プロローグ
動かない唇を必死に動かして、冬那は天使に願った。
「私の願いは、もう一度先輩たちと一緒に、元気で仲良く暮らすことです……」
長い入院生活から抜け出し、シンたちと学校に通った一年にも満たない時間。大半をベッドの上で過ごした冬那の人生において、その期間だけが宝石のように輝いていた。もしも叶うなら、シンたちがいる学校に戻りたい。
「なるほど……彼らが今、こうなっているとしてもですか?」
冬那の頭に信じられない映像が浮かぶ。中世ヨーロッパ風の町で、ウェディングドレスを着た葵と冬那が、パレードをしていた。先頭のシンはユニコーンにまたがり、堂々と通りを進んでいる。後ろの方で、羽流乃も剣を持って護衛として油断なく目を光らせていた。沿道の観衆は、皇帝の即位と結婚を花吹雪で祝福している。
即座に冬那は理解する。飛行機事故で命を失った皆は、異世界に転生して仲良くやっているのだ。シンは異世界で皇帝となり、葵と麻衣はその妻。羽流乃は護衛の騎士といったところだろう。自然と冬那は笑みをこぼす。
「よかった……。みんな元気なんだ……」
冬那の言葉を聞いて、天使は意外そうに尋ねる。
「何も感じないのですか……? 皆はあなたをのけ者にして楽しんでいるのですよ?」
「いいんです、先輩たちが元気なら。私のことなんて関係ありません」
冬那は本心からそう思った。自分がこのままベッドの上から一生動けないのだとしても、シンたちが元気なら構わない。元々、冬那にとってはベッドの上こそが平常なのだ。シンたちがねたましいなんて、一切思わなかった。
「どうやら、本気のようですね……。これは珍しい……! 魂の輝きを全く感じません!」
確かに、冬那が輝いているはずがないだろう。ずっと病気で、皆の負担になってきた人生なのだ。少しでも皆の負担にならないように。学校に行けるようになるまで、冬那はそれしか考えていなかったし、再び病院に戻った今もそこを考えなければならない。
「これほどまでに空っぽな魂の持ち主は初めて見ました……。さすがミカエル様。人質程度にしかならないと思っていましたが、いいでしょう、使えそうです。あなたを神代シンのところに送ってさしあげましょう……!」
「私を、先輩のところに……? いいんですか!?」
冬那は嬉しさのあまり訊き返す。天使は、冬那の望みを叶えてくれるのだ。
「ええ。目が覚めれば、あなたは神代シンのいる世界にいることでしょう……!」
冬那はゆっくりと目を閉じる。急速に眠気が襲ってきた。目が覚めれば、シンたちがいる。冬那は、喜びの中で意識を手放す。
まず、呼吸が消えた。そして心臓も止まり、冬那の体は命を失う。巡回の看護師が事態に気付いて医者を呼び、慌ただしく救命措置がとられるが、冬那が息を吹き返すことはない。やがて冬那の顔に白い布が掛けられたが、もはや冬那本人には関係がなかった。




