19 適材適所
皇帝陛下は甘いので直接会って泣き落とせば何でも言うことを聞いてくれる。種なしの娘はそうやって陛下の側室に収まった。身分の上下を問わず、そんな噂がアストレア中で流れている。冬那へのやっかみで作り出されたつまらない噂話であるが、本気で信じる馬鹿が王宮に押し寄せているのが現状だ。
ジャネットが去った後、葵から説明を受けた冬那はこの世の終わりのような顔をする。
「葵先輩、やっぱり私、ここにいることはできません……」
「ミカエルに狙われてるかもしれないのに君を動かすなんてできるわけないじゃないか。しばらくはこっちにいてもらうよ。本当はシルフィードにでも行ってもらいたいところだけど……」
冬那を迎え入れたことを、シンは後悔していない。だが、やり方が軽率だったことは認めざるをえない。広間では羽流乃がシンに代わってダース単位で持ち込まれている縁談を断り続けているし、王宮に闖入者まで現れる始末だ。多方面にわたって迷惑を掛けてしまっている。
自分でやったことは、自分で責任を取らなければなるまい。深呼吸して気を落ち着かせてからシンは広間に向かおうとするが、葵に呼び止められる。
「シン、どこに行く気だい?」
「広間に行って全部断ってくる」
「ダメだよ。君も部屋に戻って」
「俺のせいなんだから、俺がなんとかする」
シンは主張するが、葵は疲れたため息をつくばかりだ。
「責任感じてるのはわかるけどさ、決定権のある人間を前面に出すなんてできるわけないじゃないか」
「でも……!」
「さっき騙されかけたくせに」
「……」
それを言われるとシンは何も言えなくなる。さらに葵は続けた。
「あとは羽流乃が全部やってくれるから、任せておきなよ。君はトップなんだから、下を信じて任せるっていうのも大事だよ? この件にばっかり関わってもいられないしね」
そもそも冬那を嫁に迎えるなんてシンが決めたのは、山北のことがあるからだ。バックに確実にミカエルがついている、オークの集団。皇帝として、シンはこちらをなんとかしなくてはならない。今も破壊されたスコルピオの防衛線を立て直すため、ロビンソンは奔走している。
「麻衣と相談して、近々マグヌス火山帯に遠征することも決まってるんだ。遠征が始まれば側室どころの騒ぎじゃなくなるから、それまでの辛抱だよ。僕は今からシルフィードに行って、麻衣と話し合いしてくるから、くれぐれも余計なことはしないでね」
逆に敵の本拠地に攻め込み、山北の首をとる。そうすれば冬那は安全だ。
「わかったよ……」
シンは引き下がるしかなかった。
シンが大人しくしているのと反比例するかのように、羽流乃は荒れていた。夕方、シンは食堂に向かう途中で羽流乃にばったり会う。羽流乃は周囲に葵やロビンソンの姿がないことを確認してから、シンに詰め寄る。
「どういうことですの!? 私がなぜ、あのような者たちの相手をしなければならないのですか!?」
「て、適材適所だからじゃねーかなぁ……? ハハハ……」
シンは乾いた笑いを漏らす。縁談の類を問答無用で断れるのは、最高権力者にして当事者のシンと、正妻の一人ということになっている葵だけである。ロビンソンが応対しても、シンに取り次いでくれと言われるばかりで進展がない。他の大臣級に任せても同じだ。というか、大臣たちは自分の縁戚をシンの側室にねじ込みたくてうずうずしている。任せられるわけがない。
そしてシンが全てを断るには頼りなく、葵は遠征準備のため走り回っている。そうなると、羽流乃しかいないのだ。羽流乃ならよくも悪くも融通が利かないので、確実に全て断ってくれるし少々無礼に思われても刀をちらつかせて相手を黙らせることができる。消去法の結果、最もハマるのが羽流乃だった。
「私は剣を振るうために生まれてきた戦士ですわ! 断じて、くだらないおしゃべり貴族どもの相手をするために生まれてきたのではありません!」
羽流乃は憤慨する。シンとしては剣のみに生涯を捧げるような生き方をしてほしいとも思ってはいないのだが、とても言えない。シンはどうにか羽流乃をなだめようとする。
「そう言わずに頼むよ。俺はおまえだけが頼りなんだ」
「女性問題の後始末で頼られても嬉しくありませんわ!」
羽流乃はシンが何を言っても眉間にしわを寄せるばかりだった。
夕食時になっても羽流乃の機嫌は直らない。今日は葵が不在なので食堂にいるのはシン、羽流乃、冬那の三人だけだ。
羽流乃は相当苛立っているのか、普段は絶対そんなことはしないのに、ナイフとフォークでカチャカチャと音をさせながら肉を食べている。羽流乃の雰囲気が異様なのを察してシンも冬那も黙ってしまっているため、無駄に音が響いて空気が重苦しい。
最悪な空気の中、シンはというと肉に苦戦していた。今日はなんだか肉が固いのだ。こちらの世界でナイフとフォークにも慣れたつもりだったが、まだまだ修行が足りないらしい。
「シン先輩、貸してみてください」
シンの窮状に気付いた冬那はシンの隣にまで近づいてきて、代わりに肉を切り分けてくれる。
「食べやすくなったよ。ありがとう、冬那」
「あっ、先輩、口にソースついてますよ?」
続けて冬那はシンの世話を焼く。そのとき、ガチャン! と向こうの方で耳障りな音が響いた。
ギョッとしてシンも冬那も音源に目をやる。羽流乃がこちらを血走った目でにらみつけながら、皿の上の肉に真上からフォークを突き立てていた。
気付けば、広い食堂でシンと冬那はくっつき、羽流乃だけが遠くで一人飯を食っているという状態になっている。それが気に入らなかったのだろうか。しかし冬那は一応シンの嫁なので、これくらいのことは許されるだろう。
「イライラしますわ……! なんだか無性にイライラしますわ……!」
羽流乃は自分でも何に怒っているのかわかっていないようで、ブツブツとつぶやいていた。




