-1 羽流乃の過去(後)
さっそくその日の放課後だった。校舎裏を通りかかった羽流乃は、あごがはずれそうなほどに口を開けて固まった。シンが、また上級生たちと殴り合っていたのである。昨日の今日で何をやっているのだ。意味がわからない。
「あなたたち、全員逃げずにそこにいなさい!」
仕方なく羽流乃は竹刀を携え、現場に向かって駈ける。当然ながら、上級生たちは一目散に逃げていった。
「なんだよ、今日は勝ってたのに」
見れば、確かに昨日と比べてシンの傷は少ない。ちょこまかと動き回って捕まえられないような立ち回りをしていたのだった。まあ、ど素人なりによくがんばってはいる。だが、そういう問題ではないだろう。
「こういう意味だったのですか。そのうちわかってもらえるというのは」
シンは上級生がどうせ犯行をやめないと踏んでいたのだろう。上級生たちが犯行を繰り返していればいずれはどちらが正しいか先生たちにもわかる。だから、落ち着いていた。
「は? 違うけど?」
シンは即答し、羽流乃は狐につままれたような表情を浮かべる。シンに、嘘を言っている様子はない。シンが何を考えているのか、羽流乃は本当にさっぱり見当が付かなかった。羽流乃は語気を荒げる。
「では、あなたは何を信じているというのですか!?」
「う~ん、正義ってやつかな」
シンは照れくさそうに頭を掻く。この男はとんでもない大バカ者だ。正義なんて、誰も認めない。羽流乃はそのことを知っている。
そしてまた次の日、シンは職員室に呼び出される。ただ、今度は事情が違った。一緒に上級生たちも呼び出されたのである。シンは事実をありのままに述べ、上級生たちは自己弁護に終始したようだった。
先生は一通り双方の主張を聞いてから、本人たち以外を呼び出し始める。カツアゲ被害者の下級生に、殴り合いを見ていた目撃者。さらには噂を聞いていただけの第三者。羽流乃も呼び出され、見たままを語った。
今日になって、下級生による被害報告が職員室に殺到したのだった。シンの姿に心打たれて下級生が立ち上がった? シンが正義の味方として評価された? 全然、そんなことはない。
シンが上級生たちに勝てそうだったから、こういうことになったのだ。シンが上級生による報復を抑えてくれるなら、下級生は通報行為を躊躇する必要は全くない。羽流乃も知らなかったが、シンは休み時間や昼休みも校舎内をパトロールして、上級生が不穏な動きをするたびに姿を現していたのだった。何かあってもシンが守ってくれる。下級生はそう考えて、上級生たちの悪行を訴えた。
正義もへったくれもない、パワーゲームの理屈である。シンはただ、上級生たちに勝ったというだけの話だ。作戦でもなんでもない脳筋戦法だが、結果として問題は解決された。
また羽流乃とシンは、帰りにたまたま校舎裏で出会う。羽流乃はシンに尋ねた。
「全部計算の上だったのですか? 自分が勝てば、下の者が立ち上がると」
「うん? どういう意味だ?」
シンは首を傾げる。どうもやはり本気っぽい。シンはニッコリ笑って言う。
「正義は勝つってことさ。そうだろ?」
「そう、ですわね……」
羽流乃はシンの言葉を否定せず、あいまいにうなずく。実際は違うだろう。順番が逆である。勝ったから正義になっただけだ。正義だから勝ったのではない。
「しかし一歩間違えればあなたは悪者になっていましたわよ? そうなっていても、同じことが言えますか?」
羽流乃の問い掛けに、シンはあっさりうなずく。
「関係ないだろ。そんなの、怖がっても仕方ない」
少年院行きの可能性もあったというのに、この男は本当にバカだ。羽流乃は冷たい言葉を浴びせる。
「私より弱いくせによくそんなことが言えますわね」
でも、シンと同じことを言って、かつ実行する者は、男でも女でも羽流乃の知る限りいなかった。
「それも関係ないな! やるときはやる! それだけだ!」
シンは得意げな笑みを浮かべる。言ってしまってから、思った。本当に弱いのは羽流乃の方ではないか。正しいことを正しいと言えない羽流乃の方が弱い。
でも羽流乃は、そんなこと認めない。強いのは羽流乃であって、羽流乃が負けるわけがない。
「悪いけど、そろそろ行かせてもらうぜ。隣町の塾でうちのクラスの狭山がいじめられてるって噂だから、確認してみないと」
「本当にあなたはバカで、仕方がないですわね。私も一緒に行きますわ。あなた一人だと、何をしでかすかわかりませんから」
この男と一緒なら、絶対に負けない。そんな気がした。以後、羽流乃とシンは行動を共にするようになった。そしていつしか羽流乃は、強くシンに心を惹かれるようになる。




