28 成り込み
二重帝国軍の左翼、サラマンデル軍の右翼でも戦闘は開始されていた。といってもいきなり重騎兵で突撃を繰り返すようなことはせず、まずは双方短筒やサーベルを装備した軽騎兵を繰り出し、探り合いだ。ところがこの段階で、左翼に布陣していたシルフィード騎兵は少なくない損害を受けていた。
こちらが攻撃すると、サッと相手は引いてしまう。ところが調子に乗って追いかけると、横合いから別の騎兵が現れて追い散らされる。慌てて増援を送ると、また逃げられて別の隊に攻撃される。この繰り返しだ。相手の指揮官は、二手も三手も先を読んで部隊を動かしている。
「手強いわね……!」
指揮する間宮は、馬上で歯噛みする。ここは我慢しかない。虎の子の重騎兵を投入すれば、間違いなく同じ重騎兵によるカウンターを喰らうだろう。さすがはジャック・ヴィラール。名将などといっても、こちらの世界基準で持て囃されている老いぼれだろうと間宮は見くびっていたが、認識を改めざるをえなかった。油断していると詰まされる。ちょっと知識があるだけで勝てる相手ではない。
だが、間宮の仕事はシンたちが中央で勝つまで時間稼ぎすることだ。冷静に部隊を動かし、間宮は敵を自分たちに釘付けにすることだけに徹した。
○
落馬したシンは、激しく地面に叩きつけられながら自分の状態を確認する。右手は肘からスッパリ切断され、左手も銃弾で指を吹き飛ばされている。左手に残るのは地の指輪と風の指輪のみ。水の指輪は右手にはめていて、火の指輪は、指ごと持って行かれた。
羽流乃は馬から飛び降り、転がっていく火の指輪を回収する。羽流乃の使い魔だろう、小さな火竜はシンの右手にもあった火の指輪を口にくわえて羽流乃の元に飛んでくる。麻衣のハエも動いていたが、火竜に焼かれてしまったらしい。
羽流乃は落馬のショックなどなかったかのようにスッと立ち上がり、膝を突いて息を荒げているシンを見下ろす。
「目的のものは回収できましたわ」
羽流乃の手の中で、火の指輪が二つ輝いた。最初から、それが狙いだったのか。火の指輪が羽流乃の手に渡ったのを確認して、ミカエルまで現れる。ミカエルはシンの切断された右手から水の指輪をはずし、手にした。
「さすがはかつて我が配下で一番の天使だった紅さんです。必ずや成し遂げてくれると信じていました……」
「前々世のことは関係ありませんわ。私はかつてあなたに逆らって堕天使になった者です。あなたを本物の天使だと信じていたなんて思い出したくもありませんので、触れないでください」
ギロリと羽流乃はミカエルをにらむ。ミカエルと羽流乃には前々世でも浅からぬ因縁があったようだ。
「ただの農民の子だったあなたを天使にしたのは私だったのですがね……」
恩着せがましいことを言いつつ、ミカエルは無表情だ。羽流乃は鼻を鳴らす。
「そんなことより、山北君は近づかないようにしていただけているのですか? 彼が来るとややこしくなりますわ」
「もちろんです。彼は今頃、グノーム軍の反撃を抑えるので精一杯でしょう……」
皇帝と女王を守るため、グノーム軍も必死になって反撃を開始している。正面のオークはじわじわと押し返されつつあった。
「さぁ、一部ではありますが、その力を取り戻してもらいましょう」
ミカエルの言葉に従い、羽流乃は迷いなく二つの指輪をはめる。一応今は普通の人間である羽流乃は指輪を使えないはずだが、ミカエルの魔法により羽流乃を中心に魔方陣が展開される。
「指輪よ、私に力を貸しなさい……!」
指輪の魔力が放出され、羽流乃の体が魔王の炎で燃え上がる。このまま放っておけば魂まで羽流乃は燃え尽きてしまうところだが、ミカエルの魔法が発動する。
「その力に、戒めを掛けて差し上げましょう……!」
