26 出陣
届けられた急報に対して、広間でシンへの縁談を断り続ける仕事をこなしていた葵は、即座に決断した。
「全軍出撃! サラマンデル軍と謀反人を今すぐ迎え撃つよ!」
ちょうどシルフィードからの援軍が到着し、明日にでもオーク討伐に出発しようかというところだった。伝令の内容は簡潔である。スコルピオのロレンス家が裏切り、サラマンデル軍をグノーム領内に招き入れた。サラマンデル軍はアストレアに向けて街道を進軍中。
徒歩の兵がほとんどを占める大集団なので進軍速度はゆっくりであるが、スコルピアから王都アストレアまで、障害物はほとんどない。一週間もあればアストレアに到着するだろう。そして、城壁のないアストレアで籠城するという選択肢はない。
出撃に向けて全軍が慌ただしく動き始める。シンたちも当然従軍するため、それなりの準備が必要となる。着替えやおやつから、一応服の下に着込む鎖帷子まで、持っていくものは大量にあった。それらを手配して馬車に積みつつ、作戦会議を開いて対応策を協議しなければならない。
作戦などといっても、平原が広がるばかりのアストレア─スコルピオ間で小細工は無理だ。街道を北上してくる敵軍を全力で迎撃する。ミカエルなど天使が現れたら、シンたちが叩き潰す。この程度しか決められない。
懸念といえば、サラマンデルが海軍を動かしてシルフィードを突く可能性くらいである。しかし、これについては麻衣が否定した。
「あのチキン野郎が戦力を二手に分けるなんて絶対せぇへんわ。こっち一本や」
シルフィード海軍はすでにグレート=ゾディアック南方に展開させた。最悪の場合でもグレート=ゾディアックでの籠城戦に持ち込む。天使が現れない限り、シルフィードが落ちることはあるまい。そしてミカエルの目的はあくまでシンたちの殺害であって、戦争そのものに興味はない。何人いるのかわからないが、敗北の危険性を少しでも減らすため、天使はこちらに集中させるだろう。
「そういえば羽流乃はどうしてるんだ?」
作戦会議の席でシンは尋ねる。羽流乃の実家はスコルピオのすぐ北で、すでにサラマンデル軍が現れていてもおかしくない。先日、険悪な雰囲気で別れたっきりだが、危険にさらすわけにはいかない。早急に戻ってきてほしい。
参加者たちのほぼ全員が押し黙り、うつむいた。葵はため息をつきながら告げる。
「彼女なら、サラマンデル軍に参加してるよ。『全ての魔王を元の世界に戻す』って息巻いてるってさ」
「はぁ!? 羽流乃が裏切ったということか!?」
寝耳に水の報告にシンは素っ頓狂な声をあげる。どうもミカエルに諭されたということのようだ。
「陛下、落ち着いてください。立地的にサラマンデルとロレンス家の味方をせざるをえなくなったということでしょう。機を見てこちらに戻ってくるはずです」
ロビンソンはさらりと言ってのけた。羽流乃の怒りっぷりからして、本気でサラマンデルに味方しているのは確実だろう。ロビンソンの発言は気休めにもなっていない。
それでもロビンソンの一言で、羽流乃が帰ってくる余地は残された。羽流乃は仕方なくサラマンデルに協力していただけ。そういうことにして、羽流乃を迎え入れろとロビンソンは言いたいのだ。シンは名宰相の気遣いに感謝する。絶対に羽流乃を取り戻そう。
会議が終わって一度部屋に戻ろうとしたところで、シンは冬那と鉢合わせた。
「行くんですか?」
冬那は尋ね、シンはうなずいた。
「ああ。俺が戦って、全部守るんだ」
「私も連れて行ってください!」
冬那は訴えるが、当然シンは首を縦には振れない。
「だめだ。危険すぎる」
矢弾が飛び交う戦場に、どうして冬那を呼べようか。多少は指輪を仕えても、自分の身を守ることさえおぼつかない冬那には、後方でいてもらうしかない。
しかしやってきた葵はポンとシンの肩を叩いた。
「いいじゃないか。冬那も一緒に行けば」
「いや、ありえねーだろ」
葵ならシンと同意見だと思ったのだが。まさかの気まぐれ発動とは、いったい何を考えているのだ。
「ものは考えようさ。僕らの近くにいるのが一番安全だろう?」
「まぁ……確かにそうかもしれないな」
「羽流乃が突然記憶を取り戻したあたり、王宮にネズミが忍び込んでいる可能性も高そうだしね……。一人で置いていくよりは、連れて行った方がいいよ。誰とは言わないけど、卑怯な小物君の標的になりそうな気もするし」
麻衣に頼んでシルフィードに避難させるということも可能だが、天使に本気で狙われたら守り切れないし周囲を巻き添えにしてしまう。人質にされてこちらが戦えなくなるのが一番困るので、いっそ連れて行く。これが葵の決定だった。
葵は冬那を見下ろし、顔を覗き込む。
「もちろん、戦力として全然期待しないわけじゃないよ。今回は羽流乃がいないんだ。……わかってるよね?」
「大丈夫です。私はいざとなれば、先輩たちの盾にでも身代わりにでもなります」
冬那の決意は固いようだった。シンは、そんな事態にならないように精一杯戦うしかない。本当に冬那に期待しているわけではなくて、シンに覚悟させるのが葵の目的だろう。
「……わかったよ。みんなで行って、すぐ帰ってくる。それだけだ」
握りしめた拳で四つの指輪が光る。絶対、俺は負けない。




