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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

not to make our adieu

作者: 上宮穂高

文中、多少ほんのりとHな描写が入っている箇所があります。そしてそれに、女の子同士の恋愛も許せる、という方ならば先を読み進めて下さって結構です。

ではでは……


もう……決めたの。

あなたにはこれから『さようなら』なんて、言わない。

言えないもの。今日から先は……。




「遅くなったね、ゴメン」

「……いいよ。この方が静かで落ち着く」

「そりゃそっか。ハイ、紗也ちゃんの待ってたケーキ」

悠花がケーキの白い箱を手に私の部屋にやって来たのは、丁度みんなが眠りに着いた頃。辺りは……遠く車が走っているのがようやく聞こえるだけ、それくらいに静まり返っていた。

「ホラ、上がっていいよ。早く……どうしたの?」

窓枠をまたぎながら、悠花は辺りをキョロキョロする。

「む〜、やっぱり辛気臭いかな、って。夜中に二人っきりでケーキつっつくってさ」

「そんなことないよ。今日は……特別だし」

テーブルにケーキを置いて、私。すると、そっか! なんて言ってニカッと笑顔を見せた悠花は、窓枠を越えた勢いで私に抱き付いて来る。……ちょっとぉ。

「な……何すんのっ」

「いいじゃん、ね? 今日はトクベツな夜、だ、か、らっ!」

いっつもこう。あまり後先考えないのがちょっとキズだけど、素で明るく触れ合ってくれる。

そんなトコロが私は……好きだった。

悠花に抱き付かれていても、私の口元には自然と笑みがこぼれていた。


私が、今こんな風に仲良くしている悠花と出会ったのは四年前。中学に上がる頃だったから、覚えてるの。元々絵が好きだった私が、お母さんの勧めで入った近所の絵画教室。そこの一人娘が悠花だった。

無理矢理……人付き合いの苦手だった私は、『絵が好きなんでしょ?』っていうお母さんの言葉に負けてそこへ入れさせられたようなものだった。女の子らしい特技を身に付けさせたい、なんていう無茶な希望からだったらしい。

