30 持ち駒
「葵先輩! ダメです、シン先輩が!」
無理矢理乗せられた馬の上で、冬那は叫ぶ。戦場の喧噪に負けないように、葵は怒鳴り返した。
「大丈夫だよ! 麻衣が行った!」
葵は後ろを見る。撃ち上げられる銃弾をどうにか避け、麻衣はシンのところに到達した。シンはベルゼバブとなって羽流乃、そしてミカエルと戦うだろう。
「麻衣ちゃん先輩なら……やってくれますよね?」
自分に言い聞かせるように、冬那は葵に尋ねた。葵は微妙な評定を浮かべざるをえない。
「どうだろうね……」
慎重なミカエルのことだから、確実に勝てる策を用意しているはずだ。ベルゼバブの戦闘力は凄まじいが、ミカエルだって同等以上だろう。きっと他にも天使は来ているし、羽流乃を使って何かする気なのかもしれない。葵は精神論が嫌いだ。口が裂けても絶対に勝てるとは言えなかった。
葵がまともに答えなかったことで冬那は決して状況がよくないことを察する。冬那は言った。
「葵先輩、戻りましょう。私たちでシン先輩を助けるんです!」
今のこのこと戻っても、邪魔になるだけだ。葵はあえて冬那に冷や水を浴びせる。
「『私たち』、ね……。戻ったところで、君に何ができるっていうのかな?」
実際のところ、単独では攻撃魔法を使えない葵も魔王と天使の戦闘に割って入ることなど不可能だ。そこを棚に上げて、葵は冬那を責める。
冬那が戦おうにも指輪がない。たとえ葵が持っている地の指輪を使わせても、攻撃の魔法は使えないだろう。余っている火の指輪を持たせようともしたが、特に冬那と合わないようで、持っただけで冬那は立っていられなくなる有様だった。今の葵と冬那には戦うことができない。
しかし冬那は首を振る。
「私には……戦う力があります」
冬那はポケットの中から水の指輪を取り出す。葵の顔色が変わった。この指輪があれば、冬那は戦える。
「君、それをどこで……!」
水の指輪の一方はシンが持ち、一方はエゼキエル家が所有する洞窟に隠していた。冬那が自力で洞窟から指輪を回収できるはずがない。
「もらったんです。天使様に」
「天使って、ミカエルかい?」
「中村先生じゃありません。私をこの世界に転生させてくれた人です」
「……」
ますますきな臭い話になってきた。冬那は、ただ単に遅れて転生してきただけではないのか。そして冬那は、天使とやらに指輪までもらっている。葵は指輪の魔力を探るが、紛れもなく本物だ。天使が回収して、冬那に与えたということだろう。
「絶対、その天使は僕らの敵だよ。わかってる?」
「そうですね……そうかもしれません。でも、相手は関係ありませんから。私は、先輩たちのためなら、天使様とでも戦います!」
冬那の決意はわかった。だが、問題はそこではない。冬那の言葉を信じるなら、やはりミカエル以外にも天使はいるということだ。また冬那に指輪を渡していること自体、天使による謀略の可能性が高い。冬那を戦場に引きずり出して何かを企んでいるのだ。
そこまでわかっていながら、葵は冬那とともにシンを助けに行くという選択肢を捨てることができない。シンと麻衣が苦戦しているのが、馬を走らせながらでもわかったからだ。火属性の魔力がどんどん増え、風属性は逆に小さくなっていく。ハエを操るベルゼバブの魔法は、全てを焼き払う火の魔法と相性が悪いのだろう。
「……一緒に突っ込んで、君がユニコーンで攻撃するんだ。その後、指輪は僕に渡してもらって君は麻衣と一緒に全力で逃げる。いいね?」
葵と麻衣が行けば、もう一人の天使が出てくる可能性が高い。向こうの思惑に乗るのは危険だが、他に手はない。
○
葵と冬那はベルゼバブと羽流乃、ミカエルが戦っている現場に突っ込み、冬那は魔法を使った。
「大地のケモノに水の手綱! 命を司る使い魔よ! 力を貸せ!」
小柄なユニコーンは蹄で大地を蹴り、羽流乃に向かって突進する。とっさに羽流乃はバックステップで避ける。わずかにできた隙を逃さず、シンと麻衣は分離した。シンは分離と同時に指輪の魔法を発動する。
「風の力に地の肉体! 五感を司る使い魔よ! 力を貸せ!」
呼び出されたオオカミは冬那のユニコーンとともにミカエルのドラゴンたちに飛びかかった。出てきたばかりのドラゴンたちはいきなり攻撃を受けて混乱し、でたらめに暴れ始める。
「葵、後は任せたで!」
麻衣は言い残した後翼をはためかせて低空に飛び上がり、少し後方に退避する。葵はシンのところまで馬を走らせ、冬那とともに飛び降りた。一秒さえも惜しい。冬那はすぐに地の指輪をはずし、葵に渡す。戦っていたユニコーンは消失した。
「葵先輩!」
「うん!」
葵は地の指輪をはめる。冬那は水の指輪もはずそうとするが、そのときミカエルは叫んだ。
「今です、ガブリエル! 黒海冬那を確保しなさい!」
ミカエルの背後から、女性型の天使が飛び出す。麻衣は反応できず、シンはオオカミに止めさせようとするが、天使のスピードが速すぎて間に合わない。ガブリエルはじたばたと暴れる冬那を抱えて飛行し、悠々とミカエルのところに戻る。
「何をするんですか! 放してください!」
冬那は暴れるが、ガブリエルが放すわけがない。ガブリエルはニッコリと笑う。
「このときのためにあなたを転生させたのです……。働いてもらいますよ」
ガブリエルはもう一つの水の指輪を冬那の指にはめる。
「指輪よ、彼女に力を……」
ミカエルが羽流乃にしたのと同じように、魔方陣が冬那を中心に展開される。冬那の体を銀色の鎧が覆った。水の指輪の魔力が放出される。
「い、嫌ぁぁぁぁっ!」
冬那は悲鳴を上げるが、さらにガブリエルが魔法を掛ける。
「空っぽのあなたを御することなど造作もありません……。さぁ、邪悪なる魔王を打ち倒す剣となるのです……」
ガブリエルの魔法は、すぐに効果を発揮した。冬那の顔は死人のように青白くなり、焦点の定まらない目でシンの方を見る。
「葵先輩……死んでもらいます」




