29 火 vs 風
「『風の刃』!」
ベルゼバブは風で作り出した鎌鼬を放つ。これは防げないだろうと予測したのだが、羽流乃は刀に込めた魔力で鎌鼬を叩き落とす。見えないはずの風そのものにさえ対応するとは、これはいよいよダメージを与える方法がない。
それでもベルゼバブはつかず離れずの距離を保って『風の刃』や『風の弾丸』を放ち続ける。こうして戦線を膠着させて、葵が来るのを待つ。あの女なら、ちょうどいいタイミングでこっちに来るはずだ。
「クッ、ちょこまかと……! 中村先生! 見ていないで手伝ってくださいまし!」
羽流乃は苛立たしげな声を上げる。ミカエルが参戦しても関係ない。むしろ本気の攻撃をぶつけるチャンスだ。
「仕方がないですね……」
ミカエルの周囲にいくつも魔方陣が現れる。ミカエルには自分で戦う気がまるでない。あまり覚えていないが、前々世でもミカエルはそういうスタイルだった気がする。油断大敵だが本人はあまり警戒しなくて良さそうだ。
ただし、ミカエルはきっちりベルゼバブの弱点を突いてくる。魔方陣から人間サイズの翼がないドラゴンが飛び出してきて、火を噴きながらハイエナか何かのようにベルゼバブに襲いかかった。
「ブタちゃん!」
少ないながらも使い魔を呼び出し、対応する。キバも何もないただのブタだが、体重だけはあるので肉の壁に最適だ。相手は使い魔でさえない人造の魔物だった。炎を使ってくるとはいえ、目標に飛びかかる程度の知能しかない。何とかなる。
「使い魔ですか! まずいですわね! なら私が……!」
「おっと羽流乃ちゃん、あんたの相手はウチやで!」
ブタの丸焼きでも作ろうと思ったのか、羽流乃は麻衣が呼び出したブタの方に向かおうとする。ベルゼバブは当然許さない。『風の刃』を乱射して阻止する。
そうこうしているうちに、ブタはどうにか一体のドラゴンを倒す。チャンスだ。死体を使ってハエを増やそう。羽流乃はベルゼバブの意図を察知してドラゴンの死体を焼こうとするも、ベルゼバブが魔法を乱射して引きつける。
あっという間にウジ虫はドラゴンの死体を食い荒らし、蚊柱ならぬハエ柱ができあがる。ハエを使って、ベルゼバブは魔法を発動する。
「『ハエの現し身』!」
ハエたちは固まってもう一体のベルゼバブを形成する。ベルゼバブはハエを使って自分の分身を作ったのだ。アスモデウスの『地の人形』が単なるコピーにすぎず、本体と同じ行動しかできないのに対し、『ハエの現し身』は本体と同等に思考し、行動することができる。
「さぁ、羽流乃ちゃん、こっちやで!」
「いやいや、こっちや!」
「クッ、卑怯な……!」
二体のベルゼバブは口々に叫びながら、羽流乃の背後を取ろうとする。背中から『風の弾丸』を撃ち込めば羽流乃とて対応できない。当たれば羽流乃を命に別状なく無効化できるだけに、何としても命中させたいところだ。背中を気にして、あからさまに羽流乃の動きが鈍くなる。
しかし、ミカエルが邪魔に入った。ドラゴンをさらに増やしてきたのだ。
「紅さん、落ち着きなさい。所詮、正体は小虫の塊……。何体に増えようが、清めの炎には敵わぬさだめです」
芸のない物量戦術に、ベルゼバブは形勢不利に追い込まれていく。ドラゴンはてんでバラバラに突進しながら、火炎放射器のごとく魔力を持った炎を噴出するだけだ。しかし逆に動きが不規則すぎて、避けきることができない。使い魔のブタはすぐに全滅し、ベルゼバブは追い込まれる一方となる。
時間稼ぎなどといっている場合ではない。仕方なくベルゼバブは切り札を切る。
「『生贄の嵐』!」
ボロボロになっていた分身のベルゼバブが消滅し、魔力を帯びた暴風がドラゴンたちのど真ん中に暴れ込む。分身とはいえ魔王を一体生贄に捧げた嵐は強烈で、一瞬にしてドラゴンたちは消滅した。
しかし、苦労して作り出した分身を失って戦果はたったのそれだけだ。当然羽流乃にぶつけるわけにはいかないし、最後はミカエルにぶつけようとしたが、嵐は見えない壁に阻まれたかのようにミカエルの前で消失した。
あのクソチキン野郎はベルゼバブが羽流乃やドラゴンと戦っている間、防御魔法を丹念に重ね掛けしていたらしい。攻撃に参加してこなかったのはありがたいが、全く詰みにまで至れない。ベルゼバブは持ち札を全て使い切った。
「ここまででしょう……。さぁ、神の御許に召されなさい」
またもミカエルの周囲に魔方陣がいくつも現れ、無数のドラゴンが出てくる。羽流乃も刀を構え、じわじわと近づいてくる。
羽流乃を傷つけずに戦っていたが、これ以上は無理そうだ。こうなれば羽流乃はもちろん、周囲で戦っているグノーム王国軍が巻き添えになるのを覚悟して、攻撃魔法を使うしかない。戦場で戦っている兵士たちにウジを植え付けて食い殺させ、一気に生贄とすれば羽流乃だろうがミカエルだろうが一撃だ。
できるだけ犠牲は出したくないが、自分はシンの体を預かっている。優先順位は、絶対に間違えない。
ベルゼバブが決断しかけたそのとき、馬に二人乗りした葵と冬那が戦場に乗り入れてくる。
「大地のケモノに水の手綱! 命を司る使い魔よ! 力を貸せ!」
水の指輪と地の指輪をはめた冬那は小型のユニコーンを呼び出す。地の指輪は葵のものを借りたのだろうが、水の指輪はどこから出てきたのだろうか。一つしかなかった水の指輪は現在、ミカエルの手に渡っているはずだ。
ベルゼバブは疑問に思うが、問いただす暇はない。葵と合流し、シンにはアスモデウスになってもらわなくては。




