花柄ワンピース
エスキユ様に捧げる
「せんせーーー! こんにちはー!」
そう言って私は、玄関先で固まる先生の前で可愛く首を傾げる。この時上目遣いはデフォ。そして角度は研究済み。一番可愛く見えるポイントを鏡の前で何度も練習した。
ついでに何着も試着してこれだ! と決めた花柄ワンピースは、下品には見えないお嬢様風丈で、先生の好みもばっちりのはず。でも当然、瑞々しい生脚で若さアピールよ!
そしていつもはしないお化粧もちょっと頑張った。友達に相談して練習して、いつもの私とは違う大人の女に変身している。
その甲斐あってか、普段あまり見ることのない先生のびっくり顔が見れて私は満足です!
「……由加里さん、今日はどうしたのですか?」
「ふふふー、来ちゃった♡」
「……来ちゃったじゃありません。帰りなさい」
そう言ってマンションの玄関ドアを閉めようとするのを慌てて止める。
「やだぁ! ごめんなさい、調子に乗りました。実は相談があるの~!」
「……何ですか?」
「ねぇー、おうち上げてくれないの?」
「……イヤですね」
「どーしてぇー! 先生ヒドイ!」
いつもの様に私への扱いが冷たい先生に、えーんと泣き真似すると、大きなため息を付かれた。でも、先生は優しいから呆れながらも絶対に私の言う事聞いてくれるはず!
横目でチラリと確認すると、先生は再び大きなため息をついた。
「……今日は駄目です。また違う日に時間取りますので、今日は帰ってください」
「…………え?」
え? せんせー、いま、なんて言ったの?
「今日は帰ってください」
「ヤダ! どうして!?」
「どうしてもです。今日は駄目です」
きっぱりと拒絶されたのは初めてだった。高校受験の時の家庭教師として、私に勉強を教えてくれていた先生はもう家庭教師じゃないけど、たまに勉強を見てくれていた。
先生と生徒と言う関係が終わってしまうのが悲しくて、無理やり先生のマンションに押しかけてから連絡も取るようになって、いつもはちゃんと約束して図書館で勉強を見て貰ってたんだけど……今日は直接押しかけてしまった。
――だって、特別な日だったから……。
何も言い返せなくて俯いた先、先生のマンションの玄関に、赤いハイヒールが目に付いた。
……赤い、ハイヒール……先生、そんな女装趣味があったの……?
――そんな訳はない。
「先生どいてっ! お邪魔します!」
私は先生を押しのけ家へ入り込むと、リビングへ一直線。ドタドタと音を立て下品に進むと、綺麗なお姉さんがびっくりした顔で私を見てた。
「あら、伊織が凄い勢いで玄関へ向かったと思ったら、随分可愛らしいお客様ね。こんにちは」
「こにゃにゃちはっ! …………」
勢い込んで叫んだら思いっきり噛んでしまった。もうヤダ、恥ずかしくて死にたい。
「まったく、あなたは何をしているのですか」
後ろからゆっくりついて来た先生に、ため息混じりに言われて余計に落ち込む。
もうヤダ、ライバルに若さを売りにして宣戦布告をしようと思ってたのに、最初から失敗するってどう言う事よ、恥ずかしくて死にたい。
「伊織、紹介して頂戴」
「……はぁ、仕方ありませんね。由加里さん、こちらは保瀬 葵、私の姉です」
「え? お、お姉さん……?」
「はい。そして姉さん、こちらは鳳 由加里さん、私の教え子です」
「教え子って何よ。何を教えてるのよ」
「……勉強に決まってるじゃないですか、姉さんは何を言ってるのですか。由加里さんは私が家庭教師をしていた時の教え子ですよ」
「ふーん。って、伊織、あんたもう家庭教師辞めたじゃない、それなのに昔の教え子が、こんな日にわざわざ訪ねて来るのぉ?」
