「かわれた」僕に「ジュミョウ」がきた話
短編3作品目です。
シリアス練習で書いたら気に入ってしまったので、
修正しつつ投稿させていただきました。
宜しければ、あらすじからご覧下さい。
1人の女性が、僕の頭を撫でた。
「頑張ったね」
頼りのない声。大きくて、くるっとした目は、細まり、潤んでいた。
「だけどもう、いいよ。大丈夫だよ」
温かな毛布を掛け横たわる僕を、彼女は目を逸らすことなく、見つめている。
柔らかな声が、一歩、また一歩と、僕の“刻”を進めていく。
「たくさん苦しい思いしたよね」
一文字でも、彼女の言葉を逃さないように。最期まで、聴いていたくて。僕は眠気を堪え、じっと耳を傾ける。
「たくさん、痛い思いしたよね」
だんだんと、彼女の声が弱くなっていく。だんだんと、視界から光が消えていく。
「たくさん……辛い思いしたよね」
手の甲に、冷たくて、温かい雫が落ちた。それは、僕の手を濡らして。
「ごめんね……本当にっ、ごめんね……!」
視界は完全にぼやけ、半分以上の光が失われた。大好きな彼女の顔も、もう形がわからない。
震えた手で、僕を優しく撫で続けてくれる。目を開き続けるのが難しくなって、そっと、目を閉じた。
「れんは、幸せ、……った……かな」
声をかけてくれる彼女。だけど、ごめんね。よく、聞こえないや。
「……にゃぁ、ん……」
大好きな君へ、僕から最期の言葉だよ。ばいばい、またね。
「ありがとう、れん」
最期の君の声は、やけにはっきりと聴こえた。
*
「おはよ! 今日からここが君のお家だよ!」
目が覚めた瞬間、濁った透明な壁の向こうから、童顔の女性が顔を見せた。
柔らかだけど大きな声。いきなり僕は何処に連れて行かれたんだろう、って気持ちと、煩いなぁ、って気持ちが入り混じる。
「ほらー、出ておいで。怖くないよっ」
まんまるな、輝いた目で覗きこんでくる彼女。もしかしてこれが、皆の言ってた「かわれる」ということなのだろうか。
濁った透明な壁が無くなった途端に、感じたことのない空気が肌に触れる。僕は少し、腰を引いて足を運んだ。
「わぁー、かっわいぃー!」
目を半月のように細め、心底嬉しそうに言ってくれる。そんなに喜ばれても、まだ君には慣れないぞ。
そう強気になりながらも、ちょっとだけ嬉しかった。でも、あんまり大声出されると嫌かな。
「名前はもう決めてあるんだ。こい(恋)って書いて、れん! 宜しくね、恋!」
どうやら僕のナマエのようだ。今まで何とも呼ばれたことなんて無かったから、ナマエというものが温かい。
「あ、私はね、あい(愛)って言うんだ! 2人合わせてレンアイ! 素敵でしょ、なんてね」
僕に目線を合わせて、無邪気に笑う。言っている意味はわからなかったけど、笑ってるから面白いことなのかな。
大好きな、あいとの出会い。
――あい……?
僕はちょっとだけ、なまえを呼んでみた。
*
ふと目が覚めた。まだ、朝は来ていないようだった。
電気の付いていない部屋は、勿論真っ暗。僕の熱で温まったベッドを出ると、軽く背伸びをする。
朝が来ていないということは、彼女もまだ起きない、ということ。構ってもらえない時間に、起きている意味がない。水を飲んでからもう一度寝ようと、迷うことも躓くこともなく、水の置いてある場所へ辿り着く。音を立てず、静かに喉を潤した。
ふう、と一息ついたところで、僕は視界の隅に見えていたものに目を移した。それは、彼女が寝ているベッド。
ここに慣れたばかりのとき、一度一緒に寝ようと試みたことがある。でもその時はまだ、僕だけではベッドに上ることができなかった。おまけに「危ないから、恋はこっちのベッドね」なんて言われてしまった。結局今まで、一緒に寝たことがない。
今なら僕だけでも、ベッドに上れるかな。
半分は好奇心のような気持ちで、あいの寝るベッドに近付く。前に試みたときよりも、上が見えた。これならいける、と、思い切り跳んでみせる。
勢いをつけたので、跳びすぎてしまったかと思ったけれど無事に着地。足を痛めることもなかった。人知れず安堵の息を漏らして、彼女の眠りを邪魔しないように、慎重に足を運ぶ。深い眠りに落ちているようで、彼女が起きそうにはなかった。
ちょっとだけ、声をかけてみようかな……なんてことも思ったけど、やっぱり眠りの邪魔はしたくない。僕は我慢して、彼女の隣に身を潜らせた。
一瞬にして彼女の匂いに包まれる。いつもの、彼女の匂い。この匂いが好き。安心して、どこにいても眠くなる。
つい、大きな欠伸をした。いくら朝が来ていないとは言っても、寝て起きたばかり。それなのに、彼女の匂いと温かさが、僕のことを夢に誘って……。
*
ここは、何処? あいは、何処にいるの?
