表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/40

第2章 公女 4

 瞬く間に二週間が過ぎた。連日連夜にわたる特訓で体は疲れ切っていたが、一度も泣き言を言わず惠姫けいきは耐え続けた。辛くないと言えばうそになるが、覚悟の上のことであったし、一族を失い、捕われの身となり自害しかけたこともあり・・・辛いことは今までにいくらでもあった。劉備りゅうび孔明こうめいのためであれば、これくらいは耐えることができた。

 ある日突如孔明が館に戻って来て、馬謖ばしょくと手合わせ中の惠姫の動きを、しばし目で追っていた。


「馬謖」

 孔明が側に呼んで、惠姫の上達具合を尋ねた。

「姫はかなりの腕になられました。私とほぼ互角といったところです。・・・孔明様。もう十分だと思います。これ以上は姫の御体が心配です」

 しかし次に孔明の言った言葉に、馬謖は仰天した。

「馬謖、私が代わろう。真剣を持って参れ」

「孔明様、それはあんまりにも・・・!」

「持って参れ!」

 あわてて馬謖が真剣を用意した。今までは木刀で特訓をしていたのだ。孔明は惠姫にも真剣を持たせた。惠姫は黙ってそれに従った。

「姫、私に本気でかかってきて下さい」

 何と孔明は片手に白羽扇びゃくうせんを持ったままで、もう片手に真剣を構えている。

「いきますよ、姫」

 言うなりものすごい速さで空を斬り、孔明の真剣は惠姫に向かって来た。とても片手の力とは思えない。孔明は先ほどほんのしばらく惠姫の動きを見ただけで、その動きを完全に予測していた。惠姫は特訓の甲斐あって切り込まれはしないものの、受けたりよけるのが精一杯で、とても攻撃に出られない。馬謖が息を詰めて見守っている。

 孔明の真剣は惠姫を執拗に追い回し、次第に惠姫の疲労の色が濃くなってきた。

 わずかに気を抜いた瞬間、惠姫の右腋に痛みが走った。孔明の真剣がかすめて服の一部が裂け、肌から血がにじんだ。

「姫。あと一寸ずれていたら、命はありませんよ」

 肩で息をしながら、惠姫は孔明の瞳を見た。冷ややかなその瞳は、今までの惠姫の知っている孔明とは思えなかった。

「・・・!」

 さらに次の瞬間、惠姫の左ほほに痛みがかすめた。かすかな血の匂いがした。

「顔には来ないと、油断しましたね」

 あくまでも冷たい、突き放すような言い方だった。

『道具になるということは・・・こういうことなのだ・・・』

 そのことの本当の厳しさを、惠姫は今、改めて思い知らされた。

『このままでは本当に傷つけられる・・・』

 自らの血の匂いは、今まで意識的に忘れようとしていた、両親の殺された時を・・・惠姫が初めて知った、激しい怒りと憎しみの気持ちを呼び起こした。

 惠姫は孔明を睨み返した。馬謖に打ち付けられても変わらなかった惠姫の穏やかな瞳は、もうなかった。


 次の瞬間は、惠姫のものだった。

 真剣の柄と柄の激しくぶつかる音がして、そこで二人の動きは止まった。惠姫の真剣が孔明の肩先で、止まっていた。白羽扇が宙を舞い、孔明は惠姫の真剣を止めるため、思わず両手を使っていた。

「お見事です、姫。よくここまでになられました」

 孔明は、もとの優しい孔明に戻っていた。

「殿が尚姫しょうき様と江東を発たれ、荊州に向かわれたと知らせがありました。女官たちを迎えの準備に、かからせて下さい」

「かしこまりました・・・」

 返事をするやいなや、惠姫は気を失って崩れ落ちた。

「馬謖、急ぎ呉普ごふ殿を呼べ!」

 絶句して二人の勝負を見ていた馬謖は、我に返って走り去った。

 孔明は惠姫に向かい、心の中で詫びた。

『姫、すまない。でもあなたしかいないのです・・・』

 孔明は惠姫を抱き上げると、館に入っていった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