ニヤニヤと私と先生を交互に見てくる視線が痛くて俯く。
お姉さんをライバルと勘違いした挙句、そのお姉さんに私達の関係を深読みされて恥ずかしくて死ねる。
そりゃ私だって先生とそう言った深い仲になりたい! って思ってるけど、先生は私の事を相変わらず子ども扱いして、その関係はまだ先生と生徒のままだ。
「そのようですね、何か文句ありますか」
先生はぎろりと鋭い目つきでお姉さんを睨み付ける。そんな先生の表情、初めて見た……。惚けていると、ソファーに座ってたお姉さんが立ち上がって私の前に来た。
「初めまして、伊織の姉の葵です。これからご飯食べに行こうかと思ってたのだけど、由加里ちゃんも来ない? お姉さんが驕ってあげるわよ」
「えっ? いえ、その、ごめんなさい。お約束してたんですよね、それなのに私、押しかけたりして……。今日は、帰ります」
「あら、いいのよ。私だって押しかけたの。恋人もいない寂しい弟の誕生日に、優しい姉がお昼ご飯をご馳走してお祝いしてあげようかなーと思って来たのだけど……余計なお世話だったみたいねー」
葵さんはニヤニヤと笑いながら先生を見ると、打って変わって優しい表情で私の方を向いた。
「こんな可愛げのない弟の為にありがとうね」
私の手に持った紙袋へ視線を送ると、葵さんはふわりと笑った。その顔が、あまり見せてくれない先生の笑顔とそっくりで、なんだかドキドキしてくる。
「いえ! あの! その! …………」
お子ちゃま過ぎて恥ずかしい。動揺して言葉が出てこないだなんて、どこのコミュ障よ。高校ではそれなりにそつなく人間関係を築き人気者の由加里さんが先生を前にすると、何も言えなくなっちゃう……。って違った、そっくりでも先生じゃなかった。それなのに挙動不審って……どんだけ私はこの顔が好きなのよ。恥ずかしくて死ねる。
「……姉さん、由加里さんを脅さないで下さい」
「やだ、失礼ねー、そんな事してないわよ。……何? 伊織やきもちー? ふふ、心の狭い男は嫌われるわよ」
「姉さんは黙って下さい。由加里さん、こちらへ」
先生はそう言うと私の背中をそっと押して、リビングとは違う部屋へ案内してくれる。
机と、本棚と……ベッド。ここは先生の部屋だ。
初めて入ったその完全なプライベート空間に、胸が張り裂けそう。なんだか先生の匂いがして、身体いっぱい吸い込む。やだ、くらくらしちゃう。
「……由加里さん……顔が女子高生らしからぬ可笑しな事になっていますよ」
「はっ! 先生オカシナ顔ってどんな顔! 私ヨダレ垂らしてた!?」
「……垂らしてはいませんが、危なかったと思います」
「いやーん、恥ずかしい。お嫁に行けなーい。先生責任とって」
「意味が分かりません」
「もう、先生ったらノリ悪ーい」
「……私は高校生ではありませんからね、ノリが悪くて当然です」
「あ、ヤダ! そんなつもりで言ったんじゃないの、ごめんなさい、許して!」
謝るついでに、ドサクサに紛れて抱きつこうとしたら避けられた。ちっ、素早いな。
「そんなことより、どうしたのですか?」
「分かってるくせに聞かないでよー。はい、これ……」
ちょっと恥ずかしく思いながら持っていた紙袋を渡す。中には先生への誕生日プレゼントが入ってる。
「……ありがとうございます。開けても?」
「いいですよー! 本当は私の使用済みパンツとかにしようかなって思ったんだけど、やめたー……ってせんせー、そんな汚物を見るような目、やめて。ぞくぞくしちゃう」
「……意味が分かりません。開けても平気なのですか?」
「うふふー、もっと刺激的かも」
「お返しします」
「いやーん、ごめんなさい。大丈夫です。全うなものです」
