエルを一撃で殺すことができる。まさか、ミカエルは本気で降伏を申し出ているとでもいうのだろうか? ルシフェルはさすがに無抵抗なミカエルに危害を加えるわけにはいかず、戸惑う。
しかし、ルシフェルの背後からハエの使い魔を通して麻衣の声が響く。
「アカン! 羽流乃ちゃん、避けて!」
殺気を感じたルシフェルは横に飛び退く。剣を持ったガブリエルが、ルシフェルがいたところを通過した。
「クッ……! ミカエル様、申し訳ありません……! せっかくミカエル様が作ってくださったチャンスを、活かせませんでした……!」
「ガ、ガブリエル……!」
ミカエルは驚いたような表情を見せる。ミカエルからしても予想外のタイミングだったようだ。
迂闊だった。ルシフェルが炎の呪文を使ったせいで、ガブリエルを封印していた氷の魔法が解けていたのである。ガブリエルは凍傷で全身ボロボロだ。さらに『炎の闘技場』が展開されている中を無理に飛行したせいだろう、翼は焼け焦げて無残な有様となっていた。それでもミカエルを守ろうという強い意志を込めて、ルシフェルに剣を向ける。
「なるほど、最初からこれが狙いだったのですか……! いいでしょう、正面から二人とも斬り伏せて見せますわ!」
「いや、違……」
ミカエルは何か言いかけたが、知ったことか。ルシフェルはちょうど飛び退いた先にあった〈童子切安綱〉を地面から抜く。ルシフェルの衣装は鎌倉武士かくありきという無骨な大鎧姿となり、炎でできた馬まで現れる。ルシフェルは炎の馬にまたがって猛然とミカエルに突撃をかけようとするが、ガブリエルが立ち塞がった。
「さぁ、ミカエル様! 私が時間を稼いでいる間に逃げてください!」
「さ、さすがは我に忠実なる天使ガブリエル……! ここは任せました……!」
再びミカエルは『炎の闘技場』を解呪しようと魔力を練り始める。構わずルシフェルは、もはや翼を広げて飛行する力さえないガブリエルに馬体をぶつけた。ガブリエルは必死に炎の馬にしがみつき、ルシフェルを妨害する。炎に焼かれながらもガブリエルは離れない。仕方なくルシフェルは炎の馬を消し、地上に降り立つ。
「一寸の虫にも五分の魂といったところですか……。いいでしょう、一撃で殺して差し上げますわ」
「私ほど神に忠実な天使はいない……! ミカエル様も認めてくださった……! 私が負けるはずがありません……!」
ガブリエルは剣を構える。自分の言葉に酔っているのか、ガブリエルの魔力が増していった。ルシフェルは嘆息する。
「それはそうでしょう。あなたはそういう風に造られているのですから。あなたはただの人形に過ぎません」
手合わせしたことで、ルシフェルははっきりと確信していた。ガブリエルは魂まで人造の天使だ。それも、ミカエルの劣化コピー。さすがのミカエルも魂を完全新造することはできなかったのだろう、自分の魂のコピーを女性型の体に埋め込んだのがガブリエルだった。
「あなたは何を言っているのですか? 私は神の奇跡により誕生した天使……! 邪悪なる魔王を滅ぼすための存在です!」
死にかけのはずなのに、ガブリエルの剣へと魔力が集まる。雷光を纏った剣を振りかぶり、ガブリエルは斬りかかってくる。
ルシフェルは冷静だ。ガブリエルの魔力増加に比例して、ルシフェルの魔力も増えていく。人形ごときに負けるはずがない。ガブリエルと同じく、ルシフェルも魔力の全てを山北から奪った〈童子切安綱〉につぎ込んだ。〈童子切安綱〉の刀身が熱で真っ赤に輝く。
「『炎熱の一撃』!」
ルシフェルの刀はガブリエルの剣を叩き折り、ガブリエル自身も真っ二つにする。ガブリエルの魂も魔石も、一瞬で灰となって消え去った。