そんな私は、楽しくないこと承知で参加。最初こそ無口だったけど、それを変えてくれたのは。

「わ、紗也ちゃん、私の絵、飾っててくれたんだ!」

「うん……それ、気に入ってるから。しまわなくちゃいけないけど片付けづらいし。他のは荷物にしまったけど」

満面の笑顔で、ありがとうっ! って返してくれるこの子。悠花が、私にとっての最初の『トモダチ』だった。

「あ、そーいえば」

「?」

「ワタシと紗也ちゃんが初めて会ったのって、丁度今頃だよね」

「……またトートツに」

「いーじゃん! 今ぐらいしかこんなこと話せないし。そーそー、あの頃はそんなに話しもしなかった」

「……え?」

「すんごい無口だったでしょ? いっつも隅っこでキャンバスに向かってて」



……その通り。

アトリエ・ミサワに通い出した頃は、私は極度に人付き合いを避けるタチだった。

「ね、ワタシと一緒に絵描こうよ」

「…………」

最初の授業の日。その日の課題は、アトリエの外にある草花の写生だった。

「ね、ね、ワタシね、タンポポ描こうって思うの! 一緒に描こうよっ!」

「…………」

隅の方で真っ白のキャンバスを抱えて、ぼんやり庭を眺めていた私に、悠花は人懐っこく近付いて来る。

何よ、この子。そう心に呟いた私は、当然とばかりに顔を背ける。

「……どうかしたの?」

「何でも」

「何でもないなら、一緒に描けるじゃん! ね?」

「……タンポポって面倒臭いじゃん。それに私」

「?」

「描きたいものなんて、ないもの」

そう言ってまた、顔を背ける私。

「む、じゃあじゃあ、一緒にタンポポ描こっ!」

「……だからタンポポなんて花が細か過ぎて」

「でも『描けない』ことないよ?」

……私は今でも覚えている。

「……、……」

この時。悠花が私に向けてくれた屈託のないスマイルが、私が変わるきっかけになった。

ポッ、と赤くなる顔を必死に隠そうとしたっけ。それを思い出すだけで、今はおかしく思える。

私にとって、その笑顔は開いたばかりの花に急に降り注いだ、日の光のようなものだったのかもしれない。



「……その後。私に悠花、抱き付いたっけね」

「そーそー! それで、花壇の上に倒れちゃって、お母さんにしこたま怒られたよね」

私達は、お互いにクスクス笑い合う。幼かったのよね、あの頃は。

それで、二人して壁の上の絵を見上げると、改めてその出来事が鮮やかに蘇って来た。

「好きだよね、タンポポ」

「ウン、ワタシが一番好きな花!」

「変わってないね」

「そーかもねぇ」

悠花が私にくれた絵。この間の授業で、近くの畑に出て描いた絵なんだけど……遠景に、一面に広がる黒土の畑。近景に、満開のタンポポ。これでもかっ、てくらい大きく描かれてるの。

ここまで目立たせなくっても、って私は思うけど、あの頃とちっとも変わらない悠花が見れたような気がして胸の中が暖かくなった。

好きな花……あの頃から全然変わってないな。

私は絵を見るのに加えて、悠花に視線を注いでは目を細くしていた。

「絵の腕は、お互い上がったんじゃない?」

「ん〜、そうだよね。ワタシは最初はタンポポって言ってもカツラみたいなモジャモジャ描いて、ハイ、タンポポの花、だったし。紗也ちゃんなんか、花びら一枚一枚描き過ぎて剣山みたいになってたよね」

「それ言わなぁいっ!」

「フフ。それ以外じゃ、変わってないかな」

「どーゆーこと」

「そのタンキなとこ」

「なぁによっ! そっちだって、ノーテンキはいつまで経っても直らないでしょっ」

「あっ、言ったなぁ! ドの付くくらいの無口なのに、言う時は言うんだからっ! この口かっ! この口が言うのかっ」

「ひぁっ、ふぁ、何すんのっ、ほっふぇ抓っふぇっ! ユーカだってっ、ずっほ口うるははったふへにっ!」

「ふぁ! ひょっほ、なひふんのよっ!」

……と。こういう風にほっぺを抓り合うのももう毎度のこと。

そしていつも通り、私達はお互い笑い合った。

「……これもずっとしてたよね」

「ウン。ふがふが言いながらね」

また一つ、クスリ、と。

その時私は、まだ悠花の頬をつまんだ手を離せないでいた。悠花も同じ、だった。

……綿のように柔らかで、指先に染みるように温かい、この数年来の感触。今までの年月を思うと、尚更に愛しい……この感覚。ふにっ、と指に落ち着くこの感触は、何年経っても忘れられない。愛着……って言うのかしらね。

それを確かめるように、私の手はいつの間にかそっと、手の平をその頬にあてがっていた。もうそんなに、味わえないんだし…………。

「……ちょ、ちょっと? 紗也ちゃん、どうしたのっ」

……ハッと気付く。私は、悠花の顔をほんの数センチ前まで近付けていた。……いつの間に。

「フフフッ、変なのっ。今日の紗也ちゃん」

「悪かったねっ」

笑いながらも、顔の辺りが全部ボッと熱くなる。どーしたんだろう……私。

いくら親友……とはいえ。ね。そこは越えちゃいけない一線よ?

でも。

そんな常套句で隠し切れない、ドキドキ……というか。胸を締め付ける思いがあるのも、事実。

私は、最初出会った時と同じように──それよりも一層明らかに──顔を、悠花から背けた。


その後、『ホラ、準備しよ?』の一言で正気付いた私は、気を取り直して悠花と一緒に忍び足で階下に向かった。行き先は、台所。なんたって、私が待ち望んだショートケーキが部屋でお待ちですもの。ふふふ。

その夜、元々悠花は何をしに来てくれたかというと、私の誕生日のお祝い会。ごくごく小規模だけど。ちょっとした事情から夜中二人で秘密裏にやることになったんだけど、その為に! 悠花は私が食べたがっていた駅前ケーキ屋の大人気ショートケーキまで買って来てくれて、夜更けに梯子をかけて二階の私の部屋まで上がって来てくれて。やっぱり、持つべきものは友よね。

