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ましろディスティニー  作者: 鳴海
第3章
15/22

白色の雨

 晴れていた空が嘘のように曇り始め、まるで彼女の心を映し出しているかのように、ぽつぽつと雨が降り出した。地面の色が濃くなっていき、黒に近づく。空気がより冷たくなっていくのを感じられた。


 周囲には喪服を着た人、制服を着た人たちがいる。泣いている者はいない。ほとんどの人が、降り始めた雨に戸惑っていた。帰宅の手段を考えているのだろう。雨に濡れて帰るか、降り止むことを祈るか。すでにその頭には、彼女の母親の姿はない。


「まだ若いのに」「災難だった」「父親はいないみたい」「残された娘はどうなるんだろう」「誰かが引き取るんじゃないか?」「晴れてたのに」「もう最悪」「子供がかわいそうだ」「ここのところ事故が多いわね」「注意しないと」「濡れてもいいや」「これは長引くな」「娘さんの様子は?」「ひどく落ち込んでいるようよ」「当たり前だろ」


 聞こえてくる会話の断片が、ひどく気持ち悪かった。


 こんなことに慣れていた自分を嫌悪した。


「濡れるわよ」舞子が傘を差し出した。


「大丈夫……。この方が落ち着く」


「そう。風邪引かないようにするんだよ。まだここに残るんでしょ?」


「うん。もう少しだけ」


「私はもう帰るから」


「うん」


「傘、置いておくよ」


「うん」


「――それじゃあ」


「うん」


 黒い傘を差して帰る舞子の背をしばらく見届けたあと、ましろは視線を戻した。その先にあるのは、小規模の葬式会場だ。外からでも、中の様子が窺えた。並べられた椅子、供えられた花、美雪が眠っている棺桶、そして大きな写真。笑顔を浮かべているその写真の美雪は、ついこの間見た笑顔と変わらないものだった。温かい笑顔。今はもう見ることの叶わないもの。


 開始から数時間が経過しているためか、いつの間にか人の数が少なくなっている。親類か、関係の業者くらいのものだ。


 雨が少し強くなる。舞子の置いていった傘は使わなかった。足元の水が跳ね、雨音を一層引き立たせている。それまるで高貴な音楽のようで、先ほどまで聞いていた会話の断片より、ずっと耳触りのいいものだ。ただ文句があるとすれば、それが冷たいということだけだ。


 建物からみずきが現れた。


 その姿は、今まで見てきたどの彼女の姿とも異なっていて、本当に彼女が芹沢みずきなのかを疑ってしまうほどだった。力なく歩き、降っている雨にも気付いていない。空を仰ぎ、じっと固まった。


 ましろはぎゅっと手を握り締めた。無意識だった。ただ身体が勝手にそうすると判断していた。これでもか、といわんばかりに力を込めていた。


 彼女はすべてを失った。尊敬していた、憧れていた、目標にしていた、好きだった、支えられてきた、母親という大きな存在を喪失した。ましろですら心に大きな穴を感じているというのだから、みずきの心にはそれを超えるなにかが現れているのだろう。引き裂かれているのか、潰されているのか。みずきの心は、なにかを感じられているのだろうか。


 美雪の巻き込まれた事故というのは、自動車の衝突事故だった。運転手の前方不注意によるものではないかとされ、その事故を引き起こした運転手の男は頭を強打し即死した。彼には家族がいなかった。


 みずきは誰かを責めることができない。その相手がいないのだ。感情を押し付けるものがない。捌け口がない。


 それはましろも同様だった。どうして美雪が死ななければならなかったのか理解できない。彼女がなにをしたというのだろうか。こんな理不尽なことがあっていいのか。感情がぐるぐるとかき混ざり、どろどろとしたものに変化していく。


 気持ち悪い。


 その一言に尽きる。


 いろんな感情の混合物は、心を乱させるだけでなく、胸を内側から引っ張っていた。それが痛く、そして苦しい。


 耐えようとして、唇を噛んだ。


 痛い。


 胸の痛みは治まらない。


 呼吸をするタイミングがわからなくなる。


 噛んだ唇を離すと、自然と震えた。


 最初は寒さのせいだと思った。


 しかし違う。


 違うとわかってしまったから震えを止めようとするが、遅かった。


 もう限界だったのだ。


 心が。


 感情が。


 もう抑えられなくなってしまった。


 冷たくなった頬に温かいものが伝っていく。それが涙だと気付くのに、しばらくの時間を有した。その一粒から始まり、決壊したかのように溢れ始める。顔が皺くちゃに歪んでいく。我慢してきたのだ。みずきを少しでも励ませるようにしていたのだ。


 それなのに――声をかけられなかった。絶望の淵に辿り着いてしまったみずきに、どう言葉を投げかければいいのかわからなかった。


 ごめんね、とましろは謝った。


 支えてあげられるような友達ではなくて、ごめん――と。


 何度も、何度も謝った。


 みずきが建物に戻ったのを見て、ましろは帰路につく。傘を差さずに、止まることを知らない涙を流しながら、ゆっくりと家を目指した。

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