31 水 vs 地
「冬那、目を覚ませ!」
シンは叫ぶが虚しいばかりだ。後ろでガブリエルが魔力を放出すると、冬那はとろんとした目のまま腕を振った。冬那の掌から流水が飛び出し、剣の形をとる。魔王の力で水の剣を作ったのである。冬那と水の指輪の相性は抜群らしい。天使の力を借りているとはいえ、指輪の力を十全に引き出している。
「やるよ、シン」
「……ああ」
戦う以外になさそうだ。どうやら冬那はガブリエルに操られているようである。ガブリエルを倒せば元に戻るだろう。
葵はシンの左手をとり、シンの唇にキスをした。
「世界を作るは地の力! 背負いし罪は命を育む色欲! 甦れ、魔王アスモデウス!」
二人が叫ぶと同時にシンの体は光に包まれ、魔王アスモデウスが現れる。アスモデウスは葵の体を地中に隠し、悠然と冬那の前に立つ。
「ようやくあなたのお出ましですか! 私が斬り捨てて差し上げますわ!」
冬那より先に羽流乃が動いた。燃える刀を手に羽流乃は斬りかかってくる。
「やれるものならやってみなよ。『鉄の槍』!」
十数丁のマスケット銃が空へと舞い上がり、四方八方から羽流乃を狙い撃つ。刀が発する炎で正面の銃弾は焼き尽くせても側面や背後は無理だ。一瞬で羽流乃は防戦一方に追い込まれた。
「卑怯ですわよ! 正々堂々勝負しなさい!」
「お断りだよ。君なんかと遊んでる暇はないのさ」
負け犬の遠吠えをアスモデウスは嘲笑う。羽流乃はマスケット銃に追い立てられ、主戦場から離れていく。マスケット銃は自律機動もできるので、しばらく放っておける。
本当の敵は、ミカエルとガブリエルだ。この二人に勝たなくてはならない。
天使二人が前に出てくる気配はない。ミカエルもガブリエルも、そういうスタイルなのだろう。ガブリエルは冬那を操り、ミカエルは多数の二メートル級ゴーレムを呼び出す。ドラゴンだと即死させられてむしろエネルギーにされると見たのだろう。
ガブリエルが自ら攻めてこないのは、おそらく冬那を御するだけで精一杯だからだ。水の指輪と相性がいいとはいえ、冬那はそもそも魔王だった羽流乃とは違い、魔力を受け入れる余地があるというだけの人間である。冬那を魔王たらしめるため、その魔力のほぼ全てをガブリエルは注ぎ込み続けている。
アスモデウスは大地に種を蒔き、多数の雄ヤギを呼び出してミカエルのゴーレムに対抗した。大地の力で育った雄ヤギは勇敢だ。数匹に連携させれば、命のないゴーレム程度なら倒せる。
さて、問題は冬那だ。他の魔王もそうであるが、アスモデウスが持つ前世の記憶は極めて曖昧である。水の魔王の力を宿した冬那がどんな魔法を使ってくるのか、さっぱり見当が付かない。
とりあえず、仕掛けてみるしかあるまい。羽流乃に対してそうしたように、アスモデウスはマスケット銃をによるオールレンジ射撃を浴びせる。だが、冬那には全く効果がなかった。
「フフフ、葵先輩、痛くもかゆくもないですよ?」
冬那は全身を液体に変え、銃弾を全て透過させた。シンが同じ魔法を使えば人の形を維持できず、ただの水たまりと成り果てるところである。しかし冬那は魔王の力でその姿のまま立ち続け、笑ってさえ見せた。
「こちらから行きますよ!」
全身を水にしたまま、冬那は流水でできた剣で斬りかかってくる。アスモデウスは冷静だ。呼び出していたマスケット銃を正面に集中し、一斉射撃を浴びせる。思った通り、慌てて冬那は避けた。冬那はアスモデウスの魔力を帯びた銃弾を、完全に無効化できるわけではない。強烈な一発が入れば、飛び散った水の分だけ身を削られる。
これなら戦いようがある。重い一撃で削りきればいいのだ。
「『金の斧』!」
空中に、全長十メートルはあろうかという金色の斧が出現した。斧は重力に引かれ冬那めがけてまっすぐ落ちてくる。銃弾を避けて態勢を崩した冬那は回避行動をとれない。しかし冬那は葵の攻撃を鼻で笑った。
「先輩、こんなのは簡単ですよ」
冬那は巨大な斧に触れる。斧は一瞬で水へと変化し、バシャリと地面を濡らした。固体を液体に変える能力があるようだ。物理攻撃主体のアスモデウスとは相性がよろしくない。アスモデウスは自分を奮い立たせるため、笑顔を作る。
「上等だよ、僕は君の偽善者ぶりも気にくわなかったんだ」
「先輩、いつものツンデレですか? そんなこと言って、先輩は別に私たちのこと全然嫌ってなんかなかったでしょう?」
「勝手な解釈はやめてほしいね……。今も僕は、君を殺す気で戦ってるよ。『鉄の槍』!」
不意打ちでマスケット銃を乱射してみたが、横っ飛びであっさり避けられた。あまり身体能力自体は高くない印象だったが、腐っても魔王である。単発の攻撃を繰り返してもチェックメイトを掛けられない。
取り得る作戦は二通り。冬那を狙うか、ガブリエルを狙うかだ。冬那を狙うなら重力による攻撃しか通用しないだろう。子ヤギをばらまいて、戦場に転がる死体から命を収穫しなくてはならない。
ガブリエルを狙うなら、使い魔とマスケット銃の組み合わせで追い詰めることになる。しかし当然ミカエルはゴーレムをさらに増やして壁にしてくるだろうし、冬那も黙っていない。重力攻撃なしで冬那を抑えるのも難しい現状を鑑みれば、こちらの方がより困難だろう。
それでもアスモデウスは後者を選んだ。ブラックホールなんか使ったら冬那を完全消滅させてしまう。
「本物の魔王の力を見せてあげるよ……!」
アスモデウスは不敵な笑みを浮かべながら、内心でプレッシャーを感じていた。