皿やコップや、ジュースのペットボトルを持って戻った時はヒヤヒヤしたけど、幸い誰が起きるでもなし。悠花なんて、部屋に戻ったら下を覗いて、

「階下は異常なしでありますっ! 隊長!」

なんて言うんだもの。このノリはきっとこの先も続くと思う。

「じゃ、ローソクつけよっか」

以外と丁寧に、ローソクも十六本全部揃えてくれている。

「……あれ、ライターは」

「あ、あったよ。ハイ、これ」

ニッコリ微笑んで、あわてんぼなんだから、なんて。あわてんぼはいつも悠花でしょ、なんて私は返してみる。

どうしてだろう……。こんな些細なやり取りに微笑みが溢れて来るなんて。

「じゃ……点灯、っと」

一つ、ローソクの火がポウッとつく。

それに合わせて、悠花は部屋の明かりのスイッチを捻った。

きゃあ、真っ暗、なんて言ってみせる私。でも、ホント真っ暗ね。それにさっきも言ったけど、イヤに静か。夜中の一時過ぎにしても。

「……どうしたの? 次、つけようよ」

「……あ、あぁ、そうだよね」

私は急かされるように、またライターをカチンと言わせて火をつけた。


「……ね、」

「え、何?」

「……。ドキドキ……しない?」

「なぁにぃ? 紗也ちゃん。今日の紗也ちゃん、何かヘンだよぅ?」

悪かったわねっ、と私は一応強がってみせるだけはする。悠花はそうからかうけど、私は真面目だった。

五本目をつけた時。私は不意に急かされた気がして、壁の時計を見上げる。……さっきから、何分と経っていない。何だろう……ヘンな感覚がする。

「暗闇だからって。えっちにゃことでも考えているのかな?」

「違うよっ」

私の頭をツンとつつく悠花の顔も、あまり見えない。空っぽの部屋の中は、そういう暗さだった。

私は、頼りないローソクの明かりばかりに目が行く。

何だか……普段こういうのに慣れていないせいか。

錯覚……いや幻覚? 私は、奇妙な心地に酔ったようになっていた。

今、この火のセピア色の光だけが照らすこの空間……何か、ものすごい勢いで時間が流れている気がする。

暗闇に紛れて……何分、何十分。いえ何時間、何日、もしかしたら何年……。

それは絶対私の勘違い。そうに決まってる。けれども、私の視線がローソクの明かりに吸い付けられる度に、そう……思えて来る。

「……ホント、どうかしたの? 紗也ちゃん」

ハハ、悠花の声もエコーがかって聞こえる。顔も見えづらいよ。重症なのかも。

「……何かね、時間が……」

「時間が?」

「……ビュンビュン過ぎて行くみたいで。気持ち悪い」

本当に何でだろう。

胸が、苦しい。痛い。締め付けられるように。

……私の手は、震えていた。

「…………」

悠花も。私の突飛な台詞で、呆気に取られているみたい。いつもの、口を開けてぽかんとした表情が目に浮かんで来るよう…………と思ってもその顔を私は思い出せない。

「それはさ」

でも。

「ローソクが。ローソクの火が、ワタシ達が過ごして来た時間だからじゃないかな」

返事は、返って来た。

「私達の……過ごした……?」

「そ。丁度十六本だしね……、紗也ちゃんが、ワタシと過ごした時間が、今この周りで過ぎてるんだよ」

「……そんな」

「そう信じよ? ね」

私を制するかのような……抑揚のない声。

私は、悠花の顔も見ず黙り込んだ。

確かに、そうなのかもしれない。

こんな静かな夜だもの。悠花と二人っきりの、夜だもの……。

ためらうように、それでいて慎重に、私はローソクの火を、一本一本、つけた。


「……あ、十二本目」

溜め息のように、悠花は言う。

ここから、私は悠花と時を重ねた……私はそう思うと背中がヒヤリとした。


   けど……


そんな時の中に浮かんで来るのは、悠花と私が重ねて来た想い出の数々。

思えば……あの『出会い』から、私は変わった。


それまで、人を避けて、人から逃げていた私。

それが、逃げない、って思い始めたのは、あの時から。


