何が何だか分からなかったが俺には関係ない。
「ではこちらにおかけください」
少女の後をついていき、通されたある一室。
その部屋も見慣れないものばかり。
と、言うにはいささか物は少ないように思えるが。
そもそも。
かけるって……どこに?
おそらく少女は椅子に座るように促しているのだろうけれど。
どれが椅子なのか、正直まったくわからない。
立ち尽くしていると、少女に声をかけられる。
「……あ、あー、はい、椅子はこれです! わかりにくくてすみません」
「あ、ああ、いや、その、手を煩わせて悪いな」
しどろもどろな返答をしてしまった。
やはり、慣れない環境というものは落ち着かない。
おまけに、ここがどこなのか、どういう経緯で俺はここに来てしまったのか。
それすらもわからない。
「喉乾いてません? 何か飲みますか?」
少女は覗き込むように座っている俺に話しかける。
「いや、いらない」
「あ……そうですか……」
え、なんでそんな落ち込むの?
女の子泣かせちゃった、ってやつ?
「あ、ああ、なんというか、知らない土地のものを口にするってのは少し心配で……その、も、もちろん君を信頼していないわけではないんだ」
できる限り精一杯取り繕ってみた。
「……ああ、いえ、別に落ち込んでしまったわけではないんですよ? まあ、よくわからないってのは怖いですからね。わかりますよ」
他人に対して『わかる』と言うのは、陳腐で無責任な言葉だと思う。
しかし本当に相手を理解したいと思って口にする言葉は、同じ言葉にせよ、陳腐だと嫌うのもまた違うのだろう。
「あなたの喉が渇かないうちに説明してしまいたいんですけど……」
ようやく本題に入れるのかと思いきや、準備が整ってないような素振りだ。
少女はしきりにきょろきょろとあたりを見回している。
「何かあるのか?」
「ああ、いや、何があるってわけでもないんですけど。私一人じゃいろいろ心配なので、もう一人来るまで待ってるんです」
ああ、なるほど。
「ミヴェル遅いなぁ……」
これから来るもう一人はミヴェルという名の人物なのだろう。
聞いた感じ女性名だがはたしてどうだろう……
コンコン
ドアをノックする音。
「あ、来た」
ガチャ
ドアから入ってきたのは、やはり女性。
青みがかった髪がはらりとなびく。
少女とは違って、こちらの女性は背が高い。
平均がよくわからないが、俺の知っている中では背が高い女性の部類に入るだろう。
「おじゃましまーす……あ、あなたが例の……」
そう言い、女性は俺をまじまじと見るが、同時に顔を少し顰めた。
「って、何この目のやり場に困るような恰好は」
「いやー、これは私が男物の服を用意してなかったからで……」
「……まあ、普通成功するなんて考えられないものね」
成功……何のことだ?
「いやいやいや。成功するって言ったじゃん! 私は天才だー」
「成功する自信があるなら、なおさら服くらい用意しなさいよ……」
女性は呆れたように、一つ、息をつく。
「……っと、紹介が遅れて申し訳ない。私は、この研究所の副所長、ミヴェル・スニーア=カリヴァルだ」
女性が自己紹介をすると、少女は、はっとした表情をした。
「そ、そういえば私、自己紹介してませんでした! 面目ない」
はぁ、とため息が聞こえた。無論、隣の女性だ。
「私は、メイア・オリフィナ! この研究所では最年少だけどそれなりに頑張ってます!」
それなりに。便利な言葉だ。
「言動が子供っぽいところがアレだけど、年の割にはとっても優秀なのよ」
「アレってなんだよ!」
「それで、あなたのお名前は?」
その質問。
その瞬間。
名を名乗ろうとした時、不意にある予感が頭をよぎる。
『名を名乗ってはいけない』
何の根拠もない、ただの予感ではある。
が、自分自身、この予感がただの予感だと流すことは出来ない。
予知、というには大げさすぎるが。
そのくらい、自分の予感は当たる。
これまで生きて来てこの予感に助けられたことは何度もあった。
「……どうしたんだ?」
ミヴェルが訝しげに問う。
まあ、ここは名乗らないでおこう。
俺には、カーネディア・マルフィランという立派な名前があるが、未来予知の思し召しとあらば、言うことを聞かないわけにもいかない。
「……ああ、すまん。なんか名前が思い出せないんだ。不思議なこともあるもんだな」
即興で一生懸命ごまかしてみる。
「……結構な大事だというのに、存外平然としていられるんですね……」
あれ、これってちょっと怪しまれてる?
嘘をつくことが苦手な自覚はないが……俺って嘘つくの下手だったのか?
「……まあ、こんなところで嘘をつく理由もないでしょうし」
そうそう。そうですそうです。そうなんです。
「前例のない実験だったし、そのせいで記憶が飛んだ可能性もありそうだよ?」
「ん……ああ、そういうこともあるわね」
まあ、なにがなんだかよくわからないが。
無事乗り切ったか?
名を名乗ってはいけない。
その意味が分かるのは、もう少し後のこと。