茶色い草木が、白くて冷たい何かで埋もれていく。僕の体は濡れて、すっかり冷えていた。なんとか風から逃げようと、茂みの中に隠れる。
彼女が僕を外に連れ出してくれて、数回目。つい走り過ぎちゃって、気付けば彼女の姿がなかった。胸がざわざわして、「怖い」でいっぱいになって。
勝手に走りださなければ良かったんだ。あいと一緒に、ゆっくり歩いていれば良かった。
体の震えが止まらない。何度も名前を呼んでみるけど、彼女の姿は何処にもない。目の前が白く染まっていくだけ。
――助けて。助けて。寒いよ。僕はここだよ。
何回も何回も、叫んでみた。でも、誰も来てくれなかった。声がどんどん出にくくなって、掠れていく。
あい、僕、喉が渇いた。
なんて言ったら、そんなの知らない、って怒られちゃうかな。それともいつもみたいに、そっと前に水を置いてくれるかな。
僕だけ、世界に取り残されたみたい。
人影のない道。淀んだ空。僕を追い立てていく、逃れられない凍った風。必死に彼女を探す目が痛くなってきて、周りの景色が、ぐわっと歪んだ。
このまま彼女に会えなかったら。お家に帰れなかったら。そしたら僕、どうしたら良いのかな。分からないよ、教えてよ。一緒にお家に帰りたいよ。
――ねぇ、あい。何処にいるの……?
また何度も叫んでみるけど、やっぱり誰も来なくて。もう一回、もう一回と名前を呼ぶうちに、力が抜けていくのを感じる。
疲れちゃった。それに、なんだか眠くなってきた。
目が覚めたとき、彼女は僕の隣にいるかな。
僕は名前を呼ぶのを、そこでやめた。
*
彼女とくるまに乗って、心地よい振動が、僕を眠りへと誘う。
体が重くて、動きたくない僕を心配してくれた彼女。なのに無理矢理ゲージに入れられて、お外にお出掛けしてきたところ。
真っ白で眩しい建物で、僕に触れてきた人間も真っ白だった。不思議で怖いとこ。
触られた時間は短かったけど、待ってる時間は長かった。うとうとしていたから、あまり関係はないけれど。
帰り道、ゲージに入れようと僕を抱き抱えてくれたとき、ちょっぴり悲しそうな顔を見せた。「ジュミョウ」っていうのが、そんなに悲しかったの?
僕には分からないや。重たい瞼に従って、お家に帰るまで眠ることにした。
最近、すぐ眠っちゃうなぁ。寂しい思いさせてないかなぁ。前より全然お外に行けなくなっちゃって、僕がつまらないんだけどね。
天気が良い日に、一緒にお外行こう、って誘ってみようかな。ねぇ、良いでしょ?
そんなことを考えて眠っているうちに、お家に帰ってきてたみたい。ふと目が覚めたら、ゲージの中じゃなくて、温かい彼女の膝の上。僕のお気に入りの毛布をかけて、そっと撫でてくれていた。
見上げると、彼女の瞳は赤く腫れている。
――どうしたの? 目、いたい?
彼女に問いかけてみるけど、彼女は笑って「おはよう、恋。よく眠ってたね」って。
おはよう、って返すけど、目がいたいのかは、教えてくれなかった。
「お腹空いた?」
人懐こい笑顔を浮かべて、首を傾げた。
――ううん、お腹空いてないよ。
その意味を込めて、彼女のお腹を頭ですりすりする。すると困ったように笑って、頭を撫でてくれた。
「初めまして、ってした時から、もうこんなに大きくなったんだね」
彼女が、どこか気の抜けた声で話し始めた。
「最初は警戒して、ご飯を食べてくれなかったよね。私にも近付いてこなかった」
僕に話しているようだけど、遠い別の人に話しているようにも聞こえる。
「でも、すぐに慣れてくれて、ほっとしたなぁ。友達にね、びっくりされちゃったくらい。本当に、慣れるの早かった」
彼女が撫でる手に、身を任せた。今は彼女の声を、悠然と聴いていたい。
「私が仕事から帰ってきたとき、恋が玄関で出迎えてくれたよね。すっごい嬉しくて、家に帰るのが楽しみだった。そうそう、恋に折角ベッド買ったのに、私のベッドに来ようとしたりとか。その時はまだ、小さくて来れなかったんだよね。頑張ってベッドに上ろうとしてる姿、ちょっと面白かったな」
ベッドに上れなかった時、実は彼女の心の中では笑われていたのかと、僕もその時を思い出す。そういえば、堪えたような笑い声が聞こえていたような気もする。
「あとは……。そうだ、恋が雪の中迷子になったこともあったよね。どんなに探しても見つからなくて、不安だったんだよ? 最終的に見つかって、こうして撫でられて……私今、凄く幸せだよ……?」
彼女の声から、段々と力が失われていった。不安定に揺れて、僕を撫でてくれる手も、ぎこちなくなる。
――あい……? いたいの? 悲しいこと、あったの?
僕の言葉に、彼女は返事をしてはくれなかった。
ただ、温かさの変わらない手で、僕のことをひたすら撫でてくれていた。
*
……いつの、ことだったかな。
ふわふわと、体が浮いている感覚。何も見えないし、聞こえない。白い光の中を、空気のように漂う。
あんなに重かった体が、すっかり軽くなっちゃった。久々に身軽。
今、僕はどうなってるのかな。どうして、こんなことになってるんだっけ。
あぁ、そうだ。凄く眠くて、眠くて……。“最期”が、迎えにきたんだ。
もう、あいの声も、手も、匂いも、そして体温も。全部記憶の中だけなんだ……。
満たされていた筈の胸の中が、ぎゅって締め付けられて、流れ出ていくような感覚。濡らされた手を思い出して、苦しくなる。
ごめんね。ずっと側にいてあげられなくて。あいを悲しくさせちゃって、ごめんね。
僕ね、苦しくなかったよ。
痛くなかったよ。
辛くなかったよ。
最期まで、あいが撫でてくれて嬉しかった。幸せだったよ。
あいにかわれて、良かったって思うよ。
あい、泣かないでね。
僕ね、きっとまた、逢いに来るから。だから最期に、あいの名前を呼んだんだよ。さよならの代わり。
あいとまた再会したときには、同じように名前を呼んであげる。
その時まで。
――あい。
2017.04.12
違和感があったので、大幅に推敲致しました。
更に良くなってますように…。