39 水の魔王
「先輩、私と一つになってください!」
「ああ、冬那こそ俺に力を貸してくれ!」
冬那はそっとシンの腰に腕を回し、少し背伸びをしてシンと唇を重ねた。冬那の暖かさに包まれ、シンは戦場にいながらベッドで眠る前のように穏やかな気持ちになる。今から使う力は、本来冬那のものではない。それでも冬那の強さなら操れるし、シンの器なら受け止められる。シンも冬那も、そう確信していた。
「世界を満たすは水の力! 背負いし罪は命押し流す嫉妬! 甦れ、魔王リヴァイアサン!」
冬那の体が液体になって飛び散り、消え去る。同時に地面から噴き上がってきた水柱がシンの体を覆った。やがて水柱は勢いを失い、消えてしまう。そこには冬那と同じ顔をした魔王が顕現していた。
「頂点を目指すとき、嫉妬は己を高める向上心へと変わる……! 戦わせてもらいます、最後の最後まで!」
ゆったりとした青いドレスを纏い、ガラスの靴を履いたリヴァイアサンはさながら舞踏会に現れたシンデレラのように美しい。かつてのリヴァイアサンと、格好は同じだ。リヴァイアサンは虫も殺さないような澄ました顔をしてスカートの端をちょこんと持ち上げ、優雅に一礼する。
「天使様に中村先生、始めましょう」
「どんなに取り繕っても溢れ出る邪悪な魔力を隠せていません……! あなたは汚らわしい悪魔の子です!」
「その通りです。魔王は滅せなければなりません」
ガブリエルは激しくリヴァイアサンをなじり、ミカエルも神妙な顔で同意する。リヴァイアサンはニコニコと笑みを浮かべるばかりだ。
「ええ、私は魔王ですよ? みんなに勝つために、みんなを守るために、この姿を望んで手に入れたんです」
リヴァイアサンは堂々と胸を張る。冬那のシンや、他のみんなへの思いは本物だ。オリジナルではないにもかかわらず冬那の魂は魔王のそれとして機能し、リヴァイアサンとしての力を完全に掌握していた。
「ガブリエル、その悪魔を滅殺しなさい!」
「ミカエル様の願い、確かに聞き入れました……!」
ミカエルが鋭い声で叫び、ガブリエルはうなずく。ガブリエルの纏う魔力がどんどん強くなる。誰かに願われることで自分を強化できるというのが、ガブリエルの能力らしい。ガブリエルはドラゴン型の使い魔を呼び出した。ミカエルが昨日使っていた火を噴くドラゴンに似ているが、一回り小さくあまり魔力を感じない。多分、ブレスは使えないだろう。まずは小手調べということか。
「こんな程度じゃ私の相手は無理ですよ? 『毒の剣』!」
リヴァイアサンの手に、細身のレイピアが現れる。リヴァイアサンは何の芸もなく正面から突っ込んでくるドラゴンを闘牛士のようにいなし、軽く『毒の剣』を体表に掠らせる。
それだけで充分だった。ドラゴンは即死し、塵となって消え去る。一滴で使い魔など何十匹いても殺せるくらい、リヴァイアサンの毒は強力だ。
「なるほど、それならこれでどうでしょう?」
小柄で筋骨隆々なドラゴンが、数十体ほど姿を現す。魔力は感じないのでやはりブレスは使えないが、膂力だけで相手を倒すに足る身体能力を持っている。荒野を駆けるバッファローの群れのように、ドラゴンはリヴァイアサンに殺到する。
芸のない物量戦術だが、厄介といえば厄介だ。体を液状化して避けるのはたやすいが、後ろにいる麻衣や葵たちを守れない。アスモデウスやベルゼバブなら同じ数だけ使い魔を呼び出して対抗するのだろうが、実はリヴァイアサンは戦闘用の使い魔を呼び出すことができなかった。
「私たちは大昔のあなたには勝っています……! 操る者が変わっても、同じ魔力を操るのなら自ずと弱点も似たようなものになる……! 魔王リヴァイアサン、あなたに勝ち目はありません」
ガブリエルは勝ち誇った笑みを浮かべ、ミカエルもドラゴンの群れを呼び出し始める。だが、リヴァイアサンは一切動じない。
「はぁ、そうですか。じゃあ、あなたたちだけで私に勝てるか、試してみてください」
リヴァイアサンにもおぼろげながら指輪が教えてくれる。ガブリエルはミカエルの劣化コピーだ。リヴァイアサンを一撃で倒せるほどの火力はないので、こうして物量に頼っている。
リヴァイアサンとしては搦め手の通じない純粋に強い相手の方がやりづらい。物量作戦なら、いかようにでも捌くことができるし、敵が多ければ多いほど逆転のチャンスが増える。わかっていながらこんな作戦をとってくる時点で、ミカエルもガブリエルも大したことがない。
「『水の剣』!」
リヴァイアサンは掌から噴出させた流水を操り、剣とする。真っ黒な塊となって押し寄せてくるドラゴンたちを、リヴァイアサンは一体一体斬り殺す。たちまちリヴァイアサンの青いドレスは真っ赤な血で染まっていった。
「取り逃がすのは気にしないで! こっちはこっちで何とかするから!」
後方で葵が叫ぶ。葵は魔法で土塁を造ってマスケット銃兵を控えさせ、ドラゴンたちに対抗する準備を整えていた。多少取り逃がしても土塁の前で撃ち倒せる。土塁の内側には羽流乃もいて、最後の壁になってくれる。
「先輩たち、お願いします!」
これで安心して戦える。リヴァイアサンはときに自分の体を液状化させてドラゴンの牙や爪を避けつつ、踊るように戦場を駆けてドラゴンを倒していく。
相手も使い魔だけで魔王を倒せるとは思っていない。液状化しているタイミングを狙ってガブリエルは飛翔し、雷の魔法を撃ってくる。リヴァイアサンは辛うじて雷を避け、こちらも魔法を使う。
「つまらない小細工は封じさせてもらいます! 『霧の結界』!」
周囲を淡い霧が覆い、ガブリエルは魔法を撃てなくなる。霧が魔力の減衰率を高めているのだ。結構魔力を使う上に自分も魔法による遠隔攻撃ができなくなる。あまり使いたくはなかったが、使わなければチェックメイトされてしまう。
こうなってくると、リヴァイアサンが得意とはいえない物理対物理の勝負となる。それでも負ける気はしない。
「さぁ、一緒に踊りましょう、天使様!」




