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第9章 結実 1

 二人のことはたちまちのうちに漢(蜀漢:しょっかん)と南蛮なんばん両国に伝えられた。

皆人祝福せぬ者はなく、成都せいとで知らせを受けた劉禅りゅうぜんも、大喜びで即座に祝いの言葉を届けた。婚儀は孟獲もうかくがぜひやらせてくれと頼み込み、両国の友好のため南蛮国の国を挙げて行われることになった。


 壱与いよは南蛮国の風習に従って、南国の花鳥を刺繍した赤い花嫁衣装を身にまとい、髪には南蛮国の銀山、銀坑洞ぎんこうどうの極上の銀を細工したかんざしをさしていた。

白い肌の花嫁を見るのは、南蛮の人々は初めてだった。

純白の壱与の肌と赤い衣装の色合いは、列席の衆人が感嘆のため息をもらすほど美しく、この婚儀は南蛮国に後々まで語り伝えられることとなった。

 この婚儀の式典をもって、孔明こうめいと壱与は晴れて正式に夫婦となり、壱与は孔明の正室として崔夫人さいふじんと呼ばれるようになった。


 その夜、二人きりの閨房けいぼうで、壱与は孔明の腕の中にいた。

明かりを消した薄闇の中に、壱与の裸身があった。それは白すぎて、ほのかな光を持っているようでさえあった。だがこうして間近に見ると、壱与の体にはいくつもの傷跡が残っているのが、孔明には見て取れた。

 江東で再会したときに、孔明をかばって脇腹に負った傷跡。孔明と離されて劉備りゅうび益州えきしゅう攻略に伴った際、救陣きゅうじんの火事で両肩に負ったやけどの跡。関平かんぺいの死に反応して竟子きょうしが割れ、胸元についた傷跡。そして劉備りゅうびの臨終の時、孔明が白帝城はくていじょうに行っていた間に刺客しかくに襲われ、背中に負った大怪我の跡・・・

 「亮(りょう:孔明の名)様・・・こんなに傷だらけの花嫁で・・・申し訳ありません・・・」

「何を言い出すのかと思えば・・・私はあなたの体に傷がある理由を知っています。もしこれらの傷が全くなければ、私はあなたを愛するようには、きっとならなかったでしょう・・・」

孔明はそう言うと、その傷跡の一つ一つに、そっと口づけをしていった。


 すべての傷跡に口づけたあと、孔明は壱与の体を再び夜着で包み、抱きしめるとそのまま動きを止めた。

「壱与・・・あなたは私たちのところに来たことを・・・よかったと思っていますか」

「え・・・?」

孔明の突然の言いように、壱与は驚いた。

「世が世なら、あなたはやんごとない名家の姫君であったはずだ・・・。一族を失ったとしても、名士に嫁ぎ、もっと平穏な人生を送れたかもしれない。私があなたを私たちのところに連れてきたばかりに・・・亡き陛下も悔やまれていましたが、あなたには本当に苦労ばかりかけました。・・・あまつさえ今回の南征では、私は危うくあなたを死なせるところでした・・・」

壱与は顔を上げ、孔明を見つめて言った。

「亮様は、何をおっしゃっているのですか。私は亮様のおかげで、ここまで生きてくることができたのです。もし他の生き方を選べたとしても、私はきっとこの人生を選びます」

「・・・壱与、あなたという人は・・・」

「それより私こそ・・・私が男であったなら戦で戦うことも、あるいは幕僚としてお役に立つこともできたかもしれないのに・・・女の身では皆様の・・・玄徳様のご恩に、十分に報いることができませんでした・・・申し訳なく思っております」

「壱与!」

孔明が急に大きな声を出し、壱与の両肩を持って自分に向き合わせた。

「あなたこそ何を言っているのです。あなたなしでは私たちは・・・亡き陛下は、帝国を興すことはできませんでした。あなたが内政を・・・城の奥向きのことも、民政のことも完璧に整えてくれていたからこそ、殿も兵たちも、安心して戦に行くことができたのです。またあなたの蜀錦がなければ、漢(蜀漢)はここまで繁栄できなかった・・・それだけでなく、あなたは殿のお心を、ずっと支えてきてくれました」

「・・・亮様、それはすべて女として、亡き殿の娘としての、ささやかな働きでしかありません」

「私はあなたの働きを、ささやかだと思ったことなどない・・・それなしではこの国を作れなかったことは、明白な事実です。あなたは強くないとかつて尚姫しょうき様が心配されていたが、都江堰でも定軍山でも、南征でさえも私が思っていたよりずっと・・・あなたは気丈であって、私たちを助けてくれました。本当に感謝に尽きません」

「・・・亮様。もう、申しあげてもよろしいと思いますが・・・」

「何のことですか?」

壱与は一度言葉を切り、決意したように再び話し始めた。

「私が強くなれたとすれば、それは・・・亮様を、あなたを愛したからに、ほかなりません・・・」

「・・・それは、どういう意味ですか」

「私は最初から強かったわけではありません。ただ、亮様を愛してしまったことに気づいた時、亡き母の教えを思い出したのです。人を愛するということは、その人の望む形で存在することだと・・・。亮様が望んでいたのは私が妻になることなどではなく、巫女みことして、また内侍令・内官令として亡き殿の理想の国を作るために尽くすことでした。それが分かっていたから、私はそのように生きることを決め・・・だから強くなれたのです。私にとってあなたを愛するということは・・・長い間そういうことでした・・・」

「壱与・・・あなたは私の知らない間に、そんなふうに私を、愛していてくれたのですね・・・」

孔明の目に涙が浮かんだ。が、そのとき孔明はあることを思い出した。

「でもそれでは・・・『あのひと月』の間のことは・・・?あなたが私を慕ってくれていたとしたら、あなたにはとても辛いことだったのでは、ないのですか?」


『あのひと月』のことというのは、当時孔明が他の人に隠していて、壱与だけが知っていたことだった。実は劉備が益州牧になって間もないころに隆中(孔明の草庵があった、襄陽の郊外)からの使者が来て、孔明に妻の黄夫人の訃報を告げていたのだった。黄夫人は劉備への仕官が決まった時、自分は孔明の老いた両親の世話をするために残るので、あなたは志を遂げてくださいと、快く孔明を送り出したのだった。孔明はそんな妻に頭を下げ、劉備の勢力基盤が安定したら、必ず迎えに来ると約束をしていた。そしてようやく劉備が益州を手に入れ、それがかなう時が来たというのに・・・黄夫人は孔明の両親を長く世話してみとった後、再び孔明に会うことかなわず、自身も病で没してしまったのだった。


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