何事にも、面倒、イヤだ、やる気がない、と逃げていた私。

でも、自分の力を最後まで試してみよう……そう思い始めたのも、あの時。


そして今まで、人を、自分を好きになることができなかった私。

でも……そんな私が、初めて人を好きになれたのは……あの時から。


全部全部、いつも隣りにいてくれた……悠花のおかげ。


「……紗也ちゃん……、ローソク……。ついたよ、」

なのに、そんな私の思いを、眩いばかりのローソクの火が跡形もなく消し去る。

私は……急に込み上げた胸の熱さに、顔を手で覆った。だって……。

「……紗也ちゃん、」

「……見ないでえぇっ!! 見ないでぇっ!!!! 見たくないっ……、何も……見たくないっ! 何、も……見たく、ないっ……」

全てついた火に照らされて、顕になった私の部屋。そこに、いつもの景色はない。勉強机も箪笥もない。その代わり……無造作に、冷たく重ねられた段ボールの箱の山。


そうだ。

私もう引っ越すんだ。


今更に思い出された──今まで忘れようとしていた──その事実が、私の胸に容赦なく突き立てられた。

その痛みは全身を湧き上がって来て……私の涙と嗚咽に変わった。

私は泣いた。

声を上げて、ボロボロ涙を流して。

もう、耐えられない。耐えられないよ。

もう……悠花とは時を重ねることもない。別々の道を歩いて、どんどん離れて行って…………。

イヤだよ。

そんなの、イヤだよ。

離れたくないよ…………好きなんだもの。


「……紗也ちゃん……っ」

その、刹那。

「……悠……花…………?」

私の体は、グイと横に向けられて、温かい『何か』に抱きすくめられた。

「……バカ紗也。……ホント昔っから……紗也ちゃんってバカ」

悠花は、私をギュッと抱き締めていた。

突然。唐突。いきなりに。

私は、何が起こったかも分からないままに、声を失っていた。

「一人でずっと悲しんでないでよ……。紗也ちゃんの気持ち……ワタシ、分かるんだから」

えっ……?

「ワタシだって……離れたくないもの。このまま……一緒にいたい。ずっとずっとずっと…………紗也ちゃんと」

ぼんやりと耳に、悠花の声が響く。そして、私の胸の中をぐるぐる駆け巡る……。

ちょっと…………それって……

「ワタシも……好き。紗也ちゃんのこと」

「え……」

「……女の子同士で……変かもしれないけど。紗也ちゃんのことが好きなの、どうしても忘れられないの。好き、好き、好き」

紗也ちゃんは、熱っぽい体を私に押し付けて、声を張り上げる。

それが、ピッタリと体同士がくっ付いて……私は、驚きを超越した変な気分だった。

こんな時だからかもしれない…………私と、悠花の体が輪郭をなくして、液体になって、溶けて混じり行く感覚……なんて。

「……だからね? これから離れても……ワタシは紗也ちゃんのこと……諦めないからね」

……悠花は、抱き締めていた体をそっと離す。

その時、正面から見た悠花の顔は、涙で濡れてボロボロだった。

今、気付いた。

悠花は……さっきから泣いてたんだ。道理で声が震えてたし……。

そう考える私自身、また涙が、ワッと溢れ出るのが分かった。

「だから……せめて。離れちゃう前に……キス……、してもいい? ……今から」

「えっ……」

私は、驚いて固まった表情を隠せない。

「……ワタシ、キス……したいの。せめてもの、誕生日プレゼント」

その顔は、さっきよりも赤くなって、恥じらうような笑顔に変わっていた。

多分、私も同じ顔だっただろう。

でも、そこにはもう境も一線もない。お互いに……『好き』、なんだもの。

「……いいよ」

それ以外に、条件は要らない。


それから私達は……並んで座ったまま、ためらいなく顔を近付け合って、そっと、唇を重ねた。

柔らかい……唇って、こういう感触なんだ。まるで、空の雲を凝縮したような、柔らかさ。そして、フンワリ感。私は、それに触れる内に、それを求める内に、舌を……入れてしまっていた。

