22 王の決断
末弟フィリップが何かを言い出す前にティメオ四世は論戦を終わらせてしまおうと、さらに発言力を持つ者へと話を振る。
「ヴィラール、どう考える?」
「ベルトラン殿の言うことはもっともです。最後には戦うことになるにせよ、敵の意図は探っておく必要があります……」
ヴィラールは真っ白になったあごひげを撫でながら、しわがれた声を広間に響かせる。サラマンデル軍の大重鎮の発言に、広間はどよめいた。
ひげも頭髪も真っ白で、顔はしわくちゃ。かつては筋骨隆々だった体は見る影もなくしぼみ、背中も曲がってしまっている。ヴィラールはこの世界ではかなり珍しい、老人というカテゴリーに属する人物だった。
魂だけの肉体にも寿命はある。だいたい八十年もすれば魂が摩耗し、消えてしまうのだ。長く残る者でも、せいぜい百二十年くらいが限界である。人間の精神は、残念ながらそれ以上保たない。
しかしヴィラールは御年二百二十歳。二百年前のウンディーネ征服戦争に従軍経験のある最後の戦士だ。以後、サラマンデルの主要な戦役には全て参加し、名将として名を馳せた。先王の代には隠居を申し出たがその才能を惜しまれて許されず、さすがに最高司令官の地位は退いたものの、限界を超えてなお、一武将としてサラマンデル王家に仕え続けている。
「グノーム、シルフィード両国を滅ぼすまで戦うというのは現実的ではありません。戦うとしても、どこまでやるのか。そこが定まらないまま開戦するのはあまりに危険です」
国家存亡を賭けた戦いとなれば、たとえサラマンデルが勝っていても魔王たちは死に物狂いで反撃してくるだろう。そうなればこちらもただでは済まない。
自衛のための戦争であるならサラマンデルはマグヌス火山帯を確保できれば充分だ。それを二重帝国の皇帝は許すかどうか。許さないのであれば、スコルピオまで占領して返還を条件に和平交渉をするとか、海軍がシルフィードを攻めて妥協せざるをえなくなる状況に持ち込むとか、さらなる一手が求められる。
どのみち、グノームから領土を切り取ることは不可能だ。グノーム本土に手を出せば、魔王が黙っていない。そう考えれば、戦争など損にしかならないと誰もが気付く。向こうにその気がないことを確認して、こちらも矛を収める。これが最良だ。
が、ここでスッとフィリップが顔を上げる。余裕の笑みを浮かべ、フィリップは言った。
「なるほど、ヴィラール殿の言うことも一理あります。ですがヴィラール殿は一つ間違っておられる。我々にはグノーム、シルフィード両国を滅ぼせるだけの力があります」
広間の扉が開かれ、一人の牧師が入ってくる。ティメオ四世は絶句した。
「神の御心に従いなさい……。これは聖戦です。私が力を貸しましょう。すでにスコルピオを守るロレンス家もこちらについております。我らで、グノームに攻め込んで魔王を叩き潰すのです!」
天使ミカエルを抱き込み、ロレンス家寝返らせる。これがフィリップの策だった。ティメオ四世は頭を抱えたくなる。
「おお、ミカエル殿! ミカエル殿が来てくれたのなら、魔王など恐れる必要もあるまい!」
「スコルピオのロレンス家が寝返ったのならグノームは裸城も同然! またとないチャンスだ!」
「うむ、聖戦とあらば戦うしかあるまい!」
「ヴィラール殿は老いて覇気が衰え、ベルトラン殿は臆病風に吹かれている……! 正しいのはやはりフィリップ様だ!」
「グノームの魔王も貴族も皆殺しだ! グノームは、我らのものだ!」
開戦派貴族は俄然勢いづく。普通の神経をしていればたとえ天使を味方につけたとしても古の魔王と戦うなどという選択肢はないだろうに、戦争は金になると知っている輩は目がくらんでいる。彼らは天使が魔王に負けるなどありえないと決めてかかり、興奮している。つい先日天使の作ったゴーレムは魔王に敗退したというのに。
魔王のことを抜きにしても、今から動員を掛けて遠征となればそれほど兵力は用意できない。一方、すでにグノームはシルフィードからの援軍を招き入れている。スコルピオのロレンス家を含めて二重帝国の連合軍と同数が精一杯といったところか。確実に勝てるなんてとても言えない。
それでも、貴族たちには関係ないのだ。もし負ければ、彼らは魔王に喜んで尻尾を振るだけである。フィリップに至っては、どさくさに紛れて王位を狙おうとするだろう。そして自分は……。
わかっていても、ティメオ四世は彼らの言うことを聞くしかない。王などといってもこんなものだ。貴族たちの意向を無視していれば、首をすげ替えられるだけである。十六代前の先祖がそうやって前の王朝を滅ぼしたのだから、自分がそうされても文句は言えない。
それでも抵抗するべきなのだろうか? だけど、今まではこうして座っていれば、うまくいっていた。ベルトランの言うとおり、二重帝国に戦意がないとしよう。ならば遠征で敗れても、わざわざサラマンデル本国まで二重帝国は攻め込んでこないのではないか? 楽観論が頭を渦巻く。ティメオ四世には、あえて踏み出す勇気がなかった。
「陛下、御聖断を」
フィリップが満面の笑みで促してくる。すがるような目でヴィラールの方を見るが、ヴィラールは微動だにしない。先代たちと同じように、自分で決断しろということだ。先代は、しばしば血気盛んなフィリップの進言を却下していた。しかし、ティメオ四世にはできるわけがない。表情を変えないことだけが、精一杯の抵抗だった。
「……よきにはからえ」
ティメオ四世は言った。その心を知ってか知らずか、隅の方でベルトランはうなだれていた。




