16 空っぽの魂
「く、黒海! おまえは転生していなかったはずじゃ……! いや、そんなことはどうでもいい! そこをどけ! 俺は神代を殺す!」
「いいえ、どきません! シン先輩を殺すっていうなら……私は山北君が相手でも許さない!」
冬那は強い意志を伴った鋭い視線を山北に向ける。魔力が一切なくて、戦うことなんかできないはずなのに、冬那は山北と対峙する。大の字に倒れたまま、シンはどうにか声を絞り出す。
「冬那、俺のことはいいから、逃げろ……!」
「逃げるわけないじゃないですか。この命は、先輩にもらった命なんです。私は、先輩のためなら何度死んでもいい!」
「……本当にまた死んでしまうとして、お、おまえはまだそんなことを言えるのか……?」
「私は、本気です」
山北は〈童子切安綱〉の刃を冬那の首に当てる。冬那はそこに刀などないかのように、一寸たりとも動かない。全く寸分も疑問を差し挟む余地なく、冬那は本気だった。仮に山北が刀を振り下ろしても、首が飛ぶその瞬間まで冬那は動かないだろう。逆に、山北の刀が震える。
だとしても、冬那に山北をどうこうする力などない。山北は冬那を無視してシンを殺すことができる。しかし山北は一歩も引かない冬那を見て、激しく取り乱す。
「ど、どうして神代なんだよ……!? こいつはただの自分勝手なクソガキなのに……! ふざけるなよ、ふざけるなよ……!」
「私のことなんてどうでもいいんです……! シン先輩がいてくれたら私なんて……!」
山北の中で何かが切れた。怒りと戸惑いは、山北を支配する。山北は刀を構えた。冬那ごとシンを斬る気だ。
(まずい……! どうにかしないと……!)
シンは体を動かそうとするが、筋肉が鉛に変わったかのように全身が重たく、動けない。頼みの指輪もいくつかはシンの指からはずれており、残っているのは風の指輪のみ。シンは撤退のために風を起こそうとはしているものの、うまく魔力を放出できない。シンの力では、もうどうすることもできないのだ。
それでも手はあるはずとシンは必死に考えるが、何も浮かばない。もうだめだと思われたそのとき、救いの神は空から現れた。
「冬那ちゃん、それを使え!」
麻衣は相変わらず弓に狙われて地上に降りることができないが、針の穴を通すようなコントロールで地上につむじ風を起こした。シンが落としていた指輪が、冬那の指に収まる。自分の魔力が全くない冬那であれば、確かに指輪を使える可能性はある。
「おい馬鹿、やめろ!」
思わずシンは叫んでいた。いくら種なしでも、冬那は普通の人間だ。指輪の魔力を受け入れたら、魂が壊れて消滅してしまう。
「大丈夫や、冬那ちゃん! 冬那ちゃんならできる!」
麻衣の言葉に冬那は黙ってうなずく。冬那は指輪を自分の指にはめた。
「大地のケモノに水の手綱! 命を司る使い魔よ! 力を貸せ!」
おそらく、シンが最初に指輪を使ったときと同様に指輪が集める悪意に襲われているのだろう、苦悶の表情を浮かべながら冬那はシンと同じように指輪から発生した魔方陣を重ね、使い魔を呼び出す。
シンが使うときのように、軍用馬クラスの巨大な馬体が現れることはなかった。サイズ的にはせいぜいポニー。それでも立派な角を生やしたユニコーンである。ユニコーンは山北に体当たりして、一歩引かせる。
冬那は苦しげに息を吐く。冬那には使い魔を一度呼び出すのが限界だ。シンのように複数の指輪を同時に操って魔力を引き出すことなんてことはできない。しかし、充分だった。シンは叫ぶ。
「冬那、伏せろ!」
半ば倒れるように冬那が伏せると同時に、山北目がけて矢が降り注ぐ。山北は刀で矢を払いながら後退した。
「陛下に当てたら処刑ですわよ! よく狙って撃ちなさい!」
弓隊は羽流乃の指示に従い、山北を狙って矢を放つ。アスモデウスが空けた壁の大穴からスコルピオの守備隊が出撃したのだった。槍隊も前に出て、シンと冬那を守るように陣形を組む。
シンは指輪を使った反動と緊張で意識を失ってしまった冬那を抱きかかえ、油断なく山北たちをにらむ。
「チッ! 撤退だ!」
城門付近の混乱も収まりつつあった。続々と援兵がスコルピオから出てくる。こうなってしまってはオークたちに勝ち目はない。山北は退くことを決断した。
仲間のオークに守られながら、山北はシンたちから離れていく。去り際に山北は叫んだ。
「神代、おまえだけは絶対殺す! 絶対だ! 覚悟しておけ!」
シンは無視する。何を言われようが知ったことか。今回、山北を撃退してみんなが傷つかなかったというだけで充分だ。だが、山北はさらに吠える。
「それから黒海だ! 俺は黒海も許さない! おまえらがどこに逃げようが、草の根分けても探し出して、ぶっ殺してやる!」
言うに事欠いて何をトチ狂っているのだ。なぜ冬那が狙われなければならない。たまらずシンは叫んだ。
「なっ……! ふざけんな! 冬那に手を出したら絶対許さねえ! 返り討ちにしてやる!」
「やれるもんならやってみろ! 死ぬのはおまえと、黒海だ!」
舌戦を演じながら、山北の姿はオークの群れの中に消えていった。