羽流乃の体を、真っ黒な甲冑が覆う。炎は収まり、ここに魔王の力を振るえる剣士が誕生した。刀を片手に漆黒のプレートアーマーで身を覆った歪な戦士。純正の魔王ほどではないが、かなりの力を秘めている。魔王になっていないシンでは、相手にならない。
「さぁシン君、年貢の納め時ですわ。私たちみんなで現世に帰りましょう」
羽流乃は真っ黒い炎を纏った刀をシンに向ける。シンの窮地に気付いた麻衣は危険を顧みず銃弾をかいくぐって降下し、駆けつけた。
「シンちゃん、呆けてる場合やない。考えようによってはミカエルを倒して羽流乃ちゃんを取り戻すチャンスなんや! いくで!」
「……ああ!」
シンは残っている左手で風の指輪を装着した麻衣の左手を外側からぎゅっと握り、キスをした。
「世界に満ちるは風の力! 背負いし罪は命を守る暴食! 蘇れ、魔王ベルゼバブ!」
銃声が響き、黒煙が立ち込める戦場を、一陣の風が凪いだ。麻衣の体は溶けるようにハエとなって消失し、黒い翼の魔王が顕現する。
「自分の弱さを認めたとき、暴食は分け合う強さに変わる……! 誰が相手でも、ウチは負けるわけにはいかんのや!」
緑の外套を身に着け、金銀宝石で飾った小柄な魔王はミカエル、羽流乃と対峙する。ミカエルに加え、羽流乃までいるこの状況は、はっきり言って不利である。それでも彼らの標的が自分たちである以上、退くことはできない。
「『雷の剣』……!」
「〈和泉守兼定〉……!」
周囲の兵士たちが巻き込まれるのを恐れ、急いで退避していく。ベルゼバブは雷で剣を作り、羽流乃は黒炎を噴き上げる愛刀を構える。ベルゼバブの先制攻撃で斬り合いは始まった。
といっても、まともに剣で勝負すれば羽流乃には勝てない。ベルゼバブが狙うのはスピードを活かしたヒットアンドアウェイだ。矢弾が飛び交う戦場で狙われやすい上空に出てしまうのは自殺行為であるためベルゼバブは派手に飛行することはできないが、翼を使って地面から離れずとも高速で動くことはできる。
対する羽流乃は正眼の構えを解かず、少し離れたところから飛び込むようにして攻撃してくるベルゼバブの剣を冷静に捌いていく。炎を纏った〈和泉守兼定〉ならベルゼバブの雷の剣を弾くことができるのだ。さすが、羽流乃の腕は確かである。ベルゼバブの剣は全く通らない。
「こんなものですか?」
羽流乃は余裕である。フッと笑ったかと思えば、反撃を始めた。ベルゼバブが退こうとした瞬間に合わせて、カウンターで剣を突き出してきたのだ。
避けられない。とっさにベルゼバブは体の一部をハエに変える。しかしそれも無駄だった。刀が纏う炎が、ハエを焼き尽くす。全力で距離を取りながら、ベルゼバブは煙を噴く傷口を押さえる。ダメージを無効化できない。
「だったらこれや! 『風の弾丸』!」
ベルゼバブはウジ虫の群れをショットガンのごとく発射し、羽流乃を撃ち倒そうとする。羽流乃は即座に対応する。
「無駄ですわ」
刀を覆う炎が広がり、突進するウジ虫を焼き尽くす。命中さえすれば魔力を吸い取ってベルゼバブの勝ちが確定するのに、これでは当てることができない。
ベルゼバブのハエもウジも、簡単に焼かれて無効化されてしまう。決定的に相性が悪かった。無論魔力では大幅に勝っているので、本気で嵐なり雷なりを使えば勝てるが、羽流乃を殺してしまうし周囲の兵士たちも巻き添えだ。
ハエを増やして小細工しようにも苗床になりそうなものが今のところない。さすがに両軍の死体を使うのはためらわれるし、死んでも基本的にすぐ転生してしまうのであまり死体の数も確保できない。
(葵や……。葵が来るまで持ちこたえる!)
地の魔法なら羽流乃も破れるはずだ。ベルゼバブは時間稼ぎに徹することに決めた。