「……んっっ……」

でも、悠花の舌も同時に入って来る。その時、私は悠花と本当に溶け合った気がした。

しなやかに、しっとりと濡れた舌が、お互いをまさぐるように触れて蠢く。一続きになった口腔は、舌が絡むのに合わせてお互いの唾液で満たされる。

そう、それは、果実の一番上等で甘い果肉を集めたような味。そしてそれで私の舌が、唇が、全身が包まれるような。

「……んぅっ……んっ……」

私は夢中で悠花の口を求めた。悠花も同じだった。

もう、私達は疑いようもなくお互いを好きになっていた。愛していた。だから、キスだけでもこんなに気持ちいいんだ……好きな人とのキスだから。

カラダがとろけそうになるくらい、私をシアワセにしてくれる。接吻だけだけども、一つになることがこんなに愛しいことだったなんて……知らなかった。今まで。

そうして、恍惚と快楽の中に、私達は……果てしなく溺れて行った。


「さっきのね」

「え」

「ワタシのファーストキス」

「えぇっ!?」

「……ずっと前から……、紗也ちゃんとならいいかな、ってね。ファーストだもん、愛してる人にあげたいよ」

そう言う悠花は、また頬をポッと赤らめる。

それは……私もファーストだけど。

「それに、ほっぺ抓り合った時。……アレ、紗也ちゃんもヤりたかったんじゃないの?」

……私も赤くなる。

「……もう、そんなことないってばぁ」

そう言う私に、悠花は一つ、微笑み返し。この笑顔も、今日で見納め……じゃ、ない。これから先も、ずっと覚えていよう。また、会う日の為に。

もう、時間は深夜の三時。ケーキもジュースも食べちゃって、すっかり跡形もない。

ふあぁ、って悠花が大あくびをする。そんな時間なら、もう帰らないと。悠花は、上着を着て窓枠に手をかけた。打って変わって、辺りは夜の沈黙に包まれている。

「……それじゃあ、ね」

「……うん」

こういう時。こういう時は、スパッと別れちゃう方がいい。さっきの悠花のあくび顔でさえ、愛しいって思っちゃう私だもの。寂しさを引きずって、いつまでもくっ付いてたって……胸が苦しいだけ、だもの。

「……さよなら」

「うん……さよなら」

……この台詞を言うのだって。今日……だけ、そう、今日だけ。

これから先、絶対私は言わないよ。悠花、あなたを……愛している限り。

「……あ……悠花、」

カシャ、カシャン、と一歩づつ悠花は梯子を降りて行く。そこに、私は声をかけた。

「……えっ?」

見上げる悠花。

もし、許されるものならば。我儘な私が、許される……ものならば。私は、こう願う。

「……変わらないで……いてよね。ずっと」

「……紗也ちゃんもね」

壁の下の薄暗がりに、悠花の仄白い笑顔が揺れる。

カシャン、最後は二三段を一気に飛び下りて、梯子を片付けると、悠花は振り向きもせず走って行った。

小さな背中が、月の光の中に遠ざかる。私は、それをいつまでも、見詰めていた。

少し冷たい春の風が、頬の辺りをすうっと撫でて通り過ぎる。本格的な春も、これから始まる。花が咲き乱れる、明るい春が来る。タンポポも……咲くだろな。

私にとって、この四年は長過ぎた春、だったのかもしれない。でも、これからまた、新しい春が来るんだ。

そう思うと……ちっとも寂しくないよ、悠花。


別れる前、私は一つ悠花と約束をした。

『引っ越しの当日には、来ないでほしい』

だって、またあの顔を見たら。あの声を聞いたら。あの手に、あの唇に……触れたら。別れられなくなっちゃう。

でも、いいの。

私はもう、十分。

悠花だって……分かってくれてるはず。笑顔でうなずいてくれたもの。

絶対、約束は守ってくれる。そういう、私のトモダチ……ううん、私のコイビトだもの。


ディープキスは、18禁に入るのか否か。ここの匙加減が分からないので一応15禁とさせていただきました。

分かりづらかったかもしれませんが、タイトルの『not to make our adieu』とは、英語で『さよならと言わないように』という意味です。後半の方で似たようなことを紗也が言っていました。キスシーンよりも、こういう精神的な恋愛の面が書きたかったのですが……果してどうでしょうか。

実はこの作品、このサイトでお初となる作品であるのみならずほぼ処女作でもあります。ここまで一読していただけただけでも幸甚です。

ではまた……。

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― 新着の感想 ―
[一言] せつないねぇ・・・楽しかった!
[一言]  短編大好き、でん助です。  夏→マイ→notの順に、評価やら感想やら書いております。ソフトストーカーです。  当初もっとスゴイ事になるのかと思ったのは、私の脳内がアレなせいでしょうか。 …
2008/04/04 17:59 退会済み
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