25 反乱
羽流乃が去った食堂は、静寂に包まれる。数瞬の間、皆呆然としていた。辛うじてシンは声を絞り出す。
「おい……羽流乃行っちまったけど、どうするんだよ……? どうしてあんな風に、怒らせたりなんかして……」
葵は大げさにため息をつく。
「ああするしかなかったのさ。彼女のご機嫌を取りながら味方でいてもらうなんて、できるはずないだろう?」
「せやな。羽流乃ちゃん、絶対ウチらの言うこと聞かへんわ。だったら一回、喧嘩別れした方がええ」
麻衣は羽流乃に同意する。まあ、二人の意見はもっともだ。羽流乃が魔王の力を持っているからといって、葵や麻衣が羽流乃に振り回されればどっちが女王かわからなくなる。
さらに言えば羽流乃はシンの言うことも聞かないだろう。周囲からすれば羽流乃が権力を握って専横しているようにしか見えないし、そうなれば羽流乃派、葵・麻衣派と別れて内乱に発展しかねない。
葵と麻衣が立場を利用して羽流乃に徹底的にノーを突きつけたのは、羽流乃を守るためでもあったのだ。内乱まで行かなくても王宮内に不穏な空気が流れれば、羽流乃を処罰せざるをえなくなる。
「ただ……気になるのは裏で糸を引いているやつが絶対にいるっていうことだね。まあ、正体なんかわかりきってるけど」
「せやな。間違いなく中村先生や」
葵と麻衣は共通の答えにたどり着く。シンとしては未だに信じられない話だ。
「どうして先生がそんなことを……。わけがわからねえよ……」
「決まってるやろ。ウチらにビビってる。それだけや」
○
エゼキエル家の領地はスコルピオの北にある川沿いの一区画のみである。かつては四大王家の一角としてサラマンデル王国を治めていた。王朝交代によってグノームに亡命した後も幕末から転生してきた日本人を当主に迎えて国境を任され、スコルピオ周辺の大領主となっていた。
潮目が変わったのはその後だ。四百年前の戦争で当主の血統が絶えた後、大減封の対象となったのである。戦争で活躍したロレンス家がスコルピオの領主となり、一族がほぼ全滅したエゼキエル家は辛うじて捨て扶持を与えられるのみとなった。
そこからさらに当主の血統は途絶え、養子を迎えることさえ認められなかった。今まで取り潰しにならなかったのが不思議なくらいである。現実的ではないが、サラマンデルに侵攻するときのための大義名分が作れるように、形だけ残しておこう。そういった判断がなされてきたのだろう。
それだけに、何百年かぶりに現れた当主──羽流乃への期待は大きかった。当主さえいれば、エゼキエル家はスコルピオの大領主に戻れるのではないか。いやいや、サラマンデル国王に返り咲きできる。
「どうして私は、こんな世界に転生してしまったのでしょう……」
修学旅行の水族館でシンに告白して、受け入れてもらって……。今頃は自分が、シンの隣にいるはずだった。現実は違う。いつの間にかシンは、自分以外の全員と結婚していた。本音を言えばただただ悲しい。館の二階にある自室で、羽流乃は嘆息する。
羽流乃は期待が重すぎて、こちらにおける実家が嫌で嫌で仕方がなかった。館から一望できる、猫の額くらいの領地。前の世界でいえば、小さな町一つ程度でしかない。
当主不在の間、エゼキエル家は住民の管理、租税の徴収といった町役場のような仕事だけを任され、代々仕える使用人たちが担ってきた。今も領地の仕事は使用人が滞りなく行っている。帰ってきても羽流乃がやるべきことなど何もない。
転生してきた羽流乃はエゼキエル家復活の期待を掛けられ、王都アストレアに出仕した。当時すでに葵は女王となっていて、同じ転生者で戦力としても申し分ないということで羽流乃は近衛騎士の隊長に抜擢されることとなる。
「今思えば屈辱ですわね……」
二階の窓から畑が広がる領地の風景を眺めながら、羽流乃は紅茶をすする。なぜ自分が、葵などの下についていたのだ。あんな品のない根性曲がりの女などの下に。本来、逆ではないか。
「その通りです。歌澄葵に、王たる資格などない……!」
「中村先生、何のご用でしょうか?」
羽流乃は屋敷の中でも携帯している刀に手を掛けながら、ゆっくりと振り返った。神父の格好をした中村先生──ミカエルがそこにはいた。
「あなたの願いを叶えに来たのです。あなた方五人を、現世に戻して差し上げましょう」
「私以外の皆様は、戻ることを望んでいないようですけれど?」
「力づくで戻してやればよいでしょう。すでに話は進んでおります。サラマンデルの大軍が来週にでもこの国に攻め寄せる予定です。そのために、私に力を貸しなさい」
淡々とミカエルは告げる。すでにサラマンデルとは話が付いているらしい。
「しかしわかりませんわね。あなたの考えでは私たちには罪があるということでしょう? なぜあなたが私たちの帰還を助けてくれるのですか?」
「あなた方が元の世界で常人としての人生を歩むのなら、私があなた方を罰する必要はありません。私が約束を違えることはない……。安心して帰還してください」
ミカエルは終始無表情だ。ミカエルがどこまで本気なのか、全く見当も付かない。それでも羽流乃はうなずいた。
「いいでしょう。正直あなたのことは嫌いでしたが、今回はあなたに協力して差し上げますわ」
全ては、シンを取り戻すため。そのためなら、鬼でも悪魔とでも組もう。相変わらず無表情のまま、ミカエルは言った。
「交渉成立ですね。神代シンが持つ、火の指輪を奪いなさい。私があなたに、魔王の力を与えてあげましょう」




