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第2章 公女 5

 尚姫しょうきは噂通りの、気性の激しい姫だった。

 荊州に来て最初こそ大人しくはしていたが、もともとが甘やかされて育った我がまま一杯の姫である。それなのに政略結婚で親子ほども歳の離れた劉備りゅうびの妻にされ、一人荊州に来てみれば、当然のことながら荊州の人々は敵国の姫として、遠巻きに白い目で見ているばかりであった。さらに一番親しく世話をしてくれるのはたいして歳も違わぬ、義理の娘となった惠姫けいきであったが、こちらも優しくはしてくれても、今までのお気に入りの侍女たちと違ってお世辞のひとつも言わない。

 しかも・・・尚姫のかんに触わることに、惠姫は主君の娘であるというだけでなく、多くの責任ある仕事を任されており、誰からも頼りにされ、愛されている。

 たまるばかりの尚姫の不満のすべては、惠姫一人に向けられるようになっていった。こうして尚姫の惠姫に対する、執拗ないじめが始まった。


 尚姫はことあるごとに惠姫に辛くあたり、いくらいじめても惠姫が泣きもせずおだやかな表情を崩さないので、さらに腹が立つと物を投げ付けることもあった。そのいじめのひどさは奥の女官たちの中では今や知らぬ者はなかったが、惠姫が厳重に口止めを命じていたので表には漏れなかった。惠姫は尚姫の境遇に同情しており、すべての我がままもいじめも覚悟の上であったし、無理もないと心から思っていた。尚姫が惠姫に辛くあたっていることが知られて唯一の頼みである夫、劉備にまで叱られては尚姫があまりにも可哀想だと、いじめのことを惠姫は必死で隠し通した。単にいじめ続けることにも飽きて来た尚姫は、ついに言った。

薙刀なぎなたを持て!惠姫!」

 二人の薙刀による勝負が始まった。


『強い・・・!』

 やはり孔明の言った通り、弓腰姫きゅうようきの異名は伊達ではなかった。しかし、馬謖と孔明の特訓を耐え抜いた惠姫である。尚姫を傷つけず、自らも打ちつけられることもなく、執拗な尚姫の攻撃をかわした。

『何と、私と互角に戦える姫がいるとは・・・』

 半時(約一時間)戦っても少しも勝負がつかない。薙刀では負け知らずであった尚姫は、驚くと同時にさらに惠姫への憎しみが募った。

『まさか・・・この尚姫が負けるなど・・・』

 殺意さえ含むような尚姫の目を見ても、惠姫はますますその裏の尚姫の孤独を見てしまい、ひたすら尚姫を傷つけない守りの戦いを続けた。しかし体が丈夫とは言えない惠姫は、だんだん疲労を隠せなくなり、一瞬気を抜いてしまった。

「!」

 鈍い音がして、惠姫の右肩に痛みが走った。肩口の衣装が裂け、血の匂いが広がった。尚姫の意地悪い、勝ち誇った笑みが見えた。それまでは惠姫は尚姫に同情しかしていなかったが、血の匂いは孔明とのあの特訓を・・・そして両親の死の場面を再び思い起こさせた。惠姫の自制心のたがが、はずれた。

 次の瞬間、尚姫の悲鳴が聞こえた。惠姫の薙刀は尚姫の喉元で、止まった。同時に惠姫の疲労が限界に達し、そのまま惠姫は失神して倒れた。


 惠姫が目を覚ましたとき、寝台の側には尚姫がいて、泣きそうな顔で惠姫を見ていた。右肩はしっかり手当がされており、もう痛みは感じなかった。

「惠姫・・・ああよかった。そなたがなかなか目を開けぬので、心配でいてもたってもいられなかった」

 尚姫は惠姫の手をとって、涙を流した。

「母上様・・・」

 惠姫は尚姫の涙にとまどっていた。

「私が悪かった、惠姫。今までさんざんいじめておいて・・・勝手な言いようとは思うが・・・。私は姫がうらやましくてたまらなかった。私とちがって皆から愛されていて・・・だからひどいことを言ったり、辛くあたってしまった・・・」

「とんでもございません、母上様。たった一人祖国を離れて荊州にいらした母上様が、お寂しいのは当然です。十分お慰めできなかった私が悪いのです。その上薙刀で母上様を、危険な目に合わせてしまいました・・・謹慎して、お詫び致します」

 しかし尚姫は惠姫にすがって、首を横に振った。

「いいや。私の側にいておくれ、惠姫。私に本気で相手をしてくれたのは、そなたが初めてだった。今までは・・・江東でもみんな私や、兄たちの怒りを恐れてへつらったり偽ったり、だれも私に本心で接してはくれなかった。そなたをいじめたのだから、そなたが私を憎く思うのは当たり前だ・・・だがどうか許しておくれ、もう決してこのようなことはせぬ。私を、一人にしないで欲しい・・・」

 尚姫が初めて孤独の胸の内を、惠姫に打ち明けた。

「もちろんです母上様。私こそ許して下さって、本当にありがとうございます・・・」

 このときから二人は、立場は義理の母娘であったが・・・本当の友情を育てていった。そこまでは孔明も予測しえなかったことだった。


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