34 場面転換
何やら外が騒がしい。敵襲だろうか。羽流乃は枕元に置いてあった剣を手にベッドから飛び出そうとするが、一瞬でおかしいことに気付いた。剣が異様に軽いのだ。羽流乃はバランスを崩し、ベッドから転げ落ちる。
ドタドタと派手な音を立てて床に叩きつけられた羽流乃を、一人の人影が覗き込んだ。
「何やってるんや、羽流乃ちゃん?」
麻衣だった。パジャマ姿の麻衣は、不思議そうな顔をして羽流乃の顔を覗き込む。羽流乃は後ろに飛び退き、剣を構える。
「どうしてあなたが、ここにいるのですか!?」
「いや、どうしてって……。羽流乃ちゃん、寝ぼけてるんちゃう?」
麻衣は首を傾げる。羽流乃ははたと気付いた。羽流乃が構えているのは、いつも持ち歩いていた木刀だ。着ている服はゆったりとしたネグリジェで、羽流乃が今飛び乗っているのはスプリングが効いたふかふかのベッド。断じて天幕の中にあった粗末な藁を詰めたベッドなどではない。つけっぱなしのテレビからは、どこかの俳優が不倫していた、というニュースが垂れ流されていた。
「先輩たち、早くしないと朝食に遅れちゃいますよ?」
荷物のチェックをしていた冬那は羽流乃と麻衣にそう声を掛ける。冬那はいつの間にか制服に着替え終わっていた。
「飛行機が墜落して、異世界に飛ばされて……。私は麻衣さんたちと戦争をしていたはず……! どういうことですの……?」
羽流乃は確認するようにつぶやく。正確には、異世界という名の地獄だが。麻衣か葵が幻術の類を使っているのだろうか。
「君、色ボケしすぎて頭がおかしくなったんじゃないの? 異世界なんてあるわけないじゃないか。人間、死んだら終わりだよ」
テレビを眺めていた葵は胡乱な目をしてそんなことを言う。どういうわけか葵の顔は土気色だ。実際に転生していなければ羽流乃だって同意見である。
「せやなあ。今日の美ら海水族館が楽しみすぎておかしくなったんかなあ」
今日は沖縄への修学旅行三日目。自由行動の日だ。水族館に行く予定だった。思い返してみれば、初日と二日目の記憶も確かにある。昨日は米兵と乱闘騒ぎを起こしかけたシンを引っぱたいて連れて帰ってきたし、一昨日は空港で迷子になった麻衣を捜して走り回った。いや、しかしこんなものは偽物だ。だまされるな。
「私たちは戦っていたでしょう!? シン君が皇帝で、麻衣さんと葵さんが女王で……!」
まさか、全て夢だったとでもいうのか。思わず羽流乃の声が大きくなる。麻衣はハッと何かを察したような顔をして、ニヤニヤしながらポンポンと羽流乃の肩を叩いた。
「そんなに心配せんでも、誰もシンちゃんを取ったりせえへんで」
「~~~~!」
羽流乃は木刀を放り出し、顔を真っ赤にしてうずくまる。羽流乃は思わず手で顔を覆った。滅茶苦茶に熱い。こんなの、夢じゃないに決まっている。では、異世界でシンと葵の騎士になって働いていたことこそが夢だったのか。羽流乃は恥ずかしくて、消えてなくなりたい気持ちになった。
今日は一日自由行動である。羽流乃たちは午前中に美ら海水族館を思い切り楽しんだ後、午後はのんびり植物園やエメラルドビーチを巡る予定だった。
(今日こそ……勝負ですわ)
ホテルを出た後、羽流乃は強く決意する。今日こそシンに思いを伝え、新たなステージに踏み出すのだ。春だというのに南国特有の強く照りつける日差しに目を細めながら、羽流乃はバスに乗り込む。
思えば、ずっともやもやしっ放しだったのだ。シンはいつも、自分たち四人に囲まれていたけど、一人を選ぶ気はないのか。どうせシンのことなので、楽しければそれでよしとして、本気で何も考えていないだけだろうが。
羽流乃が思いの丈をぶつけて、シンを自分のものにする。小学校に転校してきて、一番シンと一緒にいたのは羽流乃だ。断られるはずがない。必死で羽流乃はそう思おうと努め、勇気を奮い立たせる。
問題はシンと二人きりになれるかどうかだ。バスの中でその心配ばかりして、皆がわいわいと騒いでいる中、羽流乃は終始上の空だった。
やがてバスは水族館に到着し、羽流乃たち女子四人とシン、二次元三兄弟は入り口のジンベイザメのモニュメントの前に集合する。今日は二班で一緒に行動する予定だ。まず二次元三兄弟に離れてもらわないと……。
そんなことを羽流乃が思っていると、落合が前に出て申し出た。
「悪いけど俺たちは、先に行かせてもらう。イルカショーの写真を撮らなきゃいけないからな……! あまり人がいないうちに、場所取りに行かせてもらおう!」
「男三人でイルカショーの写真撮ってどうするんや……?」
麻衣は首をひねるが、普段寡黙な井川がカッと目を見開き、一喝した。
「馬鹿野郎! 美ら海水族館は『魔法少女マジで!? マジカ』第5話のロケ地だぞ!? あの神回の舞台をカメラに収めないでどうする!?」
「ああ、そういうことか……」
麻衣は若干あきれ顔を浮かべ、西村も苦笑しつつ言った。
「そういうことだから、僕らは先に行ってるよ。みんなの分の席も取っておくから、一時間後に現地で待ち合わせね」
こうして二次元三兄弟は連れ立って水族館の外にあるイルカショー会場へと向かった。後は麻衣、冬那、葵である。麻衣と冬那も多分シンのことが好きだ。空気を読んでくれると思うのは、羽流乃の傲慢なのだろうか。
「君、何をそわそわしてるのさ。もう発情しちゃってるの? 本当に気持ち悪いね」
唐突に葵から棘のある言葉をぶつけられ、羽流乃は脊髄反射する。
「な、何を仰っているのかしら! 私はシン君と二人きりになろうとか、そんなことは思ってませんわ!」
言ってしまった。羽流乃は顔を真っ赤にしながらはわわとシンの方を見るが、シンはちょうどあくびをしていて、何も聞いていなかった。
「え? なんだって?」
シンのとぼけた台詞に一瞬殺意が湧いたが、とりあえずよかった。続けてシンは葵の方に目をやり、不思議そうに尋ねた。
「葵、なんでそんなにそわそわしてるんだ?」
「僕がそわそわしてる? 何の話かな?」
見れば、葵はお腹に手をやったり尻を押さえたりしながら、そわそわしていた。口と体が正反対である。
「……ああ、そういうことか。おまえはほんま、態度はでかいのに気はちっちゃいやつやな……。ほら、便所に行くで」
麻衣は嘆息しながら葵の背中を押す。
「ぼ、僕は別に何も我慢なんかしてないよ!?」
「わかったわかった、ウチらは何も知らんわ。冬那ちゃん、一緒に行こうや」
「シン先輩と羽流乃先輩は、時間が掛かりそうなので先に行っていてください! 私たちはゆっくり追いかけますから!」
冬那のナイスアシストを受け、即座に羽流乃は決断する。
「シン君、行きましょう!」
「え? トイレくらいなら待ってりゃいいだろ?」
「いいから! 行きますわよ!」
羽流乃はシンの手を引き歩き出す。このチャンス、絶対に無駄にはしない!




