第9章 結実 5
「・・・亮様。亮様」
孔明がはっとして目を覚ますと、壱与が目覚めて孔明を呼んでいた。
部屋の中が薄暗く、燭台の明かりを灯してから孔明は壱与のそばに行った。
「壱与・・・本当に御苦労だった。ごらん、こんなにかわいい、男の子だ。私たちの、瞻だよ・・・」
「亮様、その名は・・・?」
「瞻には、遠くを見通す目を持つ、という意味があるのです。この国の先を見る力のある子に、育って欲しいと思ったのだ」
「それはよい名前を・・・瞻、よかったですね・・・」
壱与の呼びかけに応じたように、その時瞻が眠りから覚め、ぐずって泣き出した。
「瞻が・・・お乳をやらなくては・・・」
孔明は壱与の上体をゆっくり起こして、瞻をその腕に渡した。壱与は胸を開いて授乳した。乳房を圧して、乳首を吸うその子の何と愛らしいことか。壱与の瞳から一筋、二筋、涙のしずくがこぼれた。
やがて授乳が終わると、再び瞻はすやすやと眠りについた。孔明が壱与の手から抱き上げて、隣に寝かしつけた。壱与がささやくように、この上なく優しい声で、子守歌を歌う。
妾の嬰児 嬰児睡れ
妾の腕が そなたの枕
妾の懐 そなたの褥
心安寧に ゆめの・・・
「壱与・・・?」
歌声が途切れて孔明が見ると、起きていた壱与の上体が揺らいだ。
「壱与!」
孔明は慌てて支えた。
「まだ疲れが・・・さあ、あなたももう少しお休みなさい」
壱与は孔明の顔をじっと見つめていた。
「壱与・・・どうしたのです・・・」
「亮様・・・。どうぞ私を、お許し下さい・・・」
突然の壱与の言葉に、孔明は驚いた。
「どうしたのです。何のことですか」
孔明は壱与の様子が、何かいつもと違うことに気づいた。もともと白い壱与の肌が、さらに白く透けているように見える。壱与の命の炎の勢いが、少しずつ失せてきていた。
「私はこの子を・・・瞻を育てることが、できません・・・」
壱与は肩で息をして、苦しそうに言葉をつないだ。
「なぜです!どういうことですか?」
「私はもう行かねば、ならないのです・・・天のもとへ・・・両親と、玄徳様たちのいらっしゃるところへ・・・」
死の影は今度こそ、間違いなく壱与を捕らえた。
「壱与!」
「亮様・・・私を妻にして下さって・・・本当に、ありがとうございました・・・」
孔明は言葉もなく、強く壱与の体を抱き締めた。壱与は片手でそっと瞻に触れた。
「瞻・・・許してね。私はもう・・・そなたに乳をやることが・・・できません。お父様のように、立派な方に・・・育つのですよ・・・」
孔明が叫んだ。
「壱与!行かないでくれ・・・!」
だがもはや、誰にも変えられぬ運命だった。
「さようなら・・・諸葛、亮、孔明様。壱与は本当に、幸せでした・・・」
吸い込まれるように瞳を閉じ、壱与は絶命した。
その瞬間、燭台の炎が不意に消え失せ、朝日がさっと部屋にさしこみ、壱与の死に顔を照らした。
「壱与・・・っ!」
幸福に輝くような壱与の死に顔の上に、孔明はあとからあとから熱い涙をこぼした。
漢(蜀漢:しょっかん)の丞相諸葛亮孔明の正室壱与は、嫡男瞻を生み、その直後ここに三十一歳の短い生涯を終えたのだった。
壱与が亡くなると国中の人々は声を上げて泣き、漢は先帝劉備の崩御以来の悲しみに閉ざされた。
壱与はこの三国時代、漢(蜀漢)の建国、そして運営に大きく貢献し、多くの民にも慕われた数少ない女性の一人だった。国葬にされて後、壱与の安産のために劉禅が建てた社は、壱与を葛女祠として祀ることとなった。
喪服を着た孔明が、一人壱与の墓前に立っていた。
人々に『春風の神女』と呼ばれ、劉備にその風の名を賜った壱与・・・その死を知らずか今年も春の風は変わらずにそよぎ、墓前のたくさんの献花の花びらを、優しくふるわせていた。
「壱与・・・夫婦としては一年余しか過ごせなかったが・・・。あなたは私の生涯の最も長い時をともに生きた、忘れえぬ女だ・・・。私をよく理解し、常に助けとなって私を支え・・・そして自分の命を懸けて、私に瞻を生み残してくれた・・・。壱与、本当に、ありがとう・・・」
孔明は喪服を軍服に変え、出陣の決意を出師の表にしたため皇帝劉禅に上書し、魏を討つべく北伐に出陣した。
母の死も、父の出陣も、まだ何もわからぬ瞻は、無邪気に笑って見送っていた。
孔明は五度目の北伐の時、五丈原で死を迎えた。孔明は五十四歳であった。瞻はまだわずか九歳だった。
孔明と壱与の実子である瞻は父と同じく漢の重臣となったが、その帝国滅亡の時、三十七歳で戦死。その子の尚も、その時父と運命を共にした。
こうして孔明の血縁は、再び民草の中に隠れてしまった。だがいまだ孔明ならびに三国の英雄たちの名は、人々の中に生き続けている。
しかし男たちの書き残す歴史の中で、古来より、特に中国は女が歴史に名を残すことをほとんど許さなかった。有能で業績のあった者が女であると、いつしかその偉業は他の男のものになり、その名を消されていった。その習いにより、壱与の名も歴史から消えてしまった。
だが確かに女性は、歴史の中に存在していたのだ・・・。
そして名は無くしても、わずかに壱与の面影を今に留める長江、大峡(だいきょう、現在の巫峡:ふきょう)の神女峰は、二千年の時と江の流れを、ひっそり静かに、今日も見つめ続けているのだった。
-完-