胡乱な瞳で包装を解いていく先生をドキドキしながら見つめる。すっごく悩んだ。悩み過ぎてラビリンスに迷い込み使用済みパンツなどという結論に至りそうになったのを、どうにか正常まで戻す事が出来て本当に良かった。
驚いた顔で、でも少し嬉しそうにしている先生を見て、心底そう思った。さすがに優しい先生でも使用済みパンツは嫌われてしまうかも知れないものね。
「ベルト、ですか」
「うん、そう。この間先生が付けてたベルト、ちょっと見えたんだけど痛んでたみたいだから」
ブランド品のベルトにした。値段的にも私が出せるものだったから、良かった! デパート売り場のお姉さんに散々お世話になり、すっごく親身に優しくラビリンスに迷い込んだ私を救出して頂きましたが、もうあのデパートには行けません。暴走良くない。
「ありがとうございます。嬉しいです」
はにかむ先生を見て幸せな気持ちが溢れてくる。でも、ベルトにした本当の理由はねー。
「男の人は女性に服を送るって言うでしょ? でも私先生の服分からなかったからー、ベルトにしたの♡」
「…………」
「いつかそのベルトをつけた先生から、そのベルトを私が外してあ・げ・いやぁぁぁん!」
「る」まで言えなかった! 言う前に頭ぐりぐりされたーーーー!
「……変な声出さないで下さい」
ぐったりと脱力した先生は、悶える私に視線を動かすと笑った。その表情に、愛を感じて伝えたくなる。
「せんせー?」
「はい」
「誕生日おめでとう。先生がいてくれて良かった。本当に私、この日に感謝してる」
「……ありがとうございます。私も……由加里さんに祝って頂き、この日に感謝してます」
「あぁん、先生大好き。今すぐ抱いて」
「……意味が分かりません。すぐ調子に乗る。……でも、そうですね……由加里さんが大学受験に成功して高校を卒業したら、考えます」
「……え?」
「考えるだけですが、もしかしたらこのベルトをつけるかも知れません」
「え? え? 本当に? 意味分かってる? 意味分かって言ってる?」
「当然ですよ、私は男ですから」
「え? え? え?」
今言われた言葉が浸透するまで数十秒、きっと私はアホ顔で固まってたに違いない。そうに違いない。
先生のクスッと笑い声が聞こえて口を閉じる。危ない、ヨダレを垂らす所だった。
「嫌ならやめますが」
「ちょちょちょちょ! 嫌な訳ないっすよ! バッチコイですよ!」
「その代わり、さっきの条件を忘れないで下さいね」
「忘れない忘れない! 絶対に忘れない、なんなら東大にだって受かってみせる! ごめんなさい、嘘つきましたすいません。今の志望校のままお願いします」
「最近サボり気味みたいでしたが、大丈夫なのですか?」
「大丈夫! 大丈夫! 絶対に受かるから! だから先生も約束忘れないでね! 私頑張るから!」
左手にしがみつき絡みつく私を宥める様に、
「いいこだ」
そう言って先生は私の頭をポンポンと撫でた。
…………死ぬ。死ぬ、死ぬ、死ぬ! 悶えて死ぬ! 幸せすぎて死ぬ! 殺さないで! これ以上私の心を弄ばないでー! でも好きー!
その歓喜のまま抱きつこうとしたらすっと避けらる。ちっ、相変わらず素早いな。
でも避けられても私の心は余裕よ。だって大学に合格すれば先生と×××出来るんでしょ? 余裕よ、よ・ゆ・う♡
「ま、考えるだけですけどね」
そんな無情な声は、浮かれきった私の耳に届く事はなかった――。
fin
お付き合い頂きありがとうございました。
その後、由加里は先生とお姉さんとしっかり食事を一緒にして、ホクホクと家に帰りました。
無情な台詞をしっかりと知るのはいつ?w