21 サラマンデル
サラマンデル王国はマグヌス火山帯の南に広がる平野部を治める大国だ。面積的にもそうだし、人口もグノーム、シルフィードよりかなり多い。温暖な気候と領内を縦断するカリオストロ大河の恩恵を受けて三国一の農業生産力を誇り、海路を利用したシルフィードとの交易も盛んだ。
北はマグヌス火山帯、東と南は海に囲まれ、辺境では魔族が住み着いているものの他国の侵攻を許さない地勢である。西のフラメル湖畔にはウンディーネ王国が存在して唯一の脅威となっていたが、二百年前にサラマンデルの遠征軍に敗れ滅亡し、サラマンデル王国領となって久しい。その後百年に渡ってサラマンデルは領内に攻め込まれたことはなく、この世界で最強の国家として発展を続けていた。
そのサラマンデルは今、蜂の巣を突いたような騒ぎとなっている。いうまでもなく、グノーム=シルフィード二重帝国誕生のショックだ。サラマンデルが、他国の脅威におびえなければならない日が来てしまった。二重帝国を治める魔王は、いつサラマンデルに牙を剥くかわからない。かといって魔王に勝てる見込みは皆無であるため、先制奇襲を仕掛けるわけにもいかない。
「報告します! シルフィード軍がグノーム領内に向けて移動を開始したとのことです! グノーム領内でも、軍の動員令が発せられました!」
謁見の広間で、駆け込んできた兵士の報告を聞いてサラマンデル王ティメオ四世は表情を曇らせた。
ティメオ四世は二千年前、エゼキエル王家を放逐してサラマンデルを乗っ取ったベルナルド朝第十六代目の王である。先代が次の世界へと転生した十年前に王位を継ぎ、ここまでは多少の問題を抱えながらも危なげなく政権を運営してきた。
「そうであるか……」
ティメオ四世はそう言うだけで精一杯だった。集まっていた臣下の貴族たちがざわざわと騒ぎ出す。
「陛下、今すぐこちらも動員を! やつらは我が国に攻め込む気です!」
「いや、しかし魔王の軍勢に我らは勝ち目がない!」
「降伏だ、降伏しかない!」
「誰だ! オークに武器を流そうなどと言った者は! 責任をとれ!」
「何を臆病風に吹かれているか! 魔王といえど我が軍勢であれば鎧袖一触よ! 戦うべきだ!」
「その通り! 魔王など恐れるに足らず! 天使様も我らの味方でいらっしゃる!」
元々はグノームなど一瞬で踏みつぶしてくれよう! と息巻いていた者たちばかりだが、天使のゴーレムを使ったオークが敗退するに及んで、貴族たちも魔王の脅威をはっきりと認識した。それでも戦おうという者と、和平派に転じる者、今は同数くらいである。
ティメオ四世はチラリと広間の真ん中に立つ人物を伺う。末弟のピスケス伯フィリップは、いつものように自信満々の笑みを浮かべて腕組みして立っていた。
ティメオ四世と年が離れたフィリップはまだ二十五歳である。十代のうちに反乱を起こした国内貴族の討伐で頭角を現し、早くもウンディーネ南部を治めるピスケス伯の地位を手にしていた。政治手腕もなかなかのもので、南ウンディーネ最大の都市であるピスケスはフィリップの統治で繁栄している。自分よりフィリップの方が王にふさわしいという声がそこら中で聞かれるのも無理もないことだ。
フィリップ本人もまんざらでもない様子で、いつもティメオ四世は気が気でなかった。この難しい局面で、果たしてフィリップはどちらにつくのか。
「……」
フィリップが発言する様子はない。野心を隠そうとしない弟にしては、珍しいことである。何か企んでいるのかもしれないが、それはティメオ四世にはわからない。
とにかく、フィリップが動き出す前に穏便な方向に誘導しなくては。喧々諤々の議論が続く中、ティメオ四世は隅の方で青くなっている若者──ベルトランに尋ねる。
「ベルトラン、君はどう思う?」
代替わりして当主となったばかりの若者であり、引っ込み思案すぎて自己主張できない性格だ。それだけに一歩引いたところから冷静に状況を見ているという部分があるため、ティメオ四世は評価していた。
ベルトランはたどたどしい口ぶりで答える。
「は、はい! 今回の動員はまず、火山地帯のオークを討伐するためのものだと思われます! 本気で我が国に攻め込むつもりなら、シルフィードの海軍を動かすでしょう! それがないということは、我らと事を構える気がないということです! 使者を送り、協力を申し出ましょう! そうすれば戦いは避けられます!」
オーク征伐に協力して、背後にサラマンデルがいたという事実をうやむやにする。ティメオ四世としては最良の案だ。はっきり言ってティメオ四世は戦争などしたくない。しかし、そうではないと考える者もいる。
「戦いを避けてどうするのだ! 火山帯のオークどもがいなくなれば、サラマンデルは丸裸だぞ!」
開戦派の貴族から突っ込みが入った。一理ある。マグヌス火山帯を占拠されれば、ただただ平野が広がるサラマンデルの国土に攻め込むのはたやすい。ベルトランは血の気を引かせながら反論する。
「二重帝国の皇帝も皇妃も、異世界からの転生者です! おそらく、信用できる側近はわずかでしょう! サラマンデルを占領しても、統治できる者がおりません! 向こうから戦う気はないはずです!」
「先ほどから聞いていればつまらぬ憶測ばかりではないか!」
「ですから、まず使者を送って探りを入れましょう! その上で、和平に向けて話し合うのです! 必ず落としどころはあるはずだ! シルフィードの内戦もまだ終わっていないのに、我らと戦い続ける余裕は向こうにもない!」
喋っているうちに落ち着いたのか、ベルトランは本格的に開戦回避を主張し始める。場の空気は非戦に傾き始めた。そうだ。それでいい。場の雰囲気で開戦など、まっぴらごめんである。祈るように、ティメオ四世は議論の推移を見守った